ムアンサムットサーコーン郡
座標: 北緯13度32分54秒 東経100度16分24秒 / 北緯13.54833度 東経100.27333度
ムアンサムットサーコーン郡 | |
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ムアンサムットサーコーン郡の位置 | |
情報 | |
タイ語名 | อำเภอเมืองสมุทรสาคร |
県 | サムットサーコーン県 |
地理番号 | 7401 |
郵便番号 | 74000 |
統計 | |
面積 | 492.04 km2 |
人口 | 222,747 人 (2005年) |
人口密度 | 453 人/km2 |
行政 |
ムアンサムットサーコーン郡(ムアンサムットサーコーンぐん)はタイ中部・サムットサコーン県の郡(アムプー)である。サムットサーコーン県の県庁所在地でもある。
名称
[編集]サムットサーコーンとは「海」という意味である。過去にはターチーンと呼ばれたがこれは「中国人の港」という意味である。なお、サムットサコーンは地元では、地元の運河の名前から取ってマハーチャイと呼ばれている。
歴史
[編集]アユタヤ王朝の王、トライローカナートにの命で編纂された『三印法典』、プラ・サムットムサコーンという官位 欽錫名をもつ官吏がムアン・ターチーンを治めていたとされている第4級ムアンであった。少なくとも、前期アユタヤ王朝時代においても、ターチーン川の河口にあり、上流にスパンブリーやナコーンチャイシーをかかえる要所として機能していたと考えられる[1]。
後、チャクラパット王がこの町を、サコーンブリーと改名した。その後さらに時代は下ってラーマ4世(モンクット)が現在の名前に改称した。1897年サムットサコーンは郡(アムプー)となった。
その後、サムットプサーコーンはムアンサムットサーコーン郡と改称したが、1943年、ムアンが取れて再びサムットサーコーン郡に改称された[2]。しかし、3年後にはさらにムアンサムットサーコーン郡と改称している[3]。
地理
[編集]バンコク湾東部に面しており、海に面した地域には塩田が広がる。ターチーン川が南北に通っており、北のナコーンチャイシーやスパンブリーなどと通じている。
水路はターチーン川の他多くがめぐらされており、バンコクのチャオプラヤー川とターチーン川はマハーチャイ運河で結ばれている。道路は国道35号線が東西に通っており、東はサムットソンクラーム、西はバンコクとを結んでいる。これに並行して国鉄メークローン線が走り、ターチーン川の左岸にマハーチャイ駅が、右岸にバーンレーム駅がある。ターチーン川を渡る鉄道橋の建設はメークローン線の開通時以来実現しておらず、同線はマハーチャイ駅-バーンレーム駅間を渡船で連絡する形態が続いている。また国道3423号線が、サムットプラカーン県プラサムットチェーディー郡まで通っており、北に国道3091号線が出ており、国道4号線とを結んでいる。
経済
[編集]郡内の主要な第一次産業は塩田における塩の生産である。また郡内にはサムットサーコーン工業団地がある。
行政区分
[編集]郡には18の村があり、その下位に115の村がある。郡内には自治体(テーサバーン)が二つ設置されており、以下のようになっている。
- テーサバーンナコーン・サムットサーコーン・・・タムボン・マハーチャイ、タムボン・ターチャローム、タムボン、クローククラーク全体
- テーサバーンタムボン・バーンプラー・・・タムボン・バーンコの一部
また、郡内には15のタムボン行政体が設置されている。
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脚注
[編集]- ^ 石井米雄 「アユタヤ王朝の統治範囲を示す『三印法典』中の三テキスト」 『タイ近世研究序説』 岩波書店、1999年、pp.127-165, ISBN 4000012894
- ^ “พระราชกฤษฎีกาเปลี่ยนชื่ออำเภอบางแห่ง พุทธศักราช ๒๔๘๖” (タイ語). ราชกิจจานุเบกษา เล่ม ๖๐ (ตอน ๓ ก): หน้า ๑๐๓-๑๐๕. (๑๒ มกราคม ๒๔๘๖) .
- ^ “พระราชกฤษฎีกาเปลี่ยนชื่ออำเภอบางแห่ง พ.ศ. ๒๔๘๙” (タイ語). ราชกิจจานุเบกษา เล่ม ๖๓ (ตอน ๖๓ ก): หน้า 486-488. (๒๘ กันยายน ๒๔๘๙) .