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セント・アルドウィン伯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ケニントン子爵から転送)
セント・アルドウィン伯爵
Earl St Aldwn
Arms of the Earl St Aldwyn

紋章記述

Arms: Quarterly: 1st & 4th, Vair Argent and Gules, a Canton Azure, charged with a Pile Or (Beach); 2nd & 3rd, Gules, a Fess wavy, between three Fleurs-de-lis Or (Hicks). Crests: 1st: a Demi-Lion rampant Argent, ducally gorged Or, holding in the paws an Escutcheon Azure, charged with a Pile Or (Beach). 2nd: a Buck’s Head couped at the neck Or, gorged with a wreath of Laurel proper (Hicks). Supporters: Dexter: a Knight armed cap-à-pie in English armour of the 14th century, his jupon charged with the arms of ‘Beach’. Sinister: a Knight armed cap-à-pie in English armour of the 14th century, his jupon charged with the arms of ‘Hicks’.

創設時期1915年2月22日
創設者ジョージ5世
貴族連合王国貴族
初代マイケル・ヒックス・ビーチ(9代準男爵)
現所有者マイケル・ヒックス・ビーチ英語版(3代伯)
推定相続人デイヴィッド・ヒックス・ビーチ
相続資格初代伯の直系の嫡出の男系男子
付随称号セント・アルドウィン子爵
ケニントン子爵
(ビーバーストン城の)準男爵
現況現存
モットーTOUT EN BON HEURE
(All in good time)

セント・アルドウィン伯爵(Earl St Aldwyn)は、連合王国貴族伯爵位。1915年保守党の政治家第9代準男爵マイケル・ヒックス・ビーチが叙されたのに始まる。爵位名はグロスターシャーコルン・セント・アルドウィン英語版に由来する。

歴史

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初代セント・アルドウィン伯爵マイケル・エドワード・ヒックス・ビーチ

イングランド女王エリザベス1世(1533-1603,在位1558-1603)の宰相初代バーリー男爵ウィリアム・セシル(1520-1598)の秘書だったマイケル・ヒックス英語版(1543-1612)は、グロスターシャービーバーストン英語版エセックスのラックホルト(Ruckholt)の土地を購入し、1604年8月6日にイングランド王ジェームズ1世(1566-1625,在位1603-1625)によりナイトに叙された[1]

彼の息子であるウィリアム・ヒックス英語版(1596–1680)は、1619年7月21日にイングランド準男爵位の(グロスター州におけるビーバーストン城の)準男爵(Baronet "of Beverston Castle in the County of Gloucester")に叙せられ、ピューリタン革命前に3度にわたって庶民院議員に選出された[2]

初代準男爵の死後、息子への継承が4代続いたが、4代準男爵ロバート・ヒックス(生年不詳-1768)には子供がなく、従兄弟にあたるジョン・バプティスト・ヒックス(生年不詳-1792)が5代準男爵を継承した[3]。しかし彼にも子供はなかったため、彼の死後には初代準男爵に遡っての分流であるハウ・ヒックス(1722–1801)が6代準男爵を継承した[4]。6代準男爵の死後はその息子ウィリアム・ヒックス(1754–1834)が7代準男爵を継承したが、彼にも男子がなかった[5]

一方6代準男爵の次男マイケル・ヒックス(1760-1830)は、妻の家名「ビーチ(Beach)」を加えて「ヒックス・ビーチ(Hicks-Beach)」に改姓し、コルン・セント・アルドウィン英語版に近いウィリアムズトリップ・パーク(Williamstrip Park)で暮らしていた[6]。このマイケルの孫にあたるマイケル・ヒックス・ヒックス・ビーチ英語版(1809–1854)が7代準男爵の死後に8代準男爵を継承している[7]

その息子である9代準男爵マイケル・エドワード・ヒックス・ビーチ(1837–1916)は、ヴィクトリア朝保守党政権で閣僚職を歴任し、1906年1月6日連合王国貴族爵位グロスター州におけるコルン・セント・アルドウィンのセント・アルドウィン子爵(Viscount Saint Aldwyn, of Coln St Aldwyn in the County of Gloucester)に叙され、ついで1915年2月22日に連合王国貴族爵位グロスター州におけるコルン・セント・アルドウィンのセント・アルドウィン伯爵(Earl Saint Aldwyn, of Coln St Aldwyn in the County of Gloucester)グロスター州におけるケニントンのケニントン子爵(Viscount Quenington, of Quenington in the County of Gloucester)に叙せられた[8][9]

彼の息子であるケニントン子爵(儀礼称号)マイケル・ヒュー・ヒックス・ビーチ英語版(1877-1916)は、第一次世界大戦エジプトで戦死したため[10]、初代伯の死後にはケニントン子爵の遺児(つまり初代伯の孫)であるマイケル・ジョン・ヒックス・ビーチ英語版(1912-1992)が爵位を継承した[9][11]

2017年現在の当主はその息子である3代伯爵マイケル・ヘンリー・ヒックス・ビーチ(1950-)である[9][12]

現当主の保有爵位/準男爵位

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現当主マイケル・ヘンリー・ヒックス・ビーチは以下の爵位を保有している[9][12]

  • グロスター州におけるコルン・セント・アルドウィンの第3代セント・アルドウィン伯爵 (3rd Earl Saint Aldwyn, of Coln St Aldwyn in the County of Gloucester)
    (1915年2月22日勅許状による連合王国貴族爵位)
  • グロスター州におけるコルン・セント・アルドウィンの第3代セント・アルドウィン子爵 (3rd Viscount Saint Aldwyn, of Coln St Aldwyn in the County of Gloucester)
    (1906年1月6日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • グロスター州におけるケニントンの第3代ケニントン子爵 (3rd Viscount Quenington, of Quenington in the County of Gloucester)
    (1915年2月22日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • (グロスター州におけるビーバーストン城の)第11代準男爵 (11th Baronet "of Beverston Castle in the County of Gloucester")
    (1619年7月21日の勅許状によるイングランド貴族準男爵位)

歴代当主

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(ビバーストンの)準男爵(1619年)

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  • 初代準男爵サー・ウィリアム・ヒックス英語版 (William Hicks, 1596–1680)
  • 2代準男爵サー・ウィリアム・ヒックス (William Hicks, 1629–1703) - 先代の息子
  • 3代準男爵サー・ヘンリー・ヒックス (Henry Hicks, 3rd Baronet, 1666–1755) - 先代の息子
  • 4代準男爵サー・ロバート・ヒックス (Robert Hicks, 生年不詳-1768) - 先代の息子
  • 5代準男爵サー・ジョン・バプティスト・ヒックス (John Baptist Hicks, 生年不詳-1792) - 先代の従兄弟(2代準男爵に遡っての分流)
  • 6代準男爵サー・ハウ・ヒックス (Howe Hicks, 1722–1801) - 先代のはとこ(初代準男爵に遡っての分流)
  • 7代準男爵サー・ウィリアム・ヒックス (William Hicks, 1754–1834) - 先代の息子
  • 8代準男爵サー・マイケル・ヒックス・ヒックス・ビーチ英語版 (Michael Hicks Hicks Beach, 1809–1854) - 先代の弟の孫
  • 9代準男爵サー・マイケル・エドワード・ヒックス・ビーチ (Michael Edward Hicks Beach, 1837–1916) - 先代の息子。1906年にセント・アルドウィン子爵、1915年にセント・アルドウィン伯爵

セント・アルドウィン伯 (1915年)

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脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ Stephen, Leslie; Lee, Sidney, eds. (1891). "Hicks, Michael" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 26. London: Smith, Elder & Co.
  2. ^ Lundy, Darryl. “Sir William Hicks, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Sir John Baptist Hicks, 5th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  4. ^ Lundy, Darryl. “Sir Howe Hicks, 6th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “Sir William Hicks, 7th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “Michael Hicks-Beach” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  7. ^ Lundy, Darryl. “Sir Michael Hicks-Beach, 8th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  8. ^ Lundy, Darryl. “Michael Edward Hicks-Beach, 1st Earl Saint Aldwyn” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  9. ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Saint Aldwyn, Earl (UK, 1915)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年11月16日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “Michael Hugh Hicks-Beach, Viscount Quenington” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  11. ^ Lundy, Darryl. “Michael John Hicks-Beach, 2nd Earl Saint Aldwyn” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
  12. ^ a b Lundy, Darryl. “Michael Henry Hicks-Beach, 3rd Earl Saint Aldwyn” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。

関連項目

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