金桂冠
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(キム・ゲガンから転送)
金桂冠 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 김계관 |
漢字: | 金桂冠、金桂寛、金桂官[1] |
発音: | キムゲグァン |
日本語読み: | きむげぐぁん |
ローマ字: | Gim Gye-gwan |
英語: | Kim Kye-gwan |
金桂冠(キム・ゲグァン、1943年6月6日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国の外交官。北朝鮮外務省内では、主に対米政策を担当した。
来歴
[編集]平安北道雲山郡出身。平壌国際関係大学卒業。フランス語を専攻。アルジェリアに留学経験がある。1969年、アルジェリアで外交官生活を始める[2]。在アルジェリア大使館書記官を務めた[3]後、朝鮮民主主義人民共和国外交部(現:外務省)へ。
- 1975年 外交部1等書記官。
- 1985年 外交部専門委員(第1級研究員)。
- 1989年 外交部巡回大使。
- 1991年 外交部参事。
- 1992年 朝米高官会談にて、金容淳に随行。
- 1993年 朝米高官協議次席代表。
- 1995年 外務次官(外交部副部長)就任[4]。軽水炉問題を巡る朝米準次官級協議代表。
- 1997年 韓国、中国、米国との四者会談本会議の、朝鮮民主主義人民共和国団長就任。
- 1998年 11月、外務次官(外務省副相)就任。
- 1999年 9月、ベルリンの朝米高官協議[5]にて、経済制裁緩和と、ミサイル発射実験暫定的停止の合意を得る。
- 2003年 8月、最高人民会議第11期代議員に選出される。
- 2004年 第2回六者会合、第3回六者会合代表。
- 2005年 第4回六者会合、第5回六者会合第1セッション代表。
- 2006年 第5回六者会合第2セッション代表。4月8日、訪日。
- 2007年 第5回六者会合第3セッション、第6回六者会合代表。3月8日、朝米協議からの帰路の際に成田空港へ寄り、中央日報の単独取材に応じた[6]。
- 2008年 クリストファー・ヒル国務次官補と朝米協議。
- 2009年 8月、訪朝したビル・クリントンを平壌国際空港で迎える。同月、訪朝した中華人民共和国外交部の武大偉副部長(外務次官)と会談。
- 2010年 9月、第1外務次官(外務省第1副相)就任。
- 2017年 4月、最高人民会議外交委員会委員就任[7]。
- 2019年 4月、第14期最高人民会議第1回会議において、崔善姫が第1外務次官と最高人民会議外交委員会委員に就任し、金が退任した事が確認された。
関連項目
[編集]- 朝鮮民主主義人民共和国の政治
- 北朝鮮核問題
- 朴義春(パク・ウィチュン 박의춘 en:Pak Ui-chun)元外務相
- 姜錫柱(カン・ソクジュ 강석주 de:Kang Sok-ju)元第1外務副相(第1外務次官)
- 辛善虎
- 宋日昊
参考文献
[編集]- 和田春樹、石坂浩一『岩波小事典 現代韓国・朝鮮』 岩波書店 2002年5月8日 ISBN 4-00-080211-9
- 『朝鮮民主主義人民共和国 組織別人名簿 NORTH KOREA DIRECTORY 2008』 財団法人ラヂオプレス 2008年7月 ISBN 978-4-947638-58-8
脚注
[編集]- ^ 中華人民共和国外交部は金桂冠、日本国外務省は金桂寛、朝鮮中央通信は金桂官としている。日本の主要メディアは時事通信、共同通信、毎日新聞、テレビ朝日、フジテレビが「金桂冠」、読売新聞、朝日新聞、産経新聞、日本テレビが「金桂寛」、日本経済新聞が「金桂官」と表記している。なおNHKは基本的にはカタカナ表記だが丸カッコをつけて「金桂冠」と表記している。毎日新聞、共同通信、日本経済新聞はもともと「金桂寛」と表記していた。
- ^ 「北朝鮮の金桂冠はほほえむ刺客」海外でニックネーム 中央日報 2007年2月16日
- ^ 書記官の任官に関しては、1973年であるという。
- ^ 『岩波小事典 現代韓国・朝鮮』では外務次官とある。外交部副部長としているのは個人ウェブサイト『NORTH KOREA TODAY』(NORTH KOREA TODAY 2007年7月3日 米主要人物訪北日誌)と、『私設 朝鮮民主主義人民共和国研究室』(共和国人名録 金桂寛)。
- ^ アメリカ側はチャールズ・カートマン(Charles Kartman)朝鮮半島平和担当特使。
- ^ 朝米協議は成果があったとされ、終始笑顔で、詰め掛けた記者団に対し「皆さんで平壌に行きましょう」などと上機嫌で語ったが、拉致問題について質問されると「解決できない原因は日本にある」などと怒りを露わにした。
- ^ 「北朝鮮、対米で強気の姿勢 金正恩氏が特殊部隊視察 」日本経済新聞2017/4/14