キャピタル (自動車ディーラー)
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2019年12月) |
キャピタルは、東京都渋谷区富ヶ谷に本社を置いたインポーター兼輸入車ディーラーである。もとはキャピタル企業という社名であったが、改称した。親会社は東京日産自動車販売。1960年代から1980年代にかけて活動した
オースチン・A50・ケンブリッジがセドリックにバトンタッチした後のオースチン需要を取り込むために設立され、従来の日本総代理店であった日新自動車(スチュードベーカーも扱っていた)に代わってオースチン、そして新たにバンデン・プラの日本総代理店となった。
概要
[編集]1960年代中盤、船橋サーキットなどでの草創期の自動車レースにオースチン・ミニ・クーパー Sをチューンして「キャピタルミニ」として、川口吉正らの操縦でエントリーさせ、親会社筋の日産自動車の製造するダットサン・ブルーバード 1200 SS(410型系)などと激しいバトルを展開した。
1970年代に入るとミニ・クーパー S の生産は中止され、いわゆる英国病による品質低下や排出ガス規制対策の遅れから、英国車の輸入は次第に困難となったが、ミニ・1000の輸入を主力に事業を継続、1976年(昭和51年)からは三井物産撤退後のルノー日本総代理店となり、同年からルノー・5 GTLの輸入販売を開始した[1]。
ルノーの上級モデルであるR18やR25等は、後に日英自動車が輸入を担当し、同社が解散する1985年(昭和60年)まで、二社並存によるルノー輸入体制が現出した。
1980年代に入ると本国メーカーが日本法人(子会社)を設立して自ら輸入販売に乗り出すケースが増え、ミニの販売はオースチン・ローバー・ジャパンに移行、ルノーもジヤクス・カーセールス(JAX)に輸入販売権を譲渡することになり、1989年(平成元年)10月をもって日本自動車輸入組合を退会、自動車輸入から撤退した[2]。
その後は社名を「キャピタル企業」から「キャピタル」と変更し、ヤナセの販売協力店として主にアウディを、ヤナセがVW・アウディ・グループの輸入代理権を返上した後は主にオペルを扱っていたが、1990年代前半に業務を終えた。