セント・アルドウィン伯爵
セント・アルドウィン伯爵 Earl St Aldwn | |
---|---|
Arms: Quarterly: 1st & 4th, Vair Argent and Gules, a Canton Azure, charged with a Pile Or (Beach); 2nd & 3rd, Gules, a Fess wavy, between three Fleurs-de-lis Or (Hicks). Crests: 1st: a Demi-Lion rampant Argent, ducally gorged Or, holding in the paws an Escutcheon Azure, charged with a Pile Or (Beach). 2nd: a Buck’s Head couped at the neck Or, gorged with a wreath of Laurel proper (Hicks). Supporters: Dexter: a Knight armed cap-à-pie in English armour of the 14th century, his jupon charged with the arms of ‘Beach’. Sinister: a Knight armed cap-à-pie in English armour of the 14th century, his jupon charged with the arms of ‘Hicks’. | |
創設時期 | 1915年2月22日 |
創設者 | ジョージ5世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | マイケル・ヒックス・ビーチ(9代準男爵) |
現所有者 | マイケル・ヒックス・ビーチ(3代伯) |
推定相続人 | デイヴィッド・ヒックス・ビーチ |
相続資格 | 初代伯の直系の嫡出の男系男子 |
付随称号 | セント・アルドウィン子爵 ケニントン子爵 (ビーバーストン城の)準男爵 |
現況 | 現存 |
モットー | TOUT EN BON HEURE (All in good time) |
セント・アルドウィン伯爵(Earl St Aldwyn)は、連合王国貴族の伯爵位。1915年に保守党の政治家第9代準男爵マイケル・ヒックス・ビーチが叙されたのに始まる。爵位名はグロスターシャーのコルン・セント・アルドウィンに由来する。
歴史
[編集]イングランド女王エリザベス1世(1533-1603,在位1558-1603)の宰相初代バーリー男爵ウィリアム・セシル(1520-1598)の秘書だったマイケル・ヒックス(1543-1612)は、グロスターシャーのビーバーストンやエセックスのラックホルト(Ruckholt)の土地を購入し、1604年8月6日にイングランド王ジェームズ1世(1566-1625,在位1603-1625)によりナイトに叙された[1]。
彼の息子であるウィリアム・ヒックス(1596–1680)は、1619年7月21日にイングランド準男爵位の(グロスター州におけるビーバーストン城の)準男爵(Baronet "of Beverston Castle in the County of Gloucester")に叙せられ、ピューリタン革命前に3度にわたって庶民院議員に選出された[2]。
初代準男爵の死後、息子への継承が4代続いたが、4代準男爵ロバート・ヒックス(生年不詳-1768)には子供がなく、従兄弟にあたるジョン・バプティスト・ヒックス(生年不詳-1792)が5代準男爵を継承した[3]。しかし彼にも子供はなかったため、彼の死後には初代準男爵に遡っての分流であるハウ・ヒックス(1722–1801)が6代準男爵を継承した[4]。6代準男爵の死後はその息子ウィリアム・ヒックス(1754–1834)が7代準男爵を継承したが、彼にも男子がなかった[5]。
一方6代準男爵の次男マイケル・ヒックス(1760-1830)は、妻の家名「ビーチ(Beach)」を加えて「ヒックス・ビーチ(Hicks-Beach)」に改姓し、コルン・セント・アルドウィンに近いウィリアムズトリップ・パーク(Williamstrip Park)で暮らしていた[6]。このマイケルの孫にあたるマイケル・ヒックス・ヒックス・ビーチ(1809–1854)が7代準男爵の死後に8代準男爵を継承している[7]。
その息子である9代準男爵マイケル・エドワード・ヒックス・ビーチ(1837–1916)は、ヴィクトリア朝の保守党政権で閣僚職を歴任し、1906年1月6日に連合王国貴族爵位グロスター州におけるコルン・セント・アルドウィンのセント・アルドウィン子爵(Viscount Saint Aldwyn, of Coln St Aldwyn in the County of Gloucester)に叙され、ついで1915年2月22日に連合王国貴族爵位グロスター州におけるコルン・セント・アルドウィンのセント・アルドウィン伯爵(Earl Saint Aldwyn, of Coln St Aldwyn in the County of Gloucester)とグロスター州におけるケニントンのケニントン子爵(Viscount Quenington, of Quenington in the County of Gloucester)に叙せられた[8][9]
彼の息子であるケニントン子爵(儀礼称号)マイケル・ヒュー・ヒックス・ビーチ(1877-1916)は、第一次世界大戦でエジプトで戦死したため[10]、初代伯の死後にはケニントン子爵の遺児(つまり初代伯の孫)であるマイケル・ジョン・ヒックス・ビーチ(1912-1992)が爵位を継承した[9][11]。
2017年現在の当主はその息子である3代伯爵マイケル・ヘンリー・ヒックス・ビーチ(1950-)である[9][12]。
現当主の保有爵位/準男爵位
[編集]現当主マイケル・ヘンリー・ヒックス・ビーチは以下の爵位を保有している[9][12]。
- グロスター州におけるコルン・セント・アルドウィンの第3代セント・アルドウィン伯爵 (3rd Earl Saint Aldwyn, of Coln St Aldwyn in the County of Gloucester)
- グロスター州におけるコルン・セント・アルドウィンの第3代セント・アルドウィン子爵 (3rd Viscount Saint Aldwyn, of Coln St Aldwyn in the County of Gloucester)
- グロスター州におけるケニントンの第3代ケニントン子爵 (3rd Viscount Quenington, of Quenington in the County of Gloucester)
- (1915年2月22日の勅許状による連合王国貴族爵位)
- (グロスター州におけるビーバーストン城の)第11代準男爵 (11th Baronet "of Beverston Castle in the County of Gloucester")
歴代当主
[編集](ビバーストンの)準男爵(1619年)
[編集]- 初代準男爵サー・ウィリアム・ヒックス (William Hicks, 1596–1680)
- 2代準男爵サー・ウィリアム・ヒックス (William Hicks, 1629–1703) - 先代の息子
- 3代準男爵サー・ヘンリー・ヒックス (Henry Hicks, 3rd Baronet, 1666–1755) - 先代の息子
- 4代準男爵サー・ロバート・ヒックス (Robert Hicks, 生年不詳-1768) - 先代の息子
- 5代準男爵サー・ジョン・バプティスト・ヒックス (John Baptist Hicks, 生年不詳-1792) - 先代の従兄弟(2代準男爵に遡っての分流)
- 6代準男爵サー・ハウ・ヒックス (Howe Hicks, 1722–1801) - 先代のはとこ(初代準男爵に遡っての分流)
- 7代準男爵サー・ウィリアム・ヒックス (William Hicks, 1754–1834) - 先代の息子
- 8代準男爵サー・マイケル・ヒックス・ヒックス・ビーチ (Michael Hicks Hicks Beach, 1809–1854) - 先代の弟の孫
- 9代準男爵サー・マイケル・エドワード・ヒックス・ビーチ (Michael Edward Hicks Beach, 1837–1916) - 先代の息子。1906年にセント・アルドウィン子爵、1915年にセント・アルドウィン伯爵
セント・アルドウィン伯 (1915年)
[編集]- 初代セント・アルドウィン伯マイケル・エドワード・ヒックス・ビーチ (Michael Edward Hicks Beach, 1837–1916)
- 2代セント・アルドウィン伯マイケル・ジョン・ヒックス・ビーチ (Michael John Hicks Beach, 1912–1992) - 先代の孫
- 3代セント・アルドウィン伯マイケル・ヘンリー・ヒックス・ビーチ (Michael Henry Hicks Beach, 1950-) - 先代の息子
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Stephen, Leslie; Lee, Sidney, eds. (1891). . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 26. London: Smith, Elder & Co.
- ^ Lundy, Darryl. “Sir William Hicks, 1st Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir John Baptist Hicks, 5th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Howe Hicks, 6th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir William Hicks, 7th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Michael Hicks-Beach” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Sir Michael Hicks-Beach, 8th Bt.” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Michael Edward Hicks-Beach, 1st Earl Saint Aldwyn” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
- ^ a b c d Heraldic Media Limited. “Saint Aldwyn, Earl (UK, 1915)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2017年11月16日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Michael Hugh Hicks-Beach, Viscount Quenington” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
- ^ Lundy, Darryl. “Michael John Hicks-Beach, 2nd Earl Saint Aldwyn” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
- ^ a b Lundy, Darryl. “Michael Henry Hicks-Beach, 3rd Earl Saint Aldwyn” (英語). thepeerage.com. 2017年11月25日閲覧。
関連項目
[編集]- ゲインズバラ伯爵―同族。