グラントハイツ駅
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(ケーシー駅から転送)
グラントハイツ駅* | |
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ぐらんとはいつ Grant Heights | |
◄練馬倉庫 (3.5 km) | |
所在地 | 東京都練馬区光が丘2丁目 |
所属事業者 | 東武鉄道 |
所属路線 | 啓志線 |
キロ程 | 6.3 km(上板橋起点) |
開業年月日 | 1946年(昭和21年)3月25日 |
廃止年月日 | 1959年(昭和34年)7月22日[1]** |
備考 |
* 1947年(昭和22年)6月に啓志駅から改称 ** 1948年(昭和23年)2月26日より営業休止、1957年(昭和32年)8月1日より全面閉鎖 |
グラントハイツ駅(グラントハイツえき)は、かつて東京都練馬区に存在した東武鉄道啓志線の駅(廃駅)である。
概要
[編集]1943年(昭和18年)、上板橋 - 陸軍第一造兵廠構内(東京第一陸軍造兵廠練馬倉庫に所在。現在の陸上自衛隊練馬駐屯地)間が完成。終戦後、GHQにより成増陸軍飛行場跡(後のグラントハイツ)までの延伸と運行が命じられたことにより、啓志線が1946年(昭和21年)3月25日に全線開通し、終着駅である啓志駅(けいしえき)として開業。駅名はグラントハイツの総工事責任者であったヒュー・ジョン・ケイシー少将(またはその息子のヒュー・ボイド・ケイシー中尉)の名前に由来する。1947年(昭和22年)6月にグラントハイツ駅に改称され、同年から1948年(昭和23年)にかけて、池袋駅から約30分間隔で当駅まで、ノンストップの駐留アメリカ軍専用列車が運転された。また、貨物列車も池袋駅 - 北池袋駅間の西山信号所(廃止)から東上本線に乗り入れ、グラントハイツまで向かっていた。
1959年(昭和34年)7月22日に啓志線が廃止されたことに伴い、当駅も同日廃止された。
歴史
[編集]- 1946年(昭和21年)3月25日 東武啓志線の全線開通に際し、啓志駅として開業[2]。
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)2月26日 啓志線の旅客営業廃止[2]。
- 1957年(昭和32年)8月1日 啓志線全線閉鎖に伴い営業休止。
- 1959年(昭和34年)7月22日 啓志線が正式に廃止されたことにより廃駅[1][2]。
駅構造
[編集]グラントハイツ敷地内に側線が数本あり、その内の1本が当駅として使用されており、発着ホームがあった[3]
駅周辺
[編集]- 秋の陽公園(この公園内に当駅があったと考えられている[3])
- 東京都立田柄高等学校
- 練馬区立光が丘第四中学校
- 練馬区立光が丘秋の陽小学校
隣の駅
[編集]- 東武鉄道
- 啓志線
- 練馬倉庫駅 - グラントハイツ駅
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 航空写真(昭和22年) - 地図情報ねりまっぷ(練馬区)
- グラントハイツエクスプレス(東武啓志線〈東上線:上板橋〉)