コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

コンデ=シュル=レスコー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Condé-sur-l'Escaut


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オー=ド=フランス地域圏
(département) ノール県
(arrondissement) ヴァランシエンヌ郡
小郡 (canton) マルリー小郡
INSEEコード 59153
郵便番号 59163
市長任期 グレゴリー・ルロン
2014年 - 2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération Valenciennes Métropole
人口動態
人口 9 680人
2016年
人口密度 526人/km2
住民の呼称 Condéens[1].
地理
座標 北緯50度27分00秒 東経3度35分29秒 / 北緯50.450000度 東経3.591389度 / 50.450000; 3.591389座標: 北緯50度27分00秒 東経3度35分29秒 / 北緯50.450000度 東経3.591389度 / 50.450000; 3.591389
標高 平均:m
最低:10 m
最高:52 m
面積 18.4km2
Condé-sur-l'Escautの位置(フランス内)
Condé-sur-l'Escaut
Condé-sur-l'Escaut
公式サイト conde59.fr
テンプレートを表示

コンデ=シュル=レスコーCondé-sur-l'Escaut)は、フランスオー=ド=フランス地域圏ノール県コミューン

地理

[編集]

ヴァランシエンヌの北東12kmに位置する。リールとは51km、ベルギーの首都ブリュッセルとは90km、パリとは239km離れている。コミューン面積の北側はベルギー国境と接している。エーヌ川とエスコー川(スヘルデ川のフランス語名)の合流地点にある。

由来

[編集]

Condéとは『合流地点』を意味するケルト語Condat(e)からきている。地名はガロ=ローマ時代にCondatumとラテン語化され、その後14世紀にCondeとなった。

フランス革命時代、当局の要請および革命暦2年ヴァンデミエール25日(1793年10月16日)のデクレにより、フランスの多くのコミューンと同様に封建的または宗教的な意味合いを持つ地名Condéはノール=リーブル(Nord-Libre)とされ、1818年10月8日のデクレまでその名であった。

現在のコンデ=シュル=レスコーとなったのは1886年である。

フラマン語ではKonde a/d Scheldeとなる[2]

歴史

[編集]

ケルト時代のコンデ=シュル=レスコーはガリア・ベルギカに属し、この地に定住したのはネルウィイ族、その後軍の駐屯地を設置したローマ人であった。

民族移動時代フランク族が定住し、7世紀、この地域に聖ヴァズノンがキリスト教を伝えた。聖ヴァズノンは教区教会の守護聖人となっている。教会参事会はすぐそばにあり、コンデ修道院の後援のもとにあった。封建的な権力を持つ人物を提供するこの教会参事会の起源は、考古学的発掘によって証明されるように、メロヴィング朝時代にさかのぼる[3]。2世紀後、ヴァイキングは855年に初めて姿を現し、880年代に一時的に定住した。シグフレードとゴドフレートの2人の首領たちの指揮下でエスコー川を上り、彼らは要塞を占領して、要塞の萌芽ともいえる、塹壕をめぐらした駐屯地をつくった。885年に彼らは追い払われたが、889年に決定的に追放されるまで彼らは姿を現した。

この町を手に入れようと勢力が争い、1477年フランス王ルイ11世軍、そしてジャック・ファン・アルトフェルト率いるフランドル軍に交互に占領された[4]

コンデ領主ジャン・ド・ラ・アマイドは1415年のアジャンクールの戦いで戦死している[5]

1654年、スペイン人たちが近代化の時代を始め、これは1655年にフランス軍に占領されて中断したが、翌年にスペイン支配が復活した。スペイン人たちは道を舗装し、高度な防御能力を構築した。4か所の強力な稜堡によって彼らは北西の前線を防御した。1676年、ルイ14世軍が町を包囲し、1678年のナイメーヘンの和約によってフランスに併合された。

ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公フランツ率いるオーストリア軍が、92日間の封鎖の後、町を占領した(1793年7月10日)[6][7]。町がオーストリア軍から解放されたのは、1794年9月3日、シェレール将軍(fr)によってである。ナポレオンの帝政が崩壊した1815年、町は同盟国の手に落ちた。3年後の1818年まで、同盟国軍は去らなかった。

1878年、テシェン公フリードリヒはエルミタージュ城館においてイザベラ・フォン・クロイと結婚した。

1901年、コンデ=シュル=レスコーは、軍事拠点としての称号を失った。国が1923年に要塞の解体を許可した。

第一次世界大戦前夜の1914年7月、反戦集会がフランス、ベルギー、ドイツの社会主義政党の代表者たちを集めて開催された。ドイツ代表の1人はカール・リープクネヒトであった[8] · [9]

第二次世界大戦中、町は1940年から1944年までドイツに占領され、炭鉱とその労働者たちを搾取した。最終的に閉鎖される1989年までルドゥー炭鉱で石炭が採掘され、男性の主たる雇用源となっていた。この場所は1991年に破棄された[10]

人口統計

[編集]

2016年時点のコミューンの人口は9680人で、2011年当時の人口より0.91%減少した[11]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2010年 2016年
14066 13607 13994 13671 11289 10527 9731 9680

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[12]、2006年以降INSEE[13][14]

史跡

[編集]

姉妹都市

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Nom des habitants de la commune sur habitants.fr.
  2. ^ http://www.roepstem.net/vlaanderen.html#inhoud
  3. ^ V. Maliet et M. Gabriel, La collégiale Notre-Dame de Condé-sur-Escaut (Nord) : données archéologiques, Valentiana no 8, 1997, p. 7-20.
  4. ^ Statistique archéologique du Département du Nord, 1867, archive de Harvard College Library numérisée par google Books, p. 414.
  5. ^ "Azincourt 1415 : d'où venaient les chevaliers français morts à la bataille ?". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  6. ^ Marie Fourrier, La Révolution française dans le "Pays Vallée de la Sarthe", 1789-1800, Centre de ressources du patrimoine du Pays Vallée de la Sarthe, 2010, p. 30
  7. ^ Hugues Marquis, « Le général François Jarry au service de l'Angleterre (1793-1806) », Annales historiques de la Révolution française février 2009, (no 356), p. 93-118
  8. ^ Martine Pottrain, Le Nord au cœur : historique de la Fédération du Nord du Parti socialiste, 1880-1993, SARL de presse Nord-Demain, 1993, p. 23.
  9. ^ « Discours de Karl Liebknecht le 12 juillet 1914 à Condé-sur-l’Escaut », sur critique-sociale.info
  10. ^ « http://www.patrimoine-de-france.org/oeuvres/richesses-72-20000-136297-M127341-326860.html » (ArchiveWikiwixArchive.isGoogleQue faire ?)
  11. ^ Population municipale légale en vigueur au 1er janvier 2019, millésimée 2016, définie dans les limites territoriales en vigueur au 1er janvier 2018, date de référence statistique : 1er janvier 2016.
  12. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=25193
  13. ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/3293086?geo=COM-59153
  14. ^ http://www.insee.fr