コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ガガウズ自治区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガガウジアから転送)
ガガウズ自治区
Avtonom Territorial Bölümlüü Gagauz Yeri
ガガウズ語
Unitatea Teritorială Autonomă Găgăuzia
ルーマニア語
Автономное территориальное образование Гагаузия
ロシア語
ガガウズの旗 ガガウズの紋章
地域の旗 紋章英語版
地域の標語:Yaşasın Gagauziya!(ガガウジアよ永遠なれ!)
地域の歌:母国
ガガウズの位置
公用語 ガガウズ語ルーマニア語ロシア語[1]
主都 コムラト
最大の都市 コムラト
政府
元首 エフゲニア・グシュル
国民議会議長英語版 ウラジーミル・キッサ(Vladimir Cîssa)
面積
総計 1,832km2国内2位
水面積率 不明
人口
総計(2024年 115,196人(国内3位
人口密度 62.9人/km2
設置
ガガウズASSRの創設宣言1989年11月12日
ガガウズ共和国として独立宣言1990年8月19日
自治法採択[1]1994年12月23日
自治区の創設[1]1995年1月14日
初代元首の就任1995年6月19日
通貨 モルドバ・レウMDL
時間帯 UTC+2 (DST:+3)
ISO 3166-1 MD / MDA(3166-2:MD-GA
ccTLD .md
国際電話番号 373
民族構成(2014年[2]
ガガウズ人
  
83.8%
ブルガリア人
  
4.9%
モルドバ人
  
4.7%
ロシア人
  
3.2%
その他
  
3.6%
ガガウズ人の旗。またかつての独立期前半の国旗でもあった

ガガウズ自治区ガガウズ語: Gagauz Yeri ガガウズ・イェリルーマニア語: Găgăuzia ガガウジアロシア語: Гагаýзия, Gagaúziya)は、モルドバの南部にある自治地域である。正教会に属するテュルク系ガガウズ人が住み、ガガウズ語の使用などが認められている。首都はコムラト。面積は1,832平方キロメートル[2]、人口は115,196人(2024年推計[3])。

名称

[編集]

自治区の公用語での正式名称は以下の通り。

  • ガガウズ語: Avtonom Territorial Bölümlüü Gagauz Yeri
  • ルーマニア語: Unitatea Teritorială Autonomă Găgăuzia
  • ロシア語: Автономное территориальное образование ГагаузияAvtonomnoye territorialnoye obrazovaniye Gagauziya
    • (参考)英語: Autonomous Territorial Unit of Gagauzia (Gagauz Yeri)

日本語訳例はガガウズ自治区。ガガウズ語名であるガガウズ・イェリと呼ぶ場合もある。また国号を自治共和国と訳す場合もある(ガガウズ・イェリ自治共和国など)。ルーマニア語などの通称であるガガウジアと呼ぶ場合もあるが[4]、あまり一般的ではない。

「ガガウジア」と「ガガウズ・イェリ」は対等な名称であることが基本法一条にあり、そのことからGagauzia (Gagauz-Yeri)と併記する例もある。

ガガウズ・イェリはガガウズ語で「ガガウズ人の場所」という意味。

歴史的な名称

[編集]

コムラト共和国(1906年)

ガガウズ共和国(1990年 - 1995年)

略史

[編集]

現在のガガウズ自治区に当たる地域はモルドバと同じ歴史を歩んでいる。中世よりモルダヴィア公国オスマン帝国ロシア帝国と支配国家が移った。

1900年代前半、当時の支配国家であったロシア帝国で革命(ロシア第一革命)が起こる。帝国全土で反政府運動と暴動が起き、コムラトでは1906年1月にアンドレイ・ガラツァンロシア語版による蜂起が発生した。1月6日にはコムラト共和国ルーマニア語版ガガウズ語版が「建国」された。この共和国は6日後の1月12日に鎮圧されて消滅した[5]

その後の第二革命でロシア帝国は崩壊し、モルダヴィア地方の統治国はルーマニア王国に取って代わられた。第二次世界大戦が発生するとソビエト連邦が占領し、1940年にこの地一帯に連邦構成体のひとつモルダビア・ソビエト社会主義共和国(モルダビアSSR)が設置された。ソビエト連邦時代ではガガウズ人の民族自治区画は設置されなかったため、1980年代後半よりペレストロイカが始まると民族意識が高揚した。

1988年にガガウズ人とその他の少数民族によって「ガガウズ・ハルクィロシア語版」(ガガウズ語でガガウズ人を意味する)と呼ばれる組織を結成。民族自治区画の設置を採択すると、1989年11月12日にモルダビアSSR内の自治共和国ガガウズ・自治ソビエト社会主義共和国(Gagauz Autonomous Soviet Socialist Republic、ガガウズASSR)の建国が宣言された[6]。翌日にモルダビア最高ソビエト幹部会はガガウズASSRの創設は違法であり、認められないと宣言した[6]。1989年12月3日と1990年7月22日にも同じく建国宣言を行っている。

1990年8月19日にガガウズASSRは主権宣言を行い、ガガウズ共和国としてソ連からの独立を宣言した[6]。この動きはモルダビア政府が同国南部地域に非常事態宣言(1990年10月26日から同年12月6日まで)を発令するほど大きなものとなった。ソ連政府は12月22日にガガウズ共和国の独立の無効を宣言している。

1991年、ソビエト連邦は崩壊し、モルダビアSSRはモルドバ共和国として独立した。ガガウズ共和国は翌年の1992年10月7日にモルドバ共和国からの独立宣言を行ったが、独立運動は行き詰まり始めた。その一方でモルドバ政府との交渉が行われ、モルドバ共和国内のガガウズ自治区として大幅な自治権が付与される形で決着した。「ガガウズ(ガガウズ=イェリ)の特別な法的地位に関する法律(Nr. 344)」は1994年12月23日に採択、1995年1月14日に発効された[1]

その後も、同地ではモルドバ「本土」とは民族的・宗教的に異なることもあり、欧州連合(EU)よりもロシアなど独立国家共同体(CIS)へ接近する動きが強い。2014年2月2日に行われたモルドバのEU加盟に関する住民投票では、98.4%が「EUよりもロシア・CISへの緊密な関係を望む」とし、また98.9%が「モルドバがEUに加盟する場合はガガウズは独立するべき」と答えている[7][8]。2015年以降、親ロシア派のイリナ・ヴラ[9][10]エフゲニア・グシュル[11]が相次いで元首に就任しており、モルドバのEU加盟や対ロシア関係をめぐって自治区と政府との間に軋轢が生じ始めている。

略年表

[編集]
  • 1906年1月18日~25日 - コムラトで蜂起が発生、コムラト共和国が建国される
    • 1940年 - モルダビアSSR設置
  • 1989年11月12日 - モルダビアSSR内のガガウズ・自治ソビエト社会主義共和国の建国を宣言
  • 1990年8月19日 - ガガウズ共和国としてソ連より独立宣言
    • 12月22日 - ソ連政府は独立宣言を無効とする
    • 1991年 - モルドバが独立宣言。ソ連崩壊
  • 1992年10月7日 - モルドバからの独立を宣言
  • 1995年6月19日 - モルドバ内のガガウズ自治区が設置される
  • 2014年2月2日 - 住民投票で98.4%がEUよりロシア・CISへの緊密な関係を支持。また98.9%がモルドバEU加盟時のガガウズ独立を支持
  • 2015年4月15日 - 元首選、イリナ・ヴラが就任
  • 2023年7月19日 - 元首選、エフゲニア・グシュルが就任

政治

[編集]

自治に関する基本法は1998年に採択[12]。ガガウズ語の使用などが盛り込まれているが、モルドバの憲法内での活動を行うことや現地の警察権・租税権はモルドバ側が握っている。

ガガウズ自治区の長は、バシュカン(Başkan)と呼ばれる。「知事」や「首長」とも訳されるが、ガガウズ語やトルコ語では「元首」を意味する。

外交

[編集]

一部モルドバと異なる外交を行っている。

  • テュルク文化国際機関 - 通称TÜRKSOY。チュルク文化の国際機関で、オブザーバーとして加盟。対してモルドバは加盟していない。
  • アブハジアの旗 アブハジア共和国および 南オセチアの旗 南オセチア共和国 - ガガウズと同じく、1990年代にジョージア(グルジア)より独立宣言を行った「国家」。ロシアが介入を行い、どちらもジョージアからの独立を保っている。また、ロシアを含む5ヵ国の国際連合加盟国が国家として承認している。ガガウズ議会はこの「二ヵ国」を2008年9月19日に国家として承認し、モルドバ政府にも国家承認をするように求めたが[13]、モルドバは応じていない。

地方行政

[編集]
ガガウズ自治区の地図

ガガウズ自治区は規模の大きい都市を中心として3つの地区に分かれている。1基礎自治体、2市、23のコムーナを含んだ32の地域区分に分かれる。

ガガウズ自治区の範囲は首府コムラトやチャドゥル=ルンガ市から見て、ブルカネシュティ市およびその周辺とカルバリア英語版コプチャク英語版飛び地となっている。この飛び地へは道路が通じているが、行政上は他県(ラヨン)を通らなければならない。

ガガウズ自治区はガガウズ人が人口の50パーセントを占める地域と、住民投票を経て編入された地域から成り立っている。住民投票は住民の3分の1以上の賛同があれば実施でき、有権者の過半数が賛成することでガガウズ自治区に編入される[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e privind statutul juridic special al Găgăuziei (Gagauz-Yeri)”. モルドバ法務省 (1995年1月14日). 2024年7月4日閲覧。
  2. ^ a b GĂGĂUZIA”. Citypopulation (2017年10月18日). 2024年7月3日閲覧。
  3. ^ Populatia cu resedinta obisnuita, la inceputul anului pe Raioane, Ani, Medii și Sexe”. モルドバ国家統計局. 2024年7月4日閲覧。
  4. ^ 在ウクライナ日本国大使館(モルドバも管轄)/坂田大使 ガガウジア自治共和国訪問(2013年)
  5. ^ 107 лет назад в Буджаке была провозглашена Комратская республика”. В фокусе (2013年9月1日). 2017年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月3日閲覧。
  6. ^ a b c Фёдор Ангели (20 August 1990). “ГАГАУЗСКАЯ АВТОНОМИЯ. ЛЮДИ И ФАКТЫ (1989-2005)” (ロシア語). オリジナルのMarch 16, 2023時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230316054226/http://www.dimpo67.narod.ru/knigi/Angeli-autonom.pdf 
  7. ^ Dumitru Minzarari: "The Gagauz Referendum in Moldova: A Russian Political Weapon?", in: Eurasia Daily Monitor, Volume: 11, Issue: 23.
  8. ^ "Gagauzia Voters Reject Closer EU Ties For Moldova", RFE/RL, February 03, 2014.
  9. ^ E la Găgăuzia vota per Mosca” (Italian). en:Osservatorio Balcani Caucaso (27 March 2015). 30 March 2015閲覧。
  10. ^ Independent candidate Irina Vlakh elected head of Gagauzia”. TASS – Russian News Agency (23 March 2015). 2017年3月18日閲覧。
  11. ^ Candidata Partidului Șor care câștigă în Găgăuzia promite să deschidă o reprezentanță a regiunii la Moscova”. ラジオ・フリー・ヨーロッパ (2023年5月15日). 2024年7月5日閲覧。
  12. ^ LEGAL CODE OF GAGAUZIA (GAGAUZ-YERI) (PDF)
  13. ^ Текст обращения Народного собрания Гагаузии к руководству Молдавии о признании Абхазии и Южной Осетии” (Russian). REGNUM News Agency (19 September 2008). 2017年3月19日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]