グレイビス・バスケス
トロント・ラプターズでのヴァスケス (2015年) | |
バーミンガム・スクアドロン AC | |
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ポジション | PG |
役職 | アシスタントコーチ |
シュート | 右手 |
基本情報 | |
愛称 | G.V. |
スペイン語 | Greivis Josue Vásquez Rodríguez |
国籍 | ベネズエラ |
生年月日 | 1987年1月16日(37歳) |
出身地 |
首都地区 ミランダ州カラカス |
身長(現役時) | 198cm (6 ft 6 in) |
体重(現役時) | 91kg (201 lb) |
ウィングスパン(現役時) | 204cm (6 ft 9 in) |
キャリア情報 | |
出身 | メリーランド大学 |
ドラフト | 2009年 1巡目 28位 MEM |
選手経歴 | |
2010-2011 2011-2013 2013- 2013-2015 2015-2016 2016 |
メンフィス・グリズリーズ ニューオーリンズ・ホーネッツ サクラメント・キングス トロント・ラプターズ ミルウォーキー・バックス ブルックリン・ネッツ |
指導者経歴 | |
2019- | エリー・ベイホークス/バーミンガム・スクアドロン (AC) |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
代表歴 | |
キャップ | ベネズエラ 2007-2015 |
グレイビス・バスケス(Greivis Vasquez)ことグレイビス・ホスエ・バスケス・ロドリゲス(Greivis Josue Vásquez Rodríguez , 1987年1月16日 - )は、ベネズエラの元バスケットボール選手。NBAのニューオーリンズ・ホーネッツなどに所属していた。首都地区ミランダ州カラカス出身。ポジションはポイントガード。198cm、91kg。
来歴
[編集]NBA選手を目指す為に渡米したバスケスは、メリーランド州のモントロスクリスチャン高校に留学。ケビン・デュラント、伊藤大司とチームメイトとなった。卒業後、メリーランド大学に進学した。
1年次は当初先発出場していなかったが、シーズン途中からシューティングガードで先発するようになり、1試合平均9.8得点、4.7アシスト、3.3リバウンド、シュート成功率44.4%、3ポイントシュート成功率31.6%、フリースロー成功率79.8%の成績をあげた。2年次には平均17得点、6.8アシスト、5.7リバウンド、シュート成功率43.2%、3ポイントシュート成功率30.9%、フリースロー成功率78.2%の成績をあげた。
3年次にはチームトップの平均17.5得点、5.4リバウンド、5.0アシスト、1.40スティール、34.6分の出場を果たした。得点、リバウンド。アシストの3部門でトップになったのはメリーランド大学史上初めてのことであった。2009年2月21日のノースカロライナ大学戦では自己最高の35得点、11リバウンド、10アシストをあげて大学史上3人目となるトリプル・ダブルを達成し、オーバータイムでの勝利に貢献した[1]。この年バスケスはアトランティック・コースト・カンファレンスで7位の得点、3位のフリースロー成功率(86.7%)、3位のアシスト、5位の平均出場時間を記録した。61試合中57試合で二桁得点をあげ、最後の10試合中5試合で20得点以上をあげた。シーズン終了後NBAのワークアウトに参加、スカウトからも良い評価を受けるも、デッドライン直前にバスケスはアーリーエントリーをせず、大学に残ることを決めた。
4年次には平均19.6得点、6.3アシスト、4.6リバウンド、1.7スティールをあげた。このシーズン、カレッジバスケットボールで18得点以上、6アシスト以上を果たしたのは彼だけであった。バスケットボール殿堂よりボブ・クージー賞(NCAAで最優秀のポイントガードに与えられる賞)に選ばれた[2]。2010年2月20日のジョージア工科大学戦で2000得点を達成、カンファレンス史上初の2000得点、700アシスト、600リバウンドを達成した選手になった。翌週のバージニア工科大学戦では自己最高の41得点をあげて、ダブルオーバータイムの末勝利した[3]。この年バスケスはアトランティック・コースト・カンファレンス最優秀選手にも選ばれた。またオールアメリカンのセカンドチームにも選ばれた[4]。このシーズン、ベネズエラ代表にも選ばれた。
2010年のNBAドラフトにてメンフィス・グリズリーズに全体28位で指名された[5]。シーズン中はあまりプレイタイムをもらえなかったが、ウェスタン・カンファレンス第1シードのサンアントニオ・スパーズとのプレーオフ1回戦の第4戦、先発ポイントガードのマイク・コンリーがファウルトラブルに見舞われたこともあり、13分間の出場で9得点、2アシストをあげて104-86での勝利に貢献した。第6戦でも23分の出場で11得点をあげた。カンファレンス準決勝のオクラホマシティ・サンダー戦では高校時代のチームメートケビン・デュラントと対戦した。第4戦でコンリーがファウルアウト、バスケスは同点となる3ポイントシュートを決めたが、トリプルオーバータイムの末、チームは敗れた[6]。
2011年12月24日、クインシー・ポンデクスターとのトレードでニューオーリンズ・ホーネッツに移籍した[7]。
2012年2月1日のフェニックス・サンズ戦ではベンチスタートから、20得点、12アシストをあげた。
2013年7月10日、タイリーク・エバンスのサイン・アンド・トレードに絡んだ三角トレードでサクラメント・キングスに移籍したが、12月9日に、ルディ・ゲイが絡んだ大型トレードで、トロント・ラプターズに移籍。ラブターズ加入後は、カイル・ロウリーの控えを務めた。 2014年7月17日、ラブターズと2年1300万ドルで再契約。 2015年のNBAドラフトが開催された2015年6月25日、ミルウォーキー・バックスの同年の2巡目指名権との交換トレードでバックスに移籍した[8]。
2016年7月10日、ブルックリン・ネッツと契約した[9]ものの、11月8日に解雇され[10]、以降は契約に名乗り出るチームもなく引退。2019年からはコーチ業に転身している。
脚注
[編集]- ^ “Vasquez records triple-double to lead Maryland's rally past No. 3 UNC”. ESPN (2009年2月21日). 2012年3月17日閲覧。
- ^ “Maryland's Vasquez Named 2010 Bob Cousy Award Winner by Basketball Hall of Fame”. アトランティック・コースト・カンファレンス (2010年4月1日). 2012年9月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月17日閲覧。
- ^ “Terps outlast Va. Tech in double overtime”. ボルチモア・サン (2010年2月27日). 2012年3月17日閲覧。
- ^ “Greivis Vasquez Earns Consensus All-American Honors”. コムキャスト・スポーツネット (2010年4月3日). 2012年3月17日閲覧。
- ^ “Greivis Vasquez drafted, celebration begins”. ワシントン・ポスト (2010年6月24日). 2012年3月17日閲覧。
- ^ “Thunder-Grizzlies notebook”. nba.com (2011年5月9日). 2012年3月17日閲覧。
- ^ “HORNETS ACQUIRE GREIVIS VASQUEZ”. nba.com (2011年12月24日). 2012年3月17日閲覧。
- ^ BUCKS ACQUIRE GREIVIS VASQUEZ
- ^ Nets To Sign Greivis Vasquez
- ^ Nets waive Greivis Vasquez and sign Yogi Ferrell
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 NBA、NBA日本、Basketball-Reference
- ESPN.com