キャリー・マリス
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(キャリィ・B・マリスから転送)
Kary Mullis キャリー・マリス | |
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生誕 |
1944年12月28日 アメリカ合衆国 ノースカロライナ州レノア |
死没 |
2019年8月7日 (74歳没) アメリカ合衆国 カリフォルニア州ニューポートビーチ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
研究分野 | 分子生物学 |
出身校 | |
博士論文 | Schizokinen: structure and synthetic work (1973) |
主な業績 | ポリメラーゼ連鎖反応 |
主な受賞歴 | |
プロジェクト:人物伝 |
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キャリー・バンクス・マリス(Kary Banks Mullis, 1944年12月28日 - 2019年8月7日[1])は、アメリカ合衆国の生化学者。ポリメラーゼ連鎖反応 (PCR) 法の開発で知られ、その功績により、1993年にノーベル化学賞を受賞した。
経歴
[編集]1944年 ノースカロライナ州レノアで生まれた。サウスカロライナ州コロンビアに移り住み、そこで成長した。ドレハー高校を経てジョージア工科大学卒。1973年にカリフォルニア大学バークレー校から博士号を与えられた。カリフォルニア州に移り、ニューポートビーチ、アンダーソンバレーに住んだ。バイオテクノロジーのシータス社に就職した。そこで、PCR法によるDNAの増幅方法を考案した。
後に、好熱菌のDNAポリメラーゼであるTaqポリメラーゼを用いる改良法が開発された。地球の分子生物学進展に大きな影響を与えた人物である。
免疫に関する研究を行うベンチャー企業を率いていたことが分かっている。
エイズについては、HIVはエイズの原因ではないとするカリフォルニア大学医学部のピーター・デュースバーグ (Peter Duesberg) の説を支持している。
- 当時の同僚で交際相手のジェニファーを乗せてのドライブ中(車種はホンダ・シビック[2])、現在PCRと呼ばれるDNAの増幅方法のアイデアがマリスの頭の中で突然ともいえる形で組み上がる。この閃きに自分でも驚き車を路肩に寄せて、手元にある紙片に化学式を書き留める[3]。発見の興奮の中「自分が思いつく位なら、他の者が既に発表してるはずだ」と過去の論文を片っ端からあたってみるものの、未発表と判明したが、一方で彼のアイディアを正しく評価する同僚はいなかった[4]。
- 1983年12月16日に実験成功[5]。分子生物学を揺るがす発明を同僚らに話すも重要性が伝わらなかった代わりに友人のビジネスマンが熱心に聞き入って「退職して、自分でパテントを取得してはどうか」と提案するも、その頃はまだ会社勤めが楽しかったマリスはシータス社社員として論文を発表。
- サーフィンが好きで、ノーベル賞受賞が決まった際にも海辺でサーフィンに興じていたことから「サーファーにノーベル賞」と大きく報じられた。かつてLSDやマリファナを使用していたことを公言するなど、奇行も多い人物である。ノーベル賞を確実視されていた一方、自身の言動によって審査員らから危険人物扱いされるためノーベル賞には縁が無いと自身は思い込んでいた。ノーベル財団から受賞の連絡を受けた際には「もらう!もらうよ!」と大喜びする。
- ノーベル賞授賞式にてカール・グスタフスウェーデン国王夫妻から晩餐会の歓待を受けた際、当時タブロイド紙を賑わせていたヴィクトリア王女を話題に「16歳の女の子なら、少し我慢するだけですぐに忘れますよ、大人になる為の良い教訓になるはずです。なんなら年頃の王女に私の息子の一人を婿として娶ってください。交換条件として領土の3分の1を私に頂きたい」と提案する。
- 学界の主流から外れた主張を繰り返すことが多く、本人曰くコッホの三原則に反しているという論拠に依るエイズの原因はHIVではないというエイズ否認論者であると共に、フロンガスによるオゾン層破壊や地球温暖化を否定することなどでも知られる。
受賞歴
[編集]- 1990年
-
- ウィリアム・アラン賞
- Preis Biochemische Analytik of the German Society of Clinical Chemistry and Boehringer Mannheim
- 1991年
-
- National Biotechnology Award
- ガードナー国際賞
- R&D Scientist of the Year
- 1992年
-
- California Scientist of the Year Award
- ロベルト・コッホ賞
- 1994年
-
- Honorary degree of Doctor of Science from the University of South Carolina
- 1998年
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- Inducted into the National Inventors Hall of Fame [7]
- Ronald H. Brown American Innovator Award[8]
- カール・ラントシュタイナー記念賞
- 2004年
-
- Honorary degree in Pharmaceutical Biotechnology from the University of Bologna, Italy
脚注
[編集]- ^ 船越翔 (2019年8月11日). “DNAの大量・高速増幅法開発、マリス氏死去”. 読売新聞オンライン. 2019年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年8月12日閲覧。
- ^ 『マリス博士の奇想天外な人生』p.13
- ^ 『マリス博士の奇想天外な人生』p.17
- ^ 『マリス博士の奇想天外な人生』p.20
- ^ 『マリス博士の奇想天外な人生』p.25
- ^ “ジャパンプライズ(Japan Prize/日本国際賞)”. 国際科学技術財団. 2022年10月5日閲覧。
- ^ Hall of Fame/Inventor Profile
- ^ Nobel Prize Winner Among Rondal H. Brown Award Recipients
参考文献
[編集]- ポール・ラビノウ 『PCRの誕生—バイオテクノロジーのエスノグラフィー』 渡辺政隆訳、みすず書房、1998年、ISBN 4-622-03962-1。
- キャリー・マリス 『マリス博士の奇想天外な人生』 福岡伸一訳、早川書房、2000年、ISBN 4-15-208264-X。
- 高橋昌一郎『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』PHP研究所、2024年5月。ISBN 978-4-569-85681-0。
外部リンク
[編集]- キャリー・マリスの個人サイト
- Patent portfolio, Directory inventor.
- Interview, Nobel Prize committee, (2005).
- Klipfel, Sarah (1998), Interview regarding his views on HIV/AIDS.