コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

18号線 (ポーランド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クトノ - ピワ線から転送)
クトノ - ピワ線
基本情報
ポーランドの旗 ポーランド
路線記号 18
路線番号 420, 425
開業 1851年7月27日
全通 1862年12月4日
運営者 ポーランド国鉄
路線諸元
路線距離 247 km
軌間 1435 mm(標準軌
線路数 複線
複線区間 全区間
電化区間 全区間
電化方式 3000 V(直流
最高速度 140 km/h
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線
ABZg+l
W-F線、ウッチ - クトノ線
BHF
0.3 クトノ 108 m
BS2+l BS2+r
STR ABZgl
Kutno Azory Lokomotywownia連結線
HST eHST
3.3 クトノ・アゾリ (1925~) 111 m
STRr STR
クトノ - ブロドニツァ線
BS2c2 BS2lr
ワルシャワ - フランクフルト線
BHF
13.7 オストロヴィ 123 m
STR exKBHFa
Ostrowy Wąskotorowe
STR exSTRl
旧オストロヴィ - オゾルクーフ線(狭軌線)
STR+GRZq
ウッチ県 / クヤヴィ=ポモージェ県
HST
21.1 ルトコヴィツェ (1945~) 127 m
BHF
27.3 カリスカ・クヤフスキー (1890~) 130 m
HST
33.3 ヴィクトロヴォ (1948~) 111 m
BHF
38.6 チェルニゴフニェヴィツェ 106 m
HST
42.7 ゴワシェヴォ・クヤフスキー (1939~) 91 m
HST
47.1 ヴァジャンヘヴカ (1916~) 68 m
eKRZo exSTR+r
旧ヴウォツワヴェク港方面
STR exABZg+l
旧ヴウォツワヴェク - プシストロニェ線(狭軌線)
STR exKBHFe
Włocławek Wąskotorowe
BHF
54.8 ヴウォツワヴェク 61 m
HST
57.0 ヴウォツワヴェク・ザザムチェ (1967~) 58 m
HST
62.9 ブジェジエ 60 m
HST
69.2 ルバニェ (1923~) 71 m
BHF
77.2 ニェシャヴァ・ヴァガニェツ 90 m
STR exKBHFa
Nieszawa Wąskotorowa
STR exSTRl
旧ニェシャヴァ - ドブレ・アレクサンドロヴスキー線(狭軌線)
HST
84.2 トゥジュノ・クヤフスキー (1939~) 96 m
STR exSTR+l
旧ドブレ・アレクサンドロヴスキー方面(狭軌線)
ABZg+r exSTR
アレクサンドルーフ・クヤフスキー - ツィエホツィネック線
STR exKBHFe
Aleksandrów Kujawski Wąskotorowy
BHF
91.7 アレクサンドルーフ・クヤフスキー 74 m
eZOLL
旧ロシア・ドイツ国境線
BHF
95.9 オトウォチン 55 m
HST
101.5 ブジョザ(トルン) (1915~) 62 m
HST
103.2 トルン・チェルニェヴィツェ 57 m
ABZg+r
トルン - チェルニャホフスク線
BHF
109.1 トルン中央駅 45 m
BS2+l BS2+r
DST STR
Toruń Towarowy
STR ABZgl
ポズナン - トルン線
STR HST
111.7 トルン・クルチキー 46 m
STRl KRZo
ポズナン - トルン線
BS2c2 BS2r
DST
119.3 チエルピツェ信号場 55 m
HST
120.9 チエルピツェ・コンコイ 2016~ 55 m
HST
131.4 プジウービエ 54 m
BHF
138.7 ソレッツ・クヤフスキー 41 m
HST
148.7 ビドゴシュチ・ウェングノヴォ 36 m
ABZgl
ストルニル連結線
KRZu
ノヴァー・ヴィシュ・ヴィエルカ - グディニャ線
ABZg+r
ヘウムザ方面
BHF
152.3 ビドゴシュチ東駅 42 m
STR+l ABZgr
STR HST
154.4 ビドゴシュチ・ビエラヴィ 51 m
STR eABZgl exSTR+r
1964年移設
ABZg+r STR exSTR
連結線
DST HST exSTR
156.3 ビドゴシュチ・レシナ 53 m
STRr STR exSTR
ノヴァー・ヴィシュ・ヴィエルカ - グディニャ線
ABZg+r exSTR
ホジューフ - トチェフ線 (旧東部鉄道)
eABZg+l exSTRr
1964年移設
BHF
160.1 ビドゴシュチ中央駅 48 m
hKRZWae
ブルダ川
ABZgr
ホジューフ - トチェフ線
exKBHFa STR
旧ヴォンスコトロヴァ駅
exSTRr STR
旧ブロンベルク郡鉄道
KRZu
ホジューフ - トチェフ線
hKRZWae
ビドゴシュチ運河
HST
163.1 ビドゴシュチ・ザフード 50 m
DST
164.8 プロンディ信号場 54 m
HST
166.0 ビドゴシュチ・オソワグーラ 55 m
HST
170.0 パウーヴェク 1925~ 66 m
BHF
173.1 ジェロンチン 62 m
HST
180.2 ジュリレシン 68 m
ABZg+r
オレシュニツァ - ホイニツェ線
exSTR+r STR
カスプロヴォ方面(旧ブロンベルク郡鉄道)
exKBHFe BHF
186.9 ナクウォ(ノテツ) 75 m
ABZgl
オレシュニツァ - ホイニツェ線
HST
195.1 アニェリニ 1895~、旧普通駅 63 m
BHF
198.7 サモストチェル 63 m
HST
202.8 ヤドヴィチン 1983~ 60 m
STR+GRZq
クヤヴィ=ポモージェ県 / ヴィエルコポルスカ県
BHF
208.2 ヴィジスク・オスレック 56 m
HST
214.0 クロストコヴォ 55 m
BHF
219.9 ビアウォシリヴィエ 62 m
KBHFa STR
ビアウォシリヴィエ・ヴォンスコトロヴァ駅
xABZgr STR
ビアウォシリヴィエ - ヴィトスワーフ線(保存鉄道)
exSTRl eKRZ
旧ノテチ川港方面
HST
227.0 ミアステチコ 62 m
BHF
236.8 カチョリ 87 m
eZOLL
旧ポーランド・ドイツ国境線
ABZg+l
ピワ - ポズナン線
BS2+rc BS2+r
トチェフ - コストシン線
WBRÜCKE1 WBRÜCKE1
グヴダ川
ABZg+l ABZgr+l
ピワ - ブゾヴォゴライ線
BHF BHF
247.2 ピワ 60 m
BS2l BS2r
ABZgr
ピワ - ウストカ線, Tcz-K線

18号線またはクトノ - ピワ線 (ポーランド語: Linia kolejowa Kutno–Piła) はポーランド共和国ウッチ県クトノとヴィエルコポルスカ県ピワを結ぶ複線の幹線鉄道である。中間経由地はトルンビドゴシュチで、ピワ - 旧ロシアドイツ国境区間はかつてプロイセン東部鉄道の管轄区間であった。

沿線概況

[編集]

列車がクトノ駅を出発すると、まずアゾリ駅近くの分岐点でブロドニツァ方面の鉄道が分岐する。この複線で電化された路線はまもなくワルシャワ - フランクフルト線から離れて北西の方へ伸びる。オストロヴィ駅はかつて狭軌のオストロヴィ - オゾルクーフ線と連結された。起点から次の遠距離列車停車駅であるヴロツワヴェク駅は、現在廃止された狭軌のヴウォツワヴェク - プシストロニェ線と連結された。この路線はその駅から北西の方へ伸びてニェシャヴァ=ヴァガニェツ駅に至る。その駅はニェシャヴァ町の中心部から北西の方に位置して、かつてグミナ・ドブレ方面の狭軌鉄道と連結された。この路線は北西の方へ伸びてアレクサンドルーフ・クヤフスキー駅の寸前に、現在旅客列車が通行しないアレクサンドルーフ・クヤフスキー - ツィエホツィネック線と接続する。

列車はかつてのロシア・ドイツ国境を通過してトルン中央駅へ向かう。トルン中央駅でこの路線はポズナン - トルン線およびトルン - チェルニャホフスク線と互いに接続する。列車はトルン中央駅を出発し西の方へ向かいソレッツ・クヤフスキー駅を通過してビドゴシュチ市に進入する。ブロドニツァ - ビドゴシュチ線がビドゴシュチ東駅の寸前にこの路線と合流して、ノヴァー・ヴィシュ・ヴィエルカ - グディニャ線が東駅の西端でこの路線と合流する。この路線はレシュナ駅までグディニャ方面の路線と並行する。石炭幹線鉄道 (ポーランド語: Magistrala węgglowa) の一部で過去グダニスク方面の東部鉄道本線の一部であったホジューフ - トチェフ線がこの路線に合流すると、列車はビドゴシュチュ中央駅に到着する。

ブルダ川鉄道橋の向こうにブロンベルク郡鉄道(ドイツ語: Bromberger Kreisbahn)の出発駅が過去にあって、狭軌線路はコロノヴォ方面に伸びた。列車は西の方へ走行してナクウォ(ノテツ)駅に到着する。その駅でオレシュニツァ - ホイニツェ線が交差して、カスプロヴォ方面の狭軌線は駅前からブロンベルク郡鉄道の一部として北の方へ伸びた。この路線は西の方へ続いて、ウィジスク中心地から数キロメートル離れているヴィジスク・オスレック駅に至る。ビアウォシリヴィエ駅には保存鉄道として運営される、狭軌のビアウォシリヴィエ - ヴィトスワーフ線が分岐する。列車がピワ中央駅に到着する寸前にピワ - ポズナン線、トチェフ - コストシン線、ピワ - ブゾヴォ・ゴライ線がこの路線に合流する。ピワ中央駅でピワ - ウストカ線とピワ - ウリコヴォ線が共に分岐して、ベルリン方面にトチェフ - コストシン線東部鉄道本線として続いて伸びる。

歴史

[編集]

プロイセン東部鉄道およびワルシャワ=ウィーン鉄道

[編集]

1849年11月5日東部鉄道管理局(ドイツ語: Königliche Direction der Ostbahn)はブロンベルク(現在ビドゴシュチ)で設立された。1851年7月27日にプロイセン東部鉄道はシュナイデミュール(現在ピワ)- ブロンベルク区間をルーガツ(現在クシジュ) - シュナイデミュール区間と共に開通した。1852年8月に本線はダンチヒまで延長されて、ベルリン - ダンチヒ間の列車通行はとりあえず可能となった。当時ベルリン方面の直通運転がまだできなくて、シュテッティンの迂回経路を取ることが必要であった。1857年12月にルーガツ - キュストリン(現在コストシン)区間およびかつてのキュストリン - フランクフルト線が開通されて、ベルリン方面の路線が大いに短縮された。

1861年10月24日ブロンベルク - トルン間が開通されて[1]、1862年12月4日にアレクサンドルーフ・クヤフスキーの国境線まで延長された[2]。同じ日にワルシャワ=ウィーン鉄道 (ポーランド語: Kolej Warszawsko-Wiedenska) はクトノからプロイセン=ロシア国境線まで単線の分岐線を完成した[3][4]

1879年王立プロイセン鉄道の組織改編によりアレクサンドル間はブロンベルク管理局に属することとなった[5]。1888年と1889年にかけて二番目の線路はブロンベルク - シュナイデミュール間に備えられた。1910年にはブロンベルク - トルン間が複線化された。1914年当時に北急行列車はこの路線を経由して、この路線がワルシャワとベルリンの区間で最も短い経路であった[6]。一方、ワルシャワ=ウィーン鉄道の区間は1912年12月19日に制定された法律により国有鉄道に属することとなった[4]

ポーランド国営鉄道

[編集]

第一次世界大戦の終戦後、ドイツ=ポーランドの国境線がベルサイユ条約により確定されて、この路線の場合、境界はカジョリ - シュナイデミュール間にあった。既存のロシア鉄道区間およびポーランドに帰属したプロイセン鉄道区間はポーランド国営鉄道 (ポーランド語: Polskie Koleje Państowowe, PKP) により引き受けられた。1937年にクトノ - トルン間は複線で改修された。ナチス・ドイツがポーランドを占領した間に、新線がビドゴシュチ東駅と中央駅の間に建設された。

第二次世界大戦の終戦後、この路線は完全にポーランドに帰属した。ビドゴシュチ市内の旧線区間は1964年に廃止された。1972年7月3日に鉄道事故がジエロンツィン駅とシュレシン駅の間に発生して、12人が死亡し26人が負傷を負った。

1980年8月19日に貨物列車と旅客列車の衝突事故がオトウォツィン村の付近で発生して、直接的な原因は貨物列車が安全側線から、停止信号にもかかわらず、反対方向の線路に進入したことである。この事故で67人が死亡し62人が負傷を負った[7]。1984年7月20日トルン - ビドゴシュチ間の電車線設置が完了して、1985年5月31日にはアレクサンドルーフ・クヤフスキー - トルン間で、同年12月21日にはクトノ - アレクサンドルーフ・クヤフスキー間で電気運転がそれぞれ実現された。最終電化改修は1989年12月23日ビドゴシュチ - ピワ間で完了した。

参考文献

[編集]
  • Andreas Geißler; Konrad Koschinski (1997). Deutscher Bahnkunden-Verband e. V.. ed (ドイツ語). 130 Jahre Ostbahn Berlin – Königsberg – Baltikum. Berlin: Ges. für Verkehrspolitik und Eisenbahnwesen. ISBN 3-89218-048-2 
  • Wolfgang Klee (1982) (ドイツ語). Preußische Eisenbahngeschichte. Stuttgart: Kohlhammer. ISBN 3-17-007466-0 
  • Victor von Röll, ed (1923) (ドイツ語). Enzyklopädie des Eisenbahnwesens (Eintrag zu Warschau-Wiener Bahn). Band 10 (2nd ed.). Berlin / Wien: Urban & Schrzenberg. pp. 277, 278. http://www.zeno.org/Roell-1912/K/roell-1912--101-0277 

外部リンク

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ “Anzeiger: Königliche Ostbahn” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 35): p. 423. (1861年10月29日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10934030?page=430,431 
  2. ^ “Mittheiling über Eisenbahnen und sonstige Transport-Anstalten” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 97): p. 929. (1862年12月3日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10934031?page=964,965 
  3. ^ “Anzeiger: Königliche Ostbahn” (ドイツ語). Zeitung des Vereins Deutscher Eisenbahn-Verwaltungen (No. 99): p. 951. (1862年12月10日). https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10934031?page=986,987 
  4. ^ a b Röll ed, (1923) Band 10, p. 278
  5. ^ W. Klee (1982). p. 179
  6. ^ Hendschels Telegraph, Mai 1914 (202. Berlin-Schneidemühl-Thorn-Alexandrowo-Warschau)” (ドイツ語). Ingolf Aschenbrenner. 2023年10月6日閲覧。
  7. ^ Archive for the ‘Otloczyn’ Category” (英語). Behind the Water Tower (WordPress.com) (2010年8月22日). 2023年10月7日閲覧。