世界首都ゲルマニア
世界首都ゲルマニア(せかいしゅとゲルマニア、ドイツ語: Welthauptstadt Germania)とは、ドイツ首都ベルリンが広く国内外で「世界の首都」と讃えられるよう、アドルフ・ヒトラーがグランド・デザインを考え、建築家アルベルト・シュペーアが細部デザインを任された都市改造構想である。戦時下であっても土地収用や工事は並行して行われていた。
概要
[編集]小規模で設計・建造を進めながらも後に1933年にアルベルト・シュペーアが総合建設計画「ゲルマニア」(Germania) 計画として本格的に具体化設計・建設総指揮を担ったベルリン改造計画の名。欧州有数の大都会ながら建築の面では地方的であり見劣りのしたベルリンを、ロンドンやパリをしのぐ世界の首都にふさわしい外観と規模のものにしようとした大計画であった。シュペーアの回想録によれば、1941年6月の独ソ戦開始時点のヒトラーの考えでは、1945年に戦争に勝利した後、1950年に世界首都ゲルマニアを完成させて自身は引退する予定であったと記述されている。結局ごく一部が建設されたのみで敗戦を迎え、完成する事は無かった。
建設予算
[編集]計画初年である1939年より完成予定年である1950年までの11年間にて、年に国家予算の約4%にあたる5億マルク(即ち総額55億マルク)を拠出・資金投入する見積もりが立てられていたとされる[1]。
膨大な支出に対する批判について、ベルリン市関係者に対しては既存首都再開発案とは別案(メクレンブルク遷都計画案)の存在も示唆して牽制を行なったり、或いは部分的に別名目化可能な工事には個別の財源から支出させる(例えばベルリン鉄道網再編成に関する工事はドイツ帝国鉄道予算から、交通整備に関する工事はベルリン市予算から)事で国家財源支出負担額を減らす等、問題化を避ける方策を実行している。フリードリヒ通りに取って代わる新たな南北縦貫メインストリートについても建設予定地の大半は比較的地価が低く、沿道に社屋建設を望んでいた企業からも支持された[1]。
それでも閣内不一致覚悟で反対の姿勢を崩さないルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク蔵相に対しては、「大蔵大臣には、この建築が(将来のドイツ)国家にとってどんなに凄い(観光収入)財源になるか分からないのだ。ルートヴィヒ2世はどうだ。城(ノイシュヴァンシュタイン城)の建設費で常識はずれの浪費家と言われた(詳細は「ルートヴィヒ2世の精神病について」参照の事)が、外国人の大部分はそれがあるからバヴァリア(バイエルン州)に来るではないか」とヒトラーが反論し、一蹴されている[1]。
幻に終わった建造物
[編集]- 新南北縦貫メインストリートと飛行場
- それまでのベルリン南北縦貫メインストリートであるフリードリヒ通りに取って代わり、道幅120m [注釈 1]・南北5kmの道路とされた。後述するフォルクス・ハレより南方向に伸びるルートは、現:96号線道路にほぼ近く(但し、無数の細かい蛇行や、途中で接しているラントヴェーア運河沿いに添って一旦大きく東に迂回する事は無く、幾何学的なまでに直線状の道路として)、旧テンペルホーフ空港ターミナルビルまで続く。フォルクス・ハレ以北部分については、北方向ではなく北西方向に折れる形で伸び、長方形型の巨大人工池を間に挟む形で(反対側である南端に配置されるテンペルホーフ空港に匹敵する巨大規模の)空港ビルまで続く[2]。両空港飛行場を取り巻くように環状道路が6本、放射状道路が17本作られる様になっていた。
- 東西横断メインストリート
- 旧来よりベルリンを東西1.4km・道幅60m [注釈 2]に渡り横断していた(間にブランデンブルク門を挟み、一直線に繋がっている)二本の東西メインストリート(ウンター・デン・リンデンおよび(ティーアガルテン公園中央を横切る)シャルロッテンブルガー・ショセー(現:6月17日通り))を一体化。現在、ティーアガルテン公園中央ロータリーにある戦勝記念塔は、この整備計画の一環として、帝国議会(現:国会議事堂)前広場より移転された。前述の新南北縦貫メインストリートとは、ブランデンブルク門西手前およびフォルクス・ハレ南手前付近で十字路に交差する。
- ベルリン中央駅
- 新南北縦貫メインストリートの出発点。後述している「ベルリン・テンペルホーフ国際空港」本館ターミナル建物の北方向向かいに立地(東西ドイツ統合後に造られた現ベルリン中央駅、および旧東ドイツ末期に「ベルリン中央駅」を名乗っていたベルリン東駅とは、立地場所など全く異なる)。プラットホームは上下4層あり、エレベーターとエスカレーターで行き来可能とした。
- 国家中枢区画
- 都市の南の端には総統宮殿と大理石の巨大な凱旋門がそびえ立つ。新メインストリートは凱旋門から始まる。11の政庁ビルがあり、2万人収容の映画館、1,500のベッド数を持つ21階建てホテルがある。
- フォルクス・ハレ(別名「聖杯神殿」)(de:Große Halle)
- 新南北縦貫メインストリートの端(シュプレー川にノルトハーフェン川がT字状に繋がる地点および現:シュプレーボーゲン公園敷地地点)にはドーム型集会ホール「フォルクス・ハレ(邦訳:国民会議場)」が威容を誇る。1,200人の議席がある国会議事堂(当時の国会は議員席は580席で足りるが、ドイツとは異なる国籍を持ちドイツ国外に居住しているゲルマン系諸民族代表議員達も参加する事を展望していた)なども予定されていた。
完成部分
[編集]現存する建物(現在、閉鎖中の建物も含む)
[編集]- ベルリン・オリンピアシュタディオン(1936年完成)
- 航空省庁舎(de:Detlev-Rohwedder-Haus) - 途中から、ゲルマニア計画の一部に組み込まれる。現在は、連邦財務省ビル。
- 国民啓蒙・宣伝省庁舎 - 戦後は東ドイツ政府庁舎を経て、現在は連邦労働社会省が入居。
- ライヒスバンクビル - 東ドイツ時代は支配政党の社会主義統一党本部。現在は外務省の一部庁舎。
- ヘルマン・ゲーリング街 - 現在のゲルトルート・コルマー街。
- 戦勝記念塔 - 国会議事堂前の広場からティーアガルテン中央部へ移転。
- 在ドイツ日本大使館(1942年完成) - 戦後は西ドイツの首都がボンになったこともあり、長い間使用されずに放置されていた。1985年より壁面保存の形で修復されてベルリン日独センターとして使用後、首都機能のベルリンへの復帰に伴い、再度増改築の上で2001年より再び日本大使館として使用されている。
- テンペルホーフ空港公園(旧ベルリン・テンペルホーフ国際空港) - 本館ターミナル部分はゲルマニア計画に基づき設計(担当:エルンスト・ザーゲビール)・建築され、戦後から2008年10月31日の閉鎖までそのまま活用された。
- 在ドイツイタリア大使館(1930年完成) - 1943年に閉鎖された後に長らく放置されていたが、修復を加えて2003年に再開。
- フェーアベリナー広場周辺のビル - オフィスビルに活用。
-
ベルリン・オリンピアシュタディオン
-
ドイツ航空省庁舎
-
ライヒスバンク
-
旧ベルリン・テンペルホーフ国際空港
-
フェーアベリナー広場近くのビル
現存しない建物
[編集]ゲルマニアを扱った作品
[編集]ウィキペディアはオンライン百科事典であって、名鑑、名鑑の各項目、電子番組ガイド(EPG)あるいは商業活動に役立つ情報源ではありません。 |
- 小説・映画『ファーザーランド』 - 原作:ロバート・ハリス、映画作品名は『ファーザーランド~生きていたヒトラー~』(1994年)。ナチス関連の記録ドキュメンタリーや伝記作品の映像中で、縮尺ジオラマ模型のゲルマニアを眺めるヒトラーの様子が数多く登場しているが、本作ではドイツが第二次世界大戦で勝利した後の並行世界(1960年代後半)が舞台である為、制作当時の最新特撮技術「マットペインティング」を駆使してそこに実在する実物都市としてのゲルマニアの景観を随所で映像化している。
- 小説・TVドラマ『高い城の男』 - 原作:フィリップ・K・ディック、TVドラマ版は『高い城の男 (テレビドラマ)』。前述の『ファーザーランド』同様、本作でもドイツ(および日本・イタリア)が第二次世界大戦で勝利した後の並行世界(1962年)が舞台であり、最新の特撮技術「3次元コンピュータグラフィックス」を駆使した実物都市として映像化している。
- 小説『ヒトラーの建築家』 - 原作:東秀紀、NHK出版。
- ドキュメンタリー『失われた世界の謎』シリーズ 第6回『ヒトラーの巨大都市』(ヒストリーチャンネル)
- ドキュメンタリー『ナチスの素顔』シリーズ 第4回『ヒトラーの建築家』(ナショナルジオグラフィックチャンネル)
- ドキュメンタリー『ヒトラー完全ガイド』シリーズ 第6回『破滅へのカウントダウン』(ディスカバリーチャンネル)
- ドキュメンタリー『ナチス・ドイツの巨大建造物』シリーズ シーズン4(同シーズン公式HP) 第3回『プロパガンダ・マシーン (原題: Hitler's Propaganda Machine) 』(ナショナルジオグラフィックチャンネル)
- 漫画『月の海のるあ』 - 原作:野上武志、少年画報社。本作では全世界の1/3を統治する大ドイツ帝国の首都として登場する。ただし総統はヒトラーではなく、SSやナチズムも排斥されている模様。
- アニメ『終末のイゼッタ』 - 監督:藤森雅也、脚本:吉野弘幸。本作ではナチスドイツに酷似した(但し、一党独裁国家ではなく帝政親政軍事国家)ゲルマニア帝国の首都として登場する。
- 映画『アドルフの画集』 - 若かりし日の画家ヒトラーが、持ち歩いてるスケッチブックに夢想した都市風景・建造物(フォルクスハレの原型など)を描き溜め、友人になっていた富豪ユダヤ人画商に才能を認められる描写が登場する。
- アニメ『ストライクウィッチーズ』シリーズ シーズン3 『ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN』 第12回(最終話)「それでも私は守りたい」 - 敵生命体側の最終兵器として登場する。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 参考:赤の広場(ロシア連邦モスクワ市)広場敷地幅130m、大通公園(北海道札幌市)公園幅および両側道路幅105.45m、通称「100m道路」(「若宮大通」および「久屋大通」(愛知県名古屋市)、「平和大通り」(広島県広島市))道幅100m、カール=マルクス=アレー(ドイツ・ベルリン(旧東ベルリン地区))道幅90m、柳町公園(北海道釧路市)公園幅および両側道路幅83m
- ^ 参考:シャンゼリゼ通り(フランス・パリ)道幅70m、ヴァーツラフ広場(チェコ・プラハ)広場敷地幅および両側道路幅70m、人民大街(旧「満州国新京市」時代の呼称は「大同大街」。中華人民共和国・吉林省・長春市)道幅54m、青葉通り(東半分)(宮城県仙台市)道幅50m、昭和通り道幅44m、御堂筋(大阪府大阪市)道幅43.6m
出典
[編集]- ^ a b c 『ナチスの発明 知られざるナチスの真実 -特別編集版-』内『第4章 夢の残骸』内『1 世界首都ゲルマニア構想』内『◆莫大な予算』(著:武田知弘、彩図社 ISBN 978-4-88392-633-6)参考。
- ^ ゲルマニア計画完成後のベルリンおよび現ベルリン比較地図
- ^ 眠りから覚めたシュプレーパーク(1枚の写真から始まるベルリン発掘の散歩術/中村真人)
関連項目
[編集]- 総統都市 - 1937年にヒトラーが都市改造を命令した五つの都市。
- 世界首都ゲルマニア(ベルリン)
- 党運動首都(ミュンヘン)
- ドイツ海運首都(ハンブルク)
- 党大会都市(ニュルンベルク)
- 総統都市(リンツ) - 建築家ヘルマン・ギースラー(de:Hermann Giesler)が設計を担当していた。
- ベルリンの歴史
- アルベルト・シュペーア - ゲルマニア計画の細部デザイン、および建設実行の責任者でもあったヒトラー政権末期の軍需相・新古典主義建築家。
- ミース・ファン・デル・ローエ - ナチスから嫌われたバウハウス出身でありながら、デザイン担当候補に最後まで加えられていた。
- ブライトシュプールバーン - ナチスドイツ版高速鉄道構想。幅6m、15両編成の二階建て巨大列車が時速250kmで運行。
- プローラ - ナチスがバルト海に面したリューゲン島に建設した歓喜力行団海水浴場保養所施設(長さ4.5km)。一棟500mの長さのビル8棟全てが一直線に内部で連結されており、20,000人の労働者が休暇を過ごすために計画されていた。
- アルベルト・シュペーア・ジュニア - シュペーアの長男で建築家。2008年北京オリンピックのマスタープランを担当した際に父親の世界首都ゲルマニア計画との類似性からドイツ国内外で物議を醸した[1][2]。
外部リンク
[編集]ドイツ語
[編集]- Erlaß über den Generalbauinspektor für die Reichshauptstadt
- Abbildungen und Informationen zur Planung
- Skizzen und Kurzbeschreibung der Verkehrsplanung
- „Germania“ - Die Umgestaltung Berlins (ab 1937)
- Ausstellung "Mythos Germania" des Berliner-Unterwelten e.V.
- Sim City – "Welthauptstadt GERMANIA"(Internet ARChive 保管版)
- ^ “Olympic hubris”. ガーディアン. (2007年8月13日) 2018年7月29日閲覧。
- ^ “The House of Speer: Still Rising on the Skyline”. ニューヨーク・タイムズ. (2003年2月7日) 2018年7月29日閲覧。