コロラド級戦艦
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コロラド級戦艦 | |
---|---|
メリーランド | |
基本情報 | |
艦種 | 戦艦 |
命名基準 | 地名 |
前級 | テネシー級戦艦 |
次級 | サウスダコタ級戦艦 |
要目 | |
常備排水量 | 32,600 トン |
全長 | 624 ft 3 in (190.2 m) |
水線長 | 600 ft (182.9 m) |
幅 | 97 ft 4 in (29.7 m) |
吃水 | 38 ft (11.6 m) |
機関方式 |
バブコック・アンド・ウィルコックス式重油専焼水管缶8基 ウエスチングハウス式(「バージニア」はGE式)タービン発電・ターボ・エレクトリック4基4軸推進 |
出力 | 28,900 shp(22 MW) |
最大速力 | 21.0 ノット(39 km/h) |
航続距離 |
8,000 海里 : (就役時・10ノット(18 km/h)時) 12,100 海里: (1945年時・15ノット(28 km/h)時)[1] |
燃料 | 重油:1,900 トン(常備)、4,570 トン(満載) |
乗員 |
士官:58~62名 下士官:1,022 名 |
兵装 |
就航時 40.6cm(45口径)連装砲4基 12.7cm(51口径)単装速射砲12基(「メリーランド」は14基) 7.6cm(50口径)単装高角砲4基 53.3cm水中魚雷発射管単装2基 コロラド、1941年時 40.6cm(45口径)連装砲4基 12.7cm(51口径)単装速射砲10基 12.7cm(25口径)単装高角砲8基 2.8cm(75口径)四連装機関砲4基 エリコン 2cm(76口径)単装機銃14丁 12.7mm(90口径)単装機銃8丁 ウエスト・バージニア、1944年時 40.6cm(45口径)連装砲4基 12.7cm(38口径)連装高角砲8基 ボフォース 4cm(56口径)四連装機関砲10基 エリコン 2cm(76口径)単装機銃50丁 |
装甲 |
舷側:203~343mm(水線部) 甲板:89mm(主甲板)、38mm(下甲板) 主砲塔:457mm(前盾)、254mm(側盾)、127mm(天蓋)、229mm(後盾) 主砲バーベット:320mm(最厚部) 副砲ケースメイト:なし 司令塔:406mm(側盾)、203mm(天蓋) |
注が無い部分はコロラドの性能を記述 |
コロラド級戦艦 (コロラドきゅうせんかん:Colorado-class battleships) または、メリーランド級戦艦 (メリーランドきゅうせんかん:Maryland-class battleships) は、アメリカ海軍が就役させた超弩級戦艦の艦級である[2]。ワシントン会議前に建造された、最後の標準型戦艦である。4隻建造され、2番艦「メリーランド」が軍縮会議前の1921年7月に就役した。1番艦「コロラド」、4番艦「ウェストバージニア」は、日本海軍の戦艦「陸奥」存続と引き換えに建造が続けられた[3]。3番艦「ワシントン」はワシントン海軍軍縮条約で建造中止となり[4]、最終的に3隻(コロラド、メリーランド、ウェストバージニア)が竣工した[注釈 1]。主砲を連装で装備した、最後のアメリカ戦艦である。
概要
[編集]コロラド級戦艦(メリーランド級戦艦)は[7]、基本的には前級のテネシー級戦艦の改良型である[6]。1917年海軍整備計画において建造された。元々14インチ(35.6cm)3連装砲塔4基を搭載する予定だったが、大日本帝国海軍が八八艦隊を計画し、その1番手として16インチ砲搭載戦艦である長門型戦艦を建造することが判明する[4]。さらにイギリス海軍が計画していたG3型巡洋戦艦は16インチ砲を、N3型戦艦に至っては18インチ砲(46cm砲)を搭載予定であった。これらの新型戦艦に対抗するため、テネシー級の主武装を40.6cm連装砲塔に変更したのが本級である。そのため装甲などは対35.6cm砲レベルのままであった。次級のサウスダコタ級戦艦は50口径16インチ砲と16インチ砲対応の防御力を備えた新設計となったが、やはりN3型戦艦には見劣りした。
ただし準同型艦であるテネシー級と同等の対35.6cm砲レベルの装甲であっても、ニューメキシコ級以前のアメリカ標準型戦艦よりは強力である。アメリカ海軍は、保有戦艦の中で特に防御力に優れたテネシー級2隻(テネシー、カリフォルニア)[8][注釈 2]と本級3隻をあわせ5隻を「ビッグ・ファイブ」と称した[6]。
第一次世界大戦中に4隻が計画検討されたクラスであり、大戦終結後の1920年3月に2番艦「メリーランド」(USS Maryland, BB-46) が進水[9]、1921年7月に就役した。同年11月から開催されたワシントン会議により、1922年2月6日にワシントン海軍軍縮条約が締結された[10]。この会議で日本海軍が完成させた長門型戦艦2番艦陸奥(1921年11月、竣工)の保有是非を巡って激論となり[11]、最終的にアメリカはウェストバージニア級戦艦2隻(ウェスト・バージニア、コロラド)の建造続行、イギリスはネルソン級戦艦2隻建造の権利を獲得した[12][注釈 3]。 その代償として各国とも戦艦複数隻の廃棄を決定し[10]、アメリカはデラウェア級戦艦のデラウェア (USS Delaware, BB-28) とノースダコタ (USS North Dakota, BB-29) を退役させた[11][注釈 4][注釈 5]。 また軍縮条約により、本級3番艦「ワシントン」(USS Washington, BB-47) が完成直前で廃棄対象となり[6]、標的艦として処分された。
なお2番艦「メリーランド」(USS Maryland, BB-46) の建造(起工、進水、就役)がネームシップの「コロラド」(USS Colorado, BB-45) よりも1年から2年ほど早かったために[注釈 6]、メリーランド級と呼称することもある[注釈 7]。
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船体のみ完成した「ワシントン
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海没処分にされる「ワシントン」
艦形について
[編集]就役後から第一次大戦後
[編集]コロラド級の船体形状は前級に引き続き長船首楼型船体である。鋭く前方に傾斜したクリッパー型艦首から艦首甲板上に「Mark 1 1921年型 40.6cm(45口径)砲」を連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基、2番主砲塔の基部から甲板よりも一段高い艦上構造物が始まり、その上に司令塔が立つ。司令塔の背後から箱型の艦橋が立ち船橋(ブリッジ)で接続させていた。艦橋を基部として当時のアメリカ海軍の大型艦の特色である籠状の前部マストが立つ。前部マストの下部に航海艦橋、頂上部に露天の見張り所を持つ。
船体中央部に2本煙突が立ち、その周囲が艦載艇置き場となっており、1番煙突の側面部に片舷に1基ずつ立つ探照灯台を基部とするクレーン2基により運用された。2番煙突の後方で船首楼が終了し、そこから甲板一段分下がって籠状の後部マストと3番・4番主砲塔が後ろ向きに背負い式配置で2基が配置されていた。
コロラド級の副砲である「12.7cm(51口径)速射砲」は2番主砲塔後方の上部構造物上に単装砲架で片舷1基ずつ2基と、船体中央部にケースメイト(砲郭)配置で放射状に単装で5基の計12基を搭載していた。
第二次世界大戦時
[編集]「コロラド」は大戦前の1941年夏よりオーバーホールと改装を行い、艦橋構造を一部改正し、前部マストの頂上部に網状のレーダーアンテナを設置した。また籠状の後部マストを撤去し、新たに塔型の後部艦橋が設けられた。「メリーランド」と「ウェストバージニア」は真珠湾攻撃により損傷し、「メリーランド」は修理に際して「コロラド」に準じた改装を受けた。一方、大破着底した「ウエスト・バージニア」は浮揚された後に大改装を行い、改装前の上部構造物を撤去して上部構造物を新設し、サウス・ダコタ級に近似した塔型艦橋に1本煙突、後部マストをもつ外観となった。
3隻とも改装の際に副武装と対空火器を一新、砲郭式の舷側単装副砲を全廃(「メリーランド」を除く)、旧来の対空火器を12.7cm(38口径)連装両用砲やボフォース 40mm(56口径)4連装機関砲、MK.V(エリコンSS) 20mm 単装機関砲といった新型対空火器に更新している。
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改装後の「コロラド」
1944年7月24日の撮影。 -
改装後の「メリーランド」
1945年4月撮影。 -
大改装後の「ウエスト・バージニア」
1944年7月撮影。
兵装
[編集]主砲
[編集]コロラド級の主砲は新開発のMark 1 1921年型 40.6cm(45口径)砲を採用している。これを新設計の連装砲塔に納めた。その性能は「テネシー級」の35.6cm砲弾よりも約4割増しの重量957.1kgの主砲弾を最大仰角30度で射距離31,360mまで届かせる事ができる性能で、射距離14,630mで舷側装甲376mmを、射距離18,290mで292mmを貫通できる性能であった。装填機構は固定角度装填で仰角1度で装填、発射速度は毎分1.5発であった。砲身の仰角は30度・俯角4度で動力は電動モーターによる駆動であり補助に人力を必要とした。旋回角度は左右150度の旋回角が可能であった。
第2次大戦時、損傷修理時に新型砲塔のMark 5&8 1938年型 40.6cm(45口径)砲に更新された。その性能は重量1,016kgの主砲弾を最大仰角30度で射距離31,910mまで届かせる事ができる性能で、射距離15,360mで舷側装甲457mmを、射距離22,400mで356mmを貫通でき、射程20,120mで甲板装甲102mmを、射程31,550mで甲板203mmを貫通できる性能であった。装填機構は固定角度装填で仰角1度で装填、発射速度は毎分1.5発であった。砲身の仰角は30度・俯角4度で動力は電動モーターによる駆動であり補助に人力を必要とした。旋回角度は左右150度の旋回角が可能であった。
射距離 | 対垂直甲鈑 |
---|---|
6,000ヤード(5,490m) | 25.8インチ(655mm) |
9,000ヤード(8,230m) | 22.2インチ(564mm) |
12,000ヤード(10,920m) | 18.9インチ(480mm) |
16,000ヤード(14,630m) | 14.8インチ(376mm) |
20,000ヤード(18,288m) | 11.5インチ(292mm) |
射距離 | 仰角 | 落角 | 存速(m/s) | 対垂直甲鈑 | 対水平甲鈑 |
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10,000ヤード(9,144m) | 5.11° | 5.92° | 612 | 572mm | 39mm |
14,000ヤード(12,802m) | 7.68° | 9.47° | 559 | - | - |
15,000ヤード(13,716m) | - | 12.2° | 547 | 488mm | 64mm |
20,000ヤード(18,288m) | 12.30° | 16.33° | 497 | 412mm | 90mm |
24,000ヤード(21,946m) | 15.98° | 22.00° | 469 | - | - |
25,000ヤード(22,860m) | - | 23.55° | 464 | 349mm | 121mm |
30,000ヤード(27,432m) | 22.73° | 31.68° | 449 | 297mm | 158mm |
34,000ヤード(31,090m) | 28.32° | 38.65° | 450 | - | - |
35,000ヤード(32,004m) | - | 49.47° | 453 | 254mm | 207mm |
副砲、その他武装等
[編集]副砲は前級に引き続きMarks 7 1910年型 12.7cm(51口径)速射砲を採用した。その性能は重量22.7 kgの砲弾を最大仰角15度では射程14,490 mまで届かせられるこの砲を舷側ケースメイトで18基ずつ、甲板上に露天で4基の計14基を搭載した。砲架の俯仰能力は仰角20度・俯角15度である、旋回角度は露天で300度、ケースメイトで最大150度の旋回角度を持つが実際は上部構造物により射界に制限を受けた。砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に人力を必要とした。発射速度は前型の毎分6発から毎分8~9発へと向上した。
対空火器として1914年型 7.62cm(50口径)高角砲が搭載された。その性能は重量5.9 kgの砲弾を最大仰角85度では射程9,270 mまで届かせられる。この砲を単装砲架でメリーランドは4基、コロラド以後は8基搭載した。砲架の俯仰能力は仰角85度・俯角15度である、旋回角度は露天で360度の旋回角度を持つが、ケースメイトでは旋回角に制限があった。砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に人力を必要とした。発射速度は毎分15~20発である。
その他に対艦用に53.3cm魚雷発射管を水線下に2門を装備した。
就役後の武装変換
[編集]高角砲は1928年から1930年にかけて、12.7cm25口径単装高角砲へと交換された。同時に対空機銃として12.7mm単装機銃8丁を搭載した。 主砲関連の装備に大きな変更はないが、1928年に超重砲弾(Super Heavy Shell)がアメリカ海軍に採用されたのに伴って1935年から順次揚弾機構などの改修が行われている。[17]
航空兵装の追加も大きな点である。学研の『アメリカの戦艦』によれば、1921年に就役した「メリーランド」は当初は航空兵装を搭載しておらず、1922年5月22日に艤装中の「コロラド」に圧縮空気式カタパルトが米戦艦で初めて搭載された。その後カタパルトの普及は進み、コロラド級各艦は1926年までに火薬式カタパルトの搭載改修を完了した。「コロラド」においては当初は艦尾に1基のみ搭載されていたカタパルトであったが、1925年に火薬式カタパルトに交換するとともに、第三砲塔上に1基追加され、結果的にコロラド級は全艦、合計2基のカタパルトと2機か3機の水上機を搭載するようになった。
ただし、1924年10月のものとされる右に掲げた写真では艦尾のカタパルトが撤去されており、1925年の改装を前に圧縮空気式のカタパルトはすでになかった可能性もある。
この節の加筆が望まれています。 |
機関
[編集]この時代のアメリカはタービン機関の開発に立ち遅れており、低速時の燃料消費に問題があった。これを改善すべくゼネラル・エレクトリック(GE)社は独自にターボ発電機推進を開発していた。この形式の利点はタービン機関を簡素化が可能で、直結タービンの欠点である低速時の燃費の悪化が少ない利点があった。また防御上の利点ではボイラー室と推進機関の構成に自由度が高かった。ただし、万能と言う訳ではなく、動力の伝達ロスがタービン機関の約5倍、また発電機と電動モーターの小型化が難しく、製造コストも高いという問題点もあった。このため、数を必要とする駆逐艦や艦形の小さい巡洋艦には採用されず、戦艦に主に採用された。軍艦の電気設備の増加や艦内空調の強化、真水製造器や食料保存用の冷蔵庫など、電気が欠かせない時代にあって、コロラド級が採用したターボ発電推進は魅力的であった。しかし、機関区が発電専門に特化していたため、コロラド級とテネシー級以前の戦艦が行ったような機関換装が行いづらく、高速化は技術的に難しかった。
機関構成はバブコック・アンド・ウィルコックス社製重油専焼水管缶8基に単胴タービン2基で発電した電力で電気モーター4基4軸推進で、公試において最大出力28,900 shpで最高速度21.0ノット、燃料9割搭載時に15ノットで12,400海里を発揮した。燃料消費量から重油4,570トンで速力15ノットで16,600海里を航行できるとされた。
発電タービンの形式は比較研究のために姉妹艦で別の形式が採用されており、「コロラド」、「メリーランド」はウェスティングハウス社製パーソンズ式単胴体タービン、「ワシントン」、「ウエスト・バージニア」はGE社製カーチス式単胴体タービンで異なっていた。
機関配置は船体中心部に位置する発電室にタービン発電機が前後に1基ずつ計2基が並べられた。発電室を左右から挟み込むようにボイラー室が舷側に配置され、1室あたりボイラー1基ずつが片舷4室に4基ずつ計8基が搭載された。この工夫によりボイラー室に被害を受けても他のボイラー室に被害を及ぼさないようにされ、さらに発電機をボイラー室が防御していた。発電された電力は制御盤を介して艦後部の機械室が縦隔壁2枚で3室に隔てられた推進器室に外側軸は1室に1基ずつ、中央軸は1室に並列で2基ずつ計4基が並べられた。
防御
[編集]コロラド級の防御様式は前級に比べて変更はなく広範囲を防御する全体防御形式である。舷側装甲帯は1番主砲塔から4番主砲塔の弾薬庫を防御すべく長さ125m・高さ5.2mの範囲を防御した。水線部装甲は上側203mm、最厚部で343mm、下側203mmとテーパーしている。水線下防御は多層水雷防御を採用しており、船体長の2/3にあたる前後に広く防御していた。水雷防御は水線下に約5.3mの奥行があり、4枚の隔壁で5層構造で内側の空気の1層と液体で満たした4層で防御していた。
水平甲板の装甲は前級から引き続き、舷側装甲と接続した主甲板装甲で敵弾を受け止め、剥離した装甲板の断片(スプリンター)を下甲板で受け止める複層構造とした。主甲板が最厚部で89mm、下甲板が38~57mでどちらも傾斜しない。
主砲塔の装甲は前盾は457mm、側盾254mm、後盾229mm、天蓋127mmと重装甲だった。基部のバーベットは甲板上は320mmであった。
艦歴
[編集]1936年2月に大日本帝国が第二次ロンドン海軍軍縮会議から脱退すると建艦競争への懸念が高まり、アメリカ海軍も1937年初頭にノースカロライナ級戦艦の建造を開始した[18]。 同時期[19]、日本海軍の第三次海軍補充計画において[20]、18インチ砲を搭載して30ノットを発揮する5万トン級戦艦(大和型戦艦)を複数建造するという観測があり、16インチ砲搭載型で22ノットの「メリーランド級戦艦」は劣勢を余儀なくされた[注釈 8]。
1941年12月8日、太平洋戦争開戦時の真珠湾攻撃では、「メリーランド」が九七式艦上攻撃機の800kg徹甲爆弾(長門型戦艦の16インチ砲弾を改造)1発を被弾、さらに250kg爆弾1発の命中と至近弾多数を受けて小破した。「ウェストバージニア」に対する九七艦攻の水平爆撃は不発弾だったが、魚雷複数本が左舷に命中し、大破着底した。「コロラド」は西海岸ピュージェット・サウンド海軍工廠で入渠中で、真珠湾攻撃を免れることが出来た。
早期に修理を終わらせた「メリーランド」と「コロラド」は、近代化改装を受けながら後方警戒任務(ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦い)、対地支援任務などに従事する[21](中部太平洋の戦い、タラワの戦い、サイパン島の戦い、ペリリューの戦い、フィリピン攻略戦、硫黄島の戦い、沖縄戦など)。 ピュージェット・サウンド海軍工廠で修理を兼ねて大改造をおこなった「ウェストバージニア」は1944年10月のレイテ沖海戦が復帰戦となり、スリガオ海峡夜戦では「ウェストバージニア」と「メリーランド」が参加して戦艦「山城」を撃沈した[22]。沖縄戦では戦艦「大和」との対決を望んだにもかかわらず、「大和」が航空攻撃で沈んだので艦隊決戦の機会を逸した。またレイテ沖海戦から終戦まで、コロラド級3隻は幾度か日本陸海軍航空隊の特攻攻撃を受け、少なからず損害を被っている[22]。
第二次世界大戦終結後のコロラド級3隻は実戦投入されることもなく、全艦とも1947年までに退役した。戦艦時代の終わりと共にいずれもスクラップとして売却処分された。
同型艦
[編集]- コロラド (BB-45)
- メリーランド (BB-46)
- ワシントン (BB-47) - 軍縮条約により標的艦として1924年(大正13年)11月25日に自沈処分。艦名はノースカロライナ級戦艦のワシントン (BB-56)に引き継がれる。
- ウェストバージニア (BB-48)
出典
[編集]注釈
[編集]- ^ 亞米利加合衆國 戰艦メェリーランド(一九二一年七月竣工)[5] 基準排水量三一五〇〇噸。(全載量三三五九〇噸、時速二一節。一九一六年、第四六號艦として認可。コロラド(四五號艦)及びウェスト・ヴァジニア(四八號艦)と同型。旗艦たるに適ふ。砲塔並びに後尾甲板上に各々一基カタパルトを有す。幾らか全載量の大なる外は殆どカルフヲルニア級と大同小異。華府海軍條約に依り廢棄。
- ^ 亞米利加合衆國 戰艦カリフヲルニア(一九二一年八月竣工)[5] 基準排水量三二六〇〇噸。(全載量三三一九〇噸)時速二一節。一九一五年、第四四號艦として認可。テンネェシイ(四三號艦)と同型。旗艦たるに適す。現在第三砲塔にカタパルトを有す。
- ^ 第二條[10] 締約國ハ第二章第一節ニ掲クル主力艦ヲ各自保有スルコトヲ得本條約實施ノ上、合衆國、英帝國及日本國ノ既成又ハ建造中ノ他ノ一切ノ主力艦ハ第二章第二節ノ規定ニ從ヒ之ヲ處分スヘシ但シ本條中ノ左ノ諸規定ヲ留保ス
合衆國ハ第二章第一節ニ掲クル主力艦ノ外現ニ建造中ノ「ウェスト、ヴァージーニア」級二隻ヲ完成シ之ヲ保有スルコトヲ得 右二隻完成ノ上ハ「ノース、ダコータ」及「デラウェーア」ハ第二章第二節ノ規定ニ從ヒ之ヲ處分スヘシ
英帝國ハ第二章第三節ノ代換表ニ從ヒ基準排水量各三萬五千噸(三萬五千五百六十「メートル」式噸)ヲ超エサル新主力艦二隻ヲ建造スルコトヲ得右二隻完成ノ上ハ「サンダラー」「キング・ジョージ」五世、「エージャックス」及「センチューリオン」ハ第二章第二節ノ規定ニ從ヒ之ヲ處分スヘシ - ^ 第二章 本條約實施ニ關スル規則及用語ノ定義 第一節 締約國ノ保有シ得ヘキ主力艦[13] 各締約國ハ第二條ノ規定ニ從ヒ本節ニ掲クル軍艦ヲ保有スルコトヲ得 合衆國ノ保有シ得ヘキ軍艦 艦名「メリーランド」噸數三二,六〇〇(中略)第二條ノ規定ニ從ヒ「ウェスト、ヴァージーニア」級二隻ヲ完成シ且「ノース、ダコータ」及「デラウェーア」ヲ廢棄シタル上ハ五十二萬五千八百五十噸ナリ(以下略)
- ^ 各国廃棄艦のうち、ノースダコタ(アメリカ海軍)、センチュリオン(イギリス海軍)、摂津(日本海軍)が標的艦に改造された。
- ^ コロラド (BB-45) 起工:1919年5月29日、進水:1921年3月22日、就役:1923年8月30日。メリーランド (BB-46) 起工:1917年4月24日、進水:1920年3月20日、就役:1921年7月21日。
- ^ 【メリーランド型】ウエストヴアージニア號[14](戰闘部隊戰艦旗艦兼第四戰艦隊旗艦、アンダーソン少将坐乗、艦長マークランド大佐) メリーランド號(艦長マツキー大佐)要目=一九二一年竣工、排水量三万千五百トン、速力二〇.七ノツト、主砲十六インチ砲八門、副砲五インチ砲十二門、高角砲五インチ砲八門
- ^ 日本の十八吋備砲の巨艦[7] 元ブルークリン海軍工廠の司令官で現代の海軍造艦術の權威と見られてゐる退役海軍少将エーブ・スターリング提督は去る日曜のハースト紙に「日本の計畫する十八吋砲の巨艦建造は太平洋海軍力の均衡を覆やす」と言ふ題で、軍人らしい率直な意見を吐いている。(中略)目下の現勢では日米兩海軍は五=三の率を保つてゐるが、日本はロンドン會議脱退後自由建艦を計劃し聞く所に依ると十八吋の巨砲を搭せ時速卅節を有する五萬噸の巨艦四隻を建造しやうと云ふ事であるが是が實現し、愈々有艦なるを示したなら目下米國海軍の最大艦たる戰艦メリランド號級三萬五千噸十六吋砲時速廿二節の戰艦は劣勢舊式として不用に歸し、米國も已むを得ず同様の巨艦を建造せねばならぬやうになる。(以下略)
脚注
[編集]- ^ 『アメリカの戦艦』(学研)巻末資料及び"Conway All The World's Fightingships 1906–1921"p.118ならびに"Conway All The World's Fightingships 1922-1946"p.92より
- ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 128a-133アメリカ/メリーランド級
- ^ 海戦の変貌 1943, p. 177(原本316-317頁)ロ、長門、陸奥斯くて出現
- ^ a b 戦艦の話 1938, pp. 19–20原本28-30頁
- ^ a b 世界海軍大写真帖 1935, p. 42.
- ^ a b c d ジョーダン、戦艦 1988, p. 128b.
- ^ a b “其日のトピツク 天涯生”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nichibei Shinbun, 1937.06.05. pp. 01. 2024年7月22日閲覧。
- ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 124–127アメリカ/カリフォルニア級
- ^ 匝瑳胤次、軍縮会議 1934, p. 13原本16頁
- ^ a b c 帝国法規、外交篇 1933, p. 561原本570-571頁
- ^ a b 海軍五十年史 1943, pp. 144–146(原本266-271頁)五・五・三の比率
- ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 64–67イギリス/ネルソン級
- ^ 帝国法規、外交篇 1933, p. 563原本574頁
- ^ 南方圏要覧 1942, p. 202原本385頁
- ^ This data is from "Elements of US Naval Guns" of 1918 and General Board file 430 (1916) as published in "US Naval Weapons." It is corrected for angle of fall.
- ^ This data is from "Battleships: United States Battleships 1935-1992" and is based upon the USN Empirical Armor Penetration Formula. These values are in substantial agreement with armor penetration curves published in 1942 as published in "US Naval Weapons."
- ^ 『アメリカの戦艦』p.129
- ^ “列強各國共に軍備の悩み 軍縮軍擴に變る”. Hoji Shinbun Digital Collection. Yuta Nippō, 1937.01.13. pp. 01. 2024年7月22日閲覧。
- ^ “社説 日本の巨艦建造”. Hoji Shinbun Digital Collection. Nichibei Shinbun, 1936.04.03. pp. 02. 2024年7月22日閲覧。
- ^ “五万噸の超弩級二隻を 日本海軍が建造 世界最大の巨艦”. Hoji Shinbun Digital Collection. Kashū Mainichi Shinbun, 1937.01.20. pp. 02. 2024年7月22日閲覧。
- ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 130.
- ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, p. 131.
参考文献
[編集]- ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8。
- 「世界の艦船 増刊第22集 近代戦艦史」(海人社)
- 「世界の艦船 増刊第83集 近代戦艦史」(海人社)
- 「世界の艦船 増刊第28集 アメリカ戦艦史」(海人社)
- 『アメリカの戦艦』歴史群像太平洋戦史シリーズVol.58(学研)
- 「Conway All The World's Fightingships 1906–1921」(Conway)
- 「Conway All The World's Fightingships 1922-1946」(Conway)
- 「Jane's Fighting Ships Of World War I」(Jane)
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 朝日新聞社「第十三章 大東亞戰爭」『南方圏要覧』朝日新聞社、1942年7月 。
- 佐藤市郎「第五篇 軍縮時代」『海軍五十年史』鱒書房、1943年5月 。
- 七田今朝一(元浅間艦長)『海戦の変貌』大新社、1943年3月 。
- 世界軍備研究会 編『世界海軍大写真帖』帝国軍備研究社、1935年6月 。
- 匝瑳胤次『一九三五年の軍縮会議と日本』明倫会本部、1934年9月 。
- 帝國法規出版株式会社 編纂「第五章 海軍軍備制限」『帝國法規 外交篇』帝国法規出版、1933年6月 。
- 海軍中佐早川成治『最新國防叢書 第九輯 艦隊の編制の話』科学主義工業社、1938年3月 。
- 海軍大佐藤澤宅雄『最新國防叢書 第一輯 戰艦の話』科学主義工業社、1938年3月 。