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グレタ・チェッケッティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グレタ・チェッケッティ
Greta Cecchetti
SGホールディングスギャラクシースターズ #81
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 イタリアの旗 ボッラーテ
生年月日 (1989-03-24) 1989年3月24日(35歳)
身長・体重 183cm
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
選手経歴
国際大会
代表チーム  イタリア
五輪 2021
世選/W杯 2012201420162018


イタリア国旗の刺繍があしらわれたグラブ (2023年)

グレタ・チェッケッティGreta Cecchetti1989年3月24日 - )は、イタリアロンバルディア州ボッラーテ出身の女子ソフトボール選手(投手)。元SGホールディングスギャラクシースターズ所属。ソフトボールイタリア代表JDリーグにおける登録名はグレータ・チェッケッティ

経歴

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ソフトボールをしていた叔母の影響で、7歳でソフトボールを始める[1]

2004年に国内リーグ・セリエA1ボッラーテに入団。2005年には6勝を挙げリーグ優勝に貢献。以降、同チームで長くプレーした。

高校卒業後はアメリカフロリダ州ポーク州立大学英語版ポークステート・イーグルス)に進学し、先発投手として活躍した[2]。3年次からはテキサスA&M大学コーパスクリスティ校英語版テキサスA&Mコーパスクリスティ・アイランダーズ英語版)に転籍し[3]、イタリアで生まれ育ったソフトボール選手として初めてNCAAディビジョンI英語版でプレーした選手となった[4]

2006年[注 1]イタリア代表に初招集。2007年、オランダエンスヘデで開催された世界ジュニア選手権に出場。その後はイタリア代表のエースとして、2012年から2018年にかけて4大会連続で世界選手権(現ワールドカップ)に出場した。

ヨーロッパ選手権では4個の金メダル(2007年・2015年・2019年・2021年)を獲得している。

2021年に開催された東京オリンピックにも出場。第1戦のアメリカ[5]、第2戦のオーストラリア[6]、第4戦のメキシコ[7]、第5戦のカナダ[8]で先発を任されたが、いずれも敗戦投手となりイタリア代表はグループステージで敗退した[注 2][9]

2022年、JDリーグ創設と同時にSGホールディングスギャラクシースターズに入団[10][11]。初年度はカーヤ・パーナビーとの2枚エースとして14試合に登板。6勝3敗・防御率2.14・奪三振31の成績を残し、チームのプレーオフ進出に貢献した。2023年は10試合に登板し、4勝3敗・防御率3.14・奪三振25の成績を残したが、6月のシーズン前半戦終了をもって退団した。

SGホールディングスギャラクシースターズ退団直後の2023年8月の欧州カップウィナーズカップに、レアヴェンドルス・カロンノの補強選手として出場[注 3]キューバ代表ジリアン・トルネスとの2枚エースとして7試合中5試合に登板し、チームの準優勝に貢献した[12]。この時のチームメイトには、他に元日本代表江口未来子ベネズエラ代表ユルビー・アリカルトなどがいた[13][14]

2022年からアスリーツ・アンリミテッドにも参戦している[4][11]

選手としての特徴

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ムービングボールを得意としている[1]。2023年4月に野球YouTubeチャンネル『トクサンTV』がSGホールディングスギャラクシースターズを訪問した際には、長身から繰り出すスピードボールが持ち味と紹介され、キャッチャーを座らせて、ドロップ、カーブ、ライズボール、チェンジアップを披露した[15]

人物・エピソード

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エリカ・ピアンカステッリと共に、イタリア人として初めて日本のソフトボールリーグ(日本リーグ/JDリーグ)でプレーした選手[4]エリカ・ピアンカステッリとはイタリア代表SGホールディングスギャラクシースターズなどで10年近くにわたり共にプレーしている。

背番号18に愛着を持っているが、SGホールディングスギャラクシースターズでは三原千空が着用していたため「81」を選んだ[1]

子供の頃からオリンピックに出場することと海外でプレーすることを夢に抱いており、ともに実現させた。尊敬するアスリートとして、元プロテニス選手のロジャー・フェデラーの名前をあげている[1]

妹のラーラ・チェッケッティLara)、従妹のエリーザ・チェッケッティElisa)もソフトボール選手で、イタリア代表ボッラーテで共にプレーしている。

詳細情報

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背番号

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  • 81(2022 - 2023)

脚注

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注釈

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  1. ^ 2004年と記載する資料もある。
  2. ^ 第3戦の日本戦は登板機会なし。
  3. ^ 本大会は、他チームからの補強選手としての出場が可能。

出典

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外部リンク

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