ゲイリー・ブラバム
ゲイリー・ブラバム | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | オーストラリア |
生年月日 | 1961年3月29日(63歳) |
出身地 | イングランド・ロンドンウィンブルドン |
引退 | 1995年 |
親族 |
ジャック・ブラバム(父) ジェフ・ブラバム(兄) デビッド・ブラバム(弟) リサ・サックウェル(義妹) マシュー・ブラバム(甥) |
インディカー・ワールドシリーズでの経歴 | |
活動時期 | 1993-94 |
所属 |
ディック・サイモン・レーシング ベッテンハウゼン・モータースポーツ |
出走回数 | 2 |
優勝回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
シリーズ最高順位 | 40位 (1993) |
過去参加シリーズ | |
1982 1985 1986-88 1987 1989 1989-90 1990 1990-91 1991 |
オーストラリア・フォーミュラフォード選手権 イギリス・フォーミュラフォード2000 イギリスF3選手権 世界ツーリングカー選手権 イギリスF3000選手権 国際F3000選手権 F1 オーストラリア耐久選手権 IMSA GT選手権 |
選手権タイトル | |
1989 1991 |
イギリスF3000選手権 セブリング12時間レース |
基本情報 | |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1990年 |
所属チーム | ライフ |
出走回数 | 2 (0 starts) |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1990年アメリカグランプリ |
最終戦 | 1990年ブラジルグランプリ |
ゲイリー・ブラバム(Gary Brabham、1961年3月29日 - )は、オーストラリアの元レーシングドライバー。イギリス・ロンドン出身。1989年イギリスF3000選手権チャンピオン。
父は元F1世界チャンピオンのジャック・ブラバム。また兄のジェフ・ブラバム、弟のデビッド・ブラバムもレーシングドライバーで、ゲイリー自身もイギリスを中心にレース活動をした。
経歴
[編集]ブラバムは1982年にオーストラリア・フォーミュラフォード選手権でデビューし、イギリス・フォーミュラフォード2000で2シーズン、イギリス・フォーミュラ3選手権で3シーズンを戦い、イギリスF3000選手権でシリーズチャンピオンを獲得した。彼はまた他のカテゴリーにも参加し、その中にはBMWによる1987年バサースト1000なども含まれる。1988年にはスコティッシュ・スーパープリで優勝。同年12月にヘレスで行われたF1合同テストでベネトン・フォーミュラから声がかかりテストに参加。ベネトン・B188をドライブしてF1マシンを初運転。すでに経験をもつベネトンテストドライバーのジョニー・ダンフリーズより好タイムを記録した[1]。翌1989年にもF1テストドライブの機会があり、4月にシルバーストンで行われたブラバム・BT58の3号車のシェイクダウンテストを依頼され、「かつて親父が作ったチームのF1マシンに乗れるのはうれしい。今日はシェイクダウンだからエンジン回転数も押さえて走っていたけど、いつかF1レギュラーになってもっと本格的に走らせてみたいね。」とインタビューに答えた。なお、ブラバム・ファミリーがブラバムのF1マシンに乗ったのは1977年に長男のジェフ・ブラバムがBT45のテストをして以来のことだった[2]。
1990年、1カーエントリーでF1への新規参戦を開始したライフと契約し開幕戦からF1参戦したが、ライフ・L190は後年に「F1の歴史上最も戦闘力を持たないマシン」と呼ばれるような代物で[3]、予選通過もまま成らず、まともに走行ができないチームに見切りをつけ[注 1]、第2戦ブラジルGPをもって自らチームを離脱した[4]。その後ミドルブリッジ・レーシングのシートを獲得し、国際F3000選手権に参戦。この会見では「F1から一歩後退と思う人が多いと思うが、やり直す絶好の機会だと考えている。救いの手を差し伸べてくれたチームに恩返しがしたい」と意欲を語り、表彰台に立つなど活躍した。なお、この年のミドルブリッジF3000シートは元々弟のデビッドが乗るはずのシートだったが、デビッドが'90年第3戦から急遽ブラバムF1のシートを得ることになったため、入れ替わるかたちでゲイリーが乗ることになった[5]。
その後は兄のジェフと共に日産チームから1991年にセブリング12時間レースに参加、優勝を果たし、オーストラリア耐久選手権に参戦した。1993年、1994年にはCARTにスポット参戦している。
引退後はプライベート面で度々問題を引き起こし、2003年、2007年、2016年に婦女暴行で逮捕されている。
レース戦績
[編集]通算成績
[編集]年 | カテゴリー | 順位 | 使用車両 | チーム |
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1982年 | オーストラリア・フォーミュラフォード選手権 | 12位 | ビラーナ-フォード | |
1986年 | イギリスF3選手権 | 5位 | ラルト RT30 フォルクスワーゲン | ジャック・ブラバム・レーシング |
1987年 | 6位 | ラルト RT31 フォルクスワーゲン | ||
1988年 | 2位 | ラルト RT32 フォルクスワーゲン | ボウマン・レーシング | |
1989年 | イギリスF3000選手権 | 1位 | レイナード 88D コスワース DFV | ブロムリー・モータースポーツ |
1989年 | 国際F3000選手権 | 17位 | レイナード 88D コスワース DFV マーチ 89B ジャッド |
ブロムリー・モータースポーツ レイトンハウス・レーシング |
1990年 | 11位 | ローラ T90/50 コスワース DFV | ミドルブリッジ・レーシング | |
1990年 | オーストラリア耐久選手権 | 17位 | フォード・シエラ RS500 | トニー・ロングハースト・レーシング |
1991年 | IMSA GTP選手権 | 40位 | 日産・NPT-90 日産・GTP ZX-T |
ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー |
イギリス・フォーミュラ3選手権
[編集]年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986年 | ジャック・ブラバム・レーシング | ラルト・RT30/86 | VW | A | A | THR DNA |
SIL 6 |
THR 11 |
SIL 2 |
BRH 5 |
THR | DON 10 |
SIL 4 |
SIL DNS |
OUL |
ZAN |
DON |
SNE |
SIL 5 |
BRH 4 |
SPA |
ZOL 15 |
SIL 4 |
5位 | 22 | |
1987年 | ラルト・RT31 | A | SIL C |
THR 5 |
BRH 2 |
SIL 1 |
THR 4 |
SIL Ret |
BRH 4 |
THR 7 |
SIL 9 |
ZAN Ret |
DON |
SIL 33 |
SNE 7 |
DON 1 |
OUL 6 |
SIL 5 |
BRH | SPA | THR | 6位 | 37 | |||
1988年 | ボウマンレーシング | ラルト・RT32 | A | THR 8 |
SIL 5 |
THR 2 |
BRH 3 |
DON Ret |
SIL 4 |
BRH Ret |
THR 2 |
SIL 4 |
DON |
SIL |
SNE 2 |
OUL 1 |
SIL 8 |
BRH 1 |
SPA Ret |
THR 1 |
SIL 1 |
2位 | 81 |
国際F3000選手権
[編集](key) 太字:ポールポジション 斜体:ファステストラップ
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989年 | ブロムリー・モータースポーツ | SIL Ret |
VLL 8 |
PAU | JER 13 |
PER | 18位 | 2 | ||||||
レイトンハウス・レーシング | BRH 5 |
BIR DNQ |
SPA 11 |
BUG Ret |
DIJ Ret |
|||||||||
1990年 | ミドルブリッジ・レーシング | DON |
SIL Ret |
PAU DNQ |
JER 12 |
MNZ 3 |
PER 3 |
HOC 14† |
BRH 8 |
BIR DNQ |
BUG 8 |
NOG 11 |
11位 | 8 |
F1
[編集](key)
年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | ライフ・レーシング・エンジンズ | ライフ L190 | ライフ W12 | G | USA DNPQ |
BRA DNPQ |
SMR | MON | CAN | MEX | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA | POR | ESP | JPN | AUS | NC | 0 |
CART
[編集]年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
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1993年 | ディック・サイモン・レーシング | SRF 14 |
PHX |
LBH |
INDY |
MIL |
DET |
POR |
CLE |
TOR |
MIS |
NHM |
ROA |
VAN |
MDO |
NZR |
LS |
40位 | 0 |
1994年 | ベッテンハウゼン | SRF Ret |
PHX |
LBH |
INDY |
MIL |
DET |
POR |
CLE |
TOR |
MIS |
MDO |
NHM |
VAN |
ROA |
NZR |
LS |
52位 | 0 |
ル・マン24時間レース
[編集]年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1989年 | チーム・シュパン | ヴァーン・シュパン エイエ・エリジュ |
ポルシェ・962C | C1 | 321 | 13位 | 10位 |
参照
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ブラバムにはチームから移動交通費用が一切支払われておらず、第2戦ブラジルでは空港でたまたま同じ便の飛行機に乗っていたアラン・プロストがタクシーに同乗させてくれたためサーキット現地にたどり着けたが、その時点ではチームが本当にインテルラゴスまでやって来るのかすら知らされていなかった 出典:ライフ・チームの内部は 事情通from PressRoom グランプリ・エクスプレス '90サンマリノGP号 31頁 1990年6月2日発行
出典
[編集]タイトル | ||
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先代 - |
イギリスF3000チャンピオン 1989 |
次代 ペドロ・チャベス |