サールブール
Sarrebourg | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | グラン・テスト地域圏 |
県 (département) | モゼル県 |
郡 (arrondissement) | サールブール=シャトー=サラン郡 |
小郡 (canton) | サールブール小郡 |
INSEEコード | 57630 |
郵便番号 | 57400 |
市長(任期) |
アラン・マルティ (2014年-2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes de Sarrebourg - Moselle Sud |
人口動態 | |
人口 |
11987人 (2016年) |
人口密度 | 731人/km2 |
住民の呼称 | Sarrebourgeois |
地理 | |
座標 | 北緯48度44分07秒 東経7度03分16秒 / 北緯48.735278度 東経7.054444度座標: 北緯48度44分07秒 東経7度03分16秒 / 北緯48.735278度 東経7.054444度 |
標高 |
平均:m 最低:244 m 最高:325 m |
面積 | 16.40km2 (1 460ha) |
公式サイト | www.sarrebourg.fr |
サールブール (フランス語:Sarrebourg)は、フランス、グラン・テスト地域圏モゼル県のコミューン。ドイツ語名はザールブルク(Saarburg)。
地理
[編集]モゼル県南部、ザール川に面する都市で、重要なフランス軍駐屯地がある。フランス国鉄のパリ=ストラスブール間、メス=ストラスブール間、ナンシー=バーゼル間といった重要な路線が通過する。
歴史
[編集]サールブールの歴史は、紀元前8世紀頃ザール川付近に定住した謎の民族から始まる。紀元20年頃Pons Saravilsと名づけられた町は、ローマ街道に面した重要な場所だった。
紀元235年頃、アレマンニ族とフランク族が侵入し、ほぼ完全にこの町を破壊しつくした。その後フランク族が定住地を再建した。962年、メス司教が、メスの通貨鋳造をサールブールに許可した。
12世紀から15世紀のサールブールはメス司教の所有となり、アルザスのキリスト教化中心地となった。1476年にはブルゴーニュ公軍に包囲されたが、ロレーヌ公ルネ2世によって解放された。三十年戦争の戦場となったサールブールは、劇的なまでに人口が減少した。ルイ14世の対外政策によって、神聖ローマ帝国に属していたロレーヌ公国はフランス王国領となった。
1851年、パリ=ストラスブール間の鉄道開通により、サールブールにも鉄道が敷かれた。普仏戦争後のフランクフルト条約で、サールブールはドイツ帝国領となった。第一次世界大戦初期のサールブールは、フランス軍の最初の攻撃目標となり、両軍とも数千名の死者を出した。第二次世界大戦中は、マジノ線に駐屯する軍の基地が置かれた。
人口統計
[編集]2016年時点のコミューン人口は11987人で[1]、2011年時点の人口より3.32%減少した。
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2016年 |
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11080 | 11423 | 12615 | 12699 | 13311 | 13330 | 12722 | 11987 |
参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[2]、2006年以降INSEE[3][4]
姉妹都市
[編集]脚注
[編集]- ^ Population municipale légale en vigueur au 1er janvier 2019, millésimée 2016, définie dans les limites territoriales en vigueur au 1er janvier 2018, date de référence statistique : 1er janvier 2016.
- ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=35385
- ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-57630
- ^ http://www.insee.fr
外部リンク
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