サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ
サルマーン
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二聖モスクの守護者 | |
バヤー (忠誠の誓い) | 2015年1月23日 |
先代 | アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ |
王太子 |
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現職 23 January 2015 – 27 September 2022 | |
前任者 | Abdullah bin Abdulaziz |
後任者 | ムハンマド・ビン・サルマーン |
サウジアラビアの皇太子 副首相 | |
現職 18 June 2012 – 23 January 2015 | |
君主 | Abdullah bin Abdulaziz |
首相 | Abdullah bin Abdulaziz |
前任者 | Nayef bin Abdulaziz |
後任者 | Muqrin bin Abdulaziz |
国防大臣
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現職 5 November 2011 – 23 January 2015 | |
首相 | King Abdullah |
前任者 | Sultan bin Abdulaziz |
後任者 | Mohammed bin Salman |
出生 |
1935年12月31日(88歳) サウジアラビア、リヤド |
実名 |
سلمان بن عبد العزيز آل سعود サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード |
王室 | サウード家 |
父親 | アブドゥルアズィーズ・イブン・サウード |
母親 | ハッサ・ビント・アフマド・アッ=スデイリー |
子女 | |
親署 |
称号:国王 | |
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敬称 |
二聖モスクの守護者 خَـادِم الْـحَـرَمَـيْـن الـشَّـرِيْـفَـيْـن Custodian of the Two Holy Mosques (CTHM) |
サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード(アラビア語: سلمان بن عبد العزيز آل سعود, ラテン文字転写: Salmān bin ʻAbd al-ʻAzīz Āl Saʻūd[1]、1935年12月31日 - )は、第7代サウジアラビア国王(2015年1月23日[2] - )。初代サウジアラビア国王イブン・サウードの25番目の男子[3]で、第6代国王アブドゥッラーの異母弟。日本語メディアでは、サルマンと表記されることが多い。
生涯
[編集]出生
[編集]イブン・サウードの25番目の男子。イブン・サウードが最も寵愛したスデイリ家出身のハッサ妃との間に生まれた7人の男子を指す「スデイリー・セブン」と呼ばれる同母兄弟のうちのひとりで、第5代国王ファハド・王太子スルターン(国王に即位する前に病死)・王太子ナーイフ(国王に即位する前に病死)が同母兄となる。
即位以前の経歴
[編集]1954年にリヤード州のアミールと副知事に就任し、翌1955年から1960年までリヤード州知事を務めた。再び1963年から2011年までリヤード州知事を務め、2011年10月に同母兄のスルターン王太子兼副首相兼国防大臣が薨去すると後継の国防大臣に就任した。続けて2012年6月に同母兄のナーイフ王太子兼副首相兼内務大臣が薨去すると、国防大臣を兼務したまま王位継承順位第1位である王太子兼副首相に就任した[3]。2013年3月には息子のムハンマド・ビン・サルマーンが王太子府長官、王太子特別顧問に任命され[4]、2014年2月には国務大臣にも任命された[5]。
治世
[編集]2015年1月23日、第6代国王アブドゥッラーの崩御により、第7代国王に即位し、首相を兼ねた。これにともない王位継承順位第2位だったムクリン副王太子兼第二副首相が王太子兼副首相に昇格した。副王太子兼第二副首相の後任には同母兄ナーイフの息子のムハンマド・ビン・ナーイフ内務大臣を任命し、はじめて第3世代(イブン・サウードの孫の世代)の王族に王位継承権を与えた。また同日に息子のムハンマドを国防大臣に任命し、さらに王宮府長官・国王特別顧問に任命した[6][7]。29日には国王特別顧問を辞任させて経済開発評議会議長に任命し[8]、軍事に加えて経済政策の実権も与えた。
同年4月29日、サルマーン国王は勅命を発し、王太子兼副首相のムクリンを解任し、副王太子兼第二副首相のムハンマド・ビン・ナーイフを内務大臣と政治・安全保障評議会議長を兼ねたまま王太子兼副首相に昇格させ、息子のムハンマド・ビン・サルマーンを国防大臣と経済開発評議会議長を兼ねたまま副王太子兼第二副首相に昇格させた。アブドゥッラー派だったムクリンを権力の核心から遠ざけ、自身の周辺をスデイリー・セブン閥で固める意向による人事とみられた[9]。
サルマーンは認知症のため[10]、息子のムハンマド・ビン・サルマーン副王太子に統治に関するほぼ全てを代行させているといわれている。このムハンマド副王太子が独断専行的にイエメンへの軍事介入を行い、「サウジアラビア版サッチャー革命」と評されるような急進的な経済改革プランを志向しているため王族内で不満が高まっており、同年秋にはサルマーン国王とムハンマド副王太子の体制を非難する怪文書が王族内で出回った。また同年12月にはドイツの諜報機関連邦情報局が、この件に関して「サウジに体制危機が迫っている」とする分析結果を公表した[11][12][13][14]。
2017年3月12日から15日まで公式実務訪問賓客として訪日し、天皇と安倍晋三首相と会談した。サルマーン自身の訪日はリヤード州知事と王太子時代に続く3回目であるが、サウジアラビア国王の訪日は1971年に訪日した第2代国王ファイサル以来46年ぶりであり歴史的な訪日となった。この訪日では日・サウジ間の経済、安全保障分野での包括的な協力と二国間関係の「戦略的パートナーシップ」への格上げに合意した[15]。大勲位菊花大綬章・頸飾受章[16][17]。
2017年6月21日、ムハンマド・ビン・ナーイフ王太子をすべての役職から解任し、息子のムハンマドを国防大臣兼務のまま王太子兼副首相に昇格させる勅命を発した[18]。
2017年11月、息子のムハンマド王太子が率いる反汚職委員会が、ムトイブ王子(国家警備相)やアルワーリド王子ら王子11人を含む複数の閣僚経験者を逮捕した。表向きは汚職容疑であるがムハンマドが志向する急進的な改革やサルマーンとムハンマドの体制に対する抵抗勢力を潰すためであると観測された[19]。
2022年9月27日、内閣改造の勅令を発し、息子のムハンマドを王太子兼首相に昇格させた[20]。法律で首相は国王が兼務するとされており、例外措置が取られた[21]。
2024年5月に肺炎の治療を受け、同年10月6日に再び肺炎の検査を受けている [22]。
ムハンマド以外の息子としては、国務大臣(エネルギー問題担当)のアブドゥルアズィーズ、マディーナ州知事のファイサル、宇宙飛行士のスルターンなどが知られる[23]。
婚姻関係
[編集]イスラームの法シャリーアでは最大で同時に4人まで妻を娶ることが認められているが、サルマーンの妻は、スルターナ、サーラ王妃、ファハダ王妃の3名である。
- スルターナ (Sultana bint Turki Al Sudairi) - サルマーンがまだ王子であった2011年7月に亡くなっている。5人の息子を儲け、存命はスルターン王子とアブドゥルアズィーズ王子とファイサル王子の3人。
- サーラ王妃 (Sarah bint Faisal Al Subai'ai) - 存命のサウード王子 (Saud Bin Salman Bin Abdulaziz) の母。
- ファハダ王妃 (Fahda bint Falah bin Sultan Al Hithalayn) - ムハンマド・ビン・サルマーン王太子および駐米大使ハーリド王子の母。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ アラビア語発音: [salˈmaːn ben ˈʕabd alʕaˈziːz ʔaːl saˈʕuːd] サルマーン・ベン・アブダルアズィーズ・アール=サウード
- ^ “サウジのアブドラ国王が死去 アラブ穏健派の指導者”. 日本経済新聞. (2015年1月23日) 2015年1月23日閲覧。
- ^ a b “Saudi King Salman bin Abdulaziz’s path to the throne”. Al Arabiya.net. (2015年1月23日) 2015年1月24日閲覧。
- ^ “Prince Mohammed bin Salman appointed Special Advisor to Crown Prince”. Asharq Alawsat. (3 March 2013) 12 April 2013閲覧。
- ^ “Chairman of the Board”. MISK. 25 January 2015閲覧。
- ^ “Saudi Prince Mohammad bin Salman named defense minister”. Al Arabiya.net. (2015年1月23日) 2015年1月24日閲覧。
- ^ 中東かわら版 サウジアラビア:ムハンマド・ナーイフ内相の副皇太子任命 (PDF) 公益財団法人 中東調査会 2015年1月24日
- ^ Simeon Kerr (30 January 2015). “Saudi king stamps his authority with staff shake-up and handouts”. Financial Times (Riyadh) 1 February 2015閲覧。
- ^ “皇太子にムハンマド内相=近親者で基盤固め-サウジ国王”. 時事ドットコム. (2015年4月29日)
- ^ “Prince Mohammed bin Salman: Naive, arrogant Saudi prince is playing with fire”. Independent. (2016年1月10日) 2016年1月20日閲覧。
- ^ “ムハンマド・ビン・サルマン副皇太子の外交デビューと王族内王族批判” (PDF). 一般財団法人中東協力センター ニュース (2015年10月). 2022年9月28日閲覧。
- ^ “ドイツ諜報機関にダメ出しされたサウジアラビア”. JB PRESS. (2015年12月11日). p. 2
- ^ “サウジアラビアを崩壊に導く独断専行の副皇太子”. JB PRESS. (2016年1月15日). p. 4
- ^ “サウジアラビアを崩壊に導く独断専行の副皇太子”. JB PRESS. (2016年1月15日). p. 5
- ^ “No.188 サウジアラビア:サルマーン国王の訪日”. 中東かわら版. 公益財団法人 中東調査会 (2017年3月16日). 2022年9月28日閲覧。
- ^ 『官報』6984号、平成29年3月24日
- ^ “来日を機にサウジアラビア国王に最高位の勲章”. テレ朝ニュース. (2017年3月10日) 2020年7月21日閲覧。
- ^ “No.59 サウジアラビア:ムハンマド・ナーイフ皇太子が解任、ムハンマド・サルマーン副皇太子が新皇太子に”. 中東かわら版 (2017年6月21日). 2022年9月28日閲覧。
- ^ “サウジ、著名投資家の王子ら逮捕 抵抗勢力潰しか”. 日本経済新聞. (2017年11月5日)
- ^ “サウジ首相にムハンマド皇太子 記者殺害関与疑いの過去も”. 産経新聞. (2022年9月28日) 2022年9月28日閲覧。
- ^ “サウジ国王、皇太子を首相に指名 例外措置で権力委譲前進”. 時事ドットコム. (2022年9月28日) 2022年9月28日閲覧。
- ^ “サウジのサルマン国王、6日に肺炎の検査 5月に治療”. ロイター. (2024年10月7日) 2024年10月7日閲覧。
- ^ “Saudi's new king, Salman, a force for unity in royal family”. Mainichi Daily. (2015年1月23日) 2015年1月24日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 明哲なる王 二聖モスクの守護者 サルマン国王 - 駐日サウジアラビア王国大使館文化部による公式紹介文
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