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コールドハム・ホール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コールダム・ホールから転送)
コールドハム・ホール
現地名 Coldham Hall
コールドハム・ホールと並木
所在地イングランドの旗 イングランド
サフォークスタニングフィールド英語版、コールダム・ホール・レーン[注釈 1]
座標北緯52度10分10秒 東経0度43分27秒 / 北緯52.1694度 東経0.7243度 / 52.1694; 0.7243座標: 北緯52度10分10秒 東経0度43分27秒 / 北緯52.1694度 東経0.7243度 / 52.1694; 0.7243
建設1574年
建設目的ロバート・ルックウッド (Robert Rookwood)
指定建築物 – 等級 I
登録名: Coldham Hall
登録日1955年7月14日
コールドハム・ホールの位置(サフォーク内)
コールドハム・ホール
Location in Suffolk

コールドハム・ホール[1]: Coldham Hall)は、サフォークスタニングフィールド英語版教区に位置する、1574年建造の第1級 (Grade I) イギリス指定建造物である[2]。屋敷はロウシャル英語版に程近く、地所の一部がロウシャルの教区に含まれる。

コールドハム・ホールはチューダー様式カントリー・ハウス[3]、スタニングフィールドに住むサー・ロバート・ルックウッド(Sir Robert Rookwood、姓は Rokewood、Rokewode とも)のために建造された[4][5]。2階建てのこの建物ではグレート・ホール英語版(大広間)が特に有名で、東西に走る32メートルの屋根裏を備えた長いギャラリーも存在する。1770年頃に行われた内部改装では、ギャラリーに隣接して漆喰仕上げのローマ・カトリックのチャペルが作られた。19世紀半ばには、東側と南側にロッジアを作るなどの改装が行われたが、はめかえられた裏手の窓や北側の使用人棟以外は、ほとんど残っていない。1980年頃にはこれらの改装を元に戻す工事が行われた[2]

2002年には、映画プロデューサー・監督のマシュー・ヴォーンファッションモデルクラウディア・シファー夫妻が500万ポンドでこの屋敷を買い取った[6]

歴史

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エントランス・ロッジ

ロバート・ロックウッドにより1574年に建造された後[5]1869年までの約3世紀にわたって、コールドハム・ホールはロックウッド家の資産であった[7]。屋敷は「H」型をしているが、これはヘンリー8世に敬意を表したものである[1][8]。「コールドハム・ホール」という名前は、エリザベス1世が屋敷を訪れた際、冷たいハムを出されて憤慨し名付けたものとされている[1][3]

屋敷の住人には、火薬陰謀事件に関与し1606年に処刑されたアンブローズ・ルックウッド(サー・ロバートの息子[9])などがいる[10]。ルックウッド家は敬虔なローマ・カトリック教徒という伝統を守り続けたが、これは地所にある2つのチャペルと複数のプリースト・ホール(司祭の隠れ家)から見て取れる[2][注釈 2]。屋敷のあるスタニングフィールド英語版ロウシャル英語版は、プロテスタントが優勢な地域にあって、中世から現代までローマ・カトリックが継続して信仰されたという点で、歴史的に興味深い場所である[7]

所有権は1869年までルックウッド家にあったが、地所は女系を辿ってヘングレイヴ英語版のゲイジズ (Gages) へ引き継がれ、1840年代にはロバート・テイラー (Robert Taylor) へ賃貸しされるようになった。1869年には、リチャード・ホルト=ロマックス (Richard Holt-Lomax) へ地所が売却され、ホルト=ロマックス家は1893年までこれを所有した。

1893年には、陸軍中佐のヘンリー・トラフォード=ローソン[注釈 3]が屋敷を買い上げ、コールドハムを狩猟地として開発し、屋敷近くにある古い植え込みを拡張したり、新しいブロックを設置したりした。中佐の息子でウェスト・ヨークシャー連隊英語版に所属していたジョン・ヘンリー・エドマンド・トラフォード=ローソン大尉[注釈 4]第一次世界大戦中のソンムの戦いで死んだ後[11]、コールドハムの地所は1918年にエヴェラード・ハンブロー大佐 (Colonel Everard Hambro) が買い取り、1952年に死亡するまでこの屋敷で暮らし続けた。ハンブローが亡くなった年、屋敷はリチャード・デュース (Richard Duce) に買い取られ、デュースはマーガレット・サッチャーのアドバイザーを務めたデイヴィッド・ハート英語版1979年にこの屋敷を買い取るまで、27年間屋敷を所有した[12][13]

その後デンマークのビジネスマンであるイェンス・ピロの所有期間を挟み、映画プロデューサー・監督のマシュー・ヴォーンファッションモデルクラウディア・シファー夫妻が屋敷を手に入れた[14][15][16]。夫妻は500万ポンドで買い取り、この屋敷で結婚式を挙げた[6]。シファーによれば、当初は週末だけロンドンを離れて過ごす別荘だったというが、後にサフォークへ完全移住している[1]。2014年には時計塔が焼失する事故があった[4][17][18]

庭園

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アヒル池 (Duck pond

地所には屋敷に向かう並木道があり、低地にある2つの小池を渡るとラーク川英語版に繋がる。屋敷の脇には昔からの歩道があり、教区民たちはここから邸宅の姿を眺めることができた[7]

コミュニティ

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以前のコールドハム・ホールは、スタニングフィールド英語版ロウシャル英語版の地元コミュニティと強いつながりを持っており、多くの地元女性が母屋で使用人として働いたほか、地元男性も地所の農作業労働者や馬丁として雇われた。1920年代には、スタニングフィールドのエマンシペイション・チャペル (the Emancipation Chapel) で、使用人の子どもたちを集めたクリスマス・パーティが開かれていた[7]

ロウシャルのベリー・ロード (Bury Road) に面したメイン・エントランス近くの運動場は、長年サッカークリケットの競技場として盛んに使われていた。クラブは40年以上前に移転したが、コールドハム・ホールFC (the Coldham Hall Football Club) は現在もベリー&ディストリクト日曜サッカーリーグ (the Bury & District Sunday Football League) でプレーしており、ハーテスト&コールドハム・ホール・クリケット・クラブはハンツ・カウンティ・バッツ・サフォーク・クリケット・リーグ (Hunts County Bats Suffolk Cricket League) でプレーしている[要出典]

マーガレット・サッチャーのアドバイザーを務めたデイヴィッド・ハート英語版は、毎年11月5日のガイ・フォークス・ナイトに地元住民をコールドハム・ホールに招き、花火とこれに合わせたブラスバンド演奏を行って、地所と火薬陰謀事件との関係に思いを馳せつつ地元コミュニティとの関係を維持した。

民間伝承としては、コールドハム・ホールと、1マイル南のロウシャルにある16世紀の建物ロウシャル・ホール英語版との間に、トンネルが掘られているという伝説がある[19]

脚注

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注釈

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  1. ^ Coldham Hall Lane, Stanningfield, Suffolk, England
  2. ^ エリザベス1世の施政下、イングランド国教会と相対するローマ・カトリックは迫害され、屋敷にあるこれらの建物はローマ・カトリックの聖職者にとって避難所の役割を果たした[1]
  3. ^ Lieutenant Colonel Henry Trafford-Rawson
  4. ^ Captain John Henry Edmund Trafford-Rawson

出典

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  1. ^ a b c d e クラウディア・シファーが暮らす、イギリスの歴史ある邸宅。”. VOGUE JAPAN (2018年2月24日). 2018年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月22日閲覧。
  2. ^ a b c Coldham Hall, Bradfield Combust with Stanningfield”. 2011年3月18日閲覧。
  3. ^ a b de Valle, Jane Keltner (2017年8月1日). “We Go Inside Claudia Schiffer's Tudor Mansion”. Architectural Digest. 2018年6月22日閲覧。
  4. ^ a b Webb, Sam (2014年5月27日). “Clocktower at Claudia Schiffer's Elizabethan mansion destroyed in blaze which tore through stables and outbuildings”. デイリー・メール. 2018年6月22日閲覧。
  5. ^ a b 1. Parish: Stanningfield” (PDF). Suffolk Heritage Explorer. p. 5. 2018年6月22日閲覧。
  6. ^ a b Wigham, Helen (2011年5月13日). “May 13”. ヴォーグ. 2018年6月22日閲覧。
  7. ^ a b c d Stanningfield Village Society, ed (1997). A Stanningfield Century 1837–1939 – A portrait of a Suffolk village. ISBN 0-9532093-0-X 
  8. ^ Choy, Amanda (2017年8月2日). “See inside supermodel Claudia Schiffer's England home”. TODAY. 2018年6月22日閲覧。
  9. ^ The Progresses of King James the First. Volume IV. (being Part of Vol. III.). (1828). p. 1009. https://books.google.co.jp/books?id=BFFfAAAAcAAJ&pg=PA1009&lpg=PA1009 2018年6月22日閲覧。 
  10. ^ Fraser, Antonia (2005) [1996]. The Gunpowder Plot. London: Phoenix. pp. 277–282. ISBN 0-7538-1401-3 
  11. ^ Captain TRAFFORD-RAWSON, JOHN HENRY EDMUND”. cwgc.org. コモンウェルス戦争墓地委員会. 2018年6月22日閲覧。
  12. ^ Childs, Martin (2011年1月11日). “David Hart: Flamboyant banking heir who made his name as Thatcher’s political fixer during the 1980s miners’ strike”. インデペンデント. 2018年6月22日閲覧。
  13. ^ David Hart”. デイリー・テレグラフ (2011年1月5日). 2018年6月22日閲覧。
  14. ^ Supermodel buys Suffolk home”. Ipswitch Star (2002年5月13日). 2018年6月22日閲覧。
  15. ^ Celebrity couple's love for Suffolk”. East Anglian Daily Times. Archant (2004年10月1日). 2011年3月17日閲覧。
  16. ^ Suffolk Churches – Stanningfield”. 2011年3月17日閲覧。
  17. ^ Bergin, Olivia (2014年5月28日). “Fire breaks out at Claudia Schiffer's Suffolk mansion”. デイリー・テレグラフ. 2018年6月22日閲覧。
  18. ^ Claudia Schiffer house fire: Hot ashes probable cause”. BBCニュース. 英国放送協会 (2014年5月29日). 2018年6月22日閲覧。
  19. ^ Hidden East Anglia: Landscape Legends of Norfolk & Suffolk”. Hidden East Anglia. 2012年1月24日閲覧。

外部リンク

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