カムラ・パサード=ビセッサー
カムラ・パサード=ビセッサー | |
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Kamla Persad-Bissessar | |
カムラ・パサード=ビセッサー (2013年) | |
最大野党党首 | |
就任 2015年9月9日 | |
首相 | キース・ロウリー |
前任者 | キース・ロウリー |
任期 2010年2月25日 – 2010年5月26日 | |
首相 | パトリック・マニング |
前任者 | バスデオ・パンデイ |
後任者 | キース・ロウリー |
任期 2006年4月26日 – 2007年11月8日 | |
首相 | パトリック・マニング |
前任者 | バスデオ・パンデイ |
後任者 | バスデオ・パンデイ |
統一国民会議代表 | |
就任 2010年1月24日 | |
前任者 | バスデオ・パンデイ |
第7代トリニダード・トバゴ首相 | |
任期 2010年5月26日 – 2015年9月9日 | |
大統領 | ジョージ・マックスウェル・リチャーズ アンソニー・カルモナ |
前任者 | パトリック・マニング |
後任者 | キース・ロウリー |
第7代イギリス連邦議長 | |
任期 2010年5月26日 – 2011年10月28日 | |
前任者 | パトリック・マニング |
後任者 | ジュリア・ギラード |
司法長官 | |
任期 2001年10月5日 – 2001年12月24日 | |
首相 | バスデオ・パンデイ |
前任者 | ラメシュ・マハラジ |
後任者 | グレンダ・モリーン |
任期 1995年11月27日 – 1996年2月2日 | |
首相 | バスデオ・パンデイ |
前任者 | キース・ソビオン |
後任者 | ラメシュ・マハラジ |
教育相 | |
任期 1999年10月22日 – 2001年10月4日 | |
首相 | バスデオ・パンデイ |
前任者 | アデシュ・ナナン |
後任者 | ガンダ・シン |
シパリア選出国会議員 | |
就任 1995年11月6日 | |
前任者 | Sahid Hosein |
得票差 | 10,141 (51.6%) |
個人情報 | |
生誕 | 1952年4月22日(72歳) トリニダード・トバゴ、ペナル |
政党 | 統一国民会議 |
協力政党 | 人民のパートナーシップ (2010–present) |
配偶者 | グレゴリー・ビセッサー |
出身校 | 西インド諸島大学 |
宗教 | ヒンドゥー教、キリスト教[1] |
公式サイト | http://www.opm.gov.tt/ |
カムラ・パサード=ビセッサー(英語: Kamla Persad-Bissessar、1952年4月22日 - )は、トリニダード・トバゴの政治家。2010年5月26日に同国の第7代首相(6人目)に指名され、初の女性首相となり[2]、2015年まで在任した。
統一国民会議の代表として、2010年の総選挙に向けて結成された4党からなる政党連合「人民のパートナーシップ」を率いる。女性として初めて、トリニダード・トバゴの司法長官や野党院内総務、首相を務めた。シパリア出身[3]。
経歴
[編集]西インド諸島大学、イギリスのノーウッド工業専門学校、ヒュー・ウッディング法学校で学び、教育学と法学の名誉学士号を取得。2006年、トリニダード島のアーサー・ロック・ジャック経営大学院から経営学修士号 (EMBA) を取得した[4]。
1995年からシパリア選挙区から国会議員に選出されている。同年、ラメシュ・マハラジ司法長官の代行を務め、マハラジが党を離れた2001年にも再任された。2000年12月22日に発足した統一国民会議政権では、教育相に任命された。
2006年4月25日、パサード=ビセッサーは多くの野党議員から野党院内総務就任の支持を受けた[5]。ジョージ・マックスウェル・リチャーズ大統領は、ロンドンに保有していた銀行口座を適切に申告しなかったとしてバスデオ・パンデイが有罪判決を受けた[6]ため、野党院内総務が不在であるとの声明を出した[7]。バスデオは上訴したが、翌日、パサード=ビセッサーは野党院内総務に指名された。
2010年1月24日の統一国民会議 (UNC) 代表選でパサード=ビセッサーは、党創設者のパンデイを破って当選した。2月25日にはUNCの国会議員の支持を受けて、正式に野党院内総務に指名された。
2010年5月24日の総選挙は、選挙の前倒しに打って出た与党の人民国家運動を「人民のパートナーシップ」が破り、政権交代が実現した。パサード=ビセッサーは女性で初めて、同国の首相とイギリス連邦の議長となった。2011年10月28日の英連邦首脳会合で、議長職はジュリア・ギラードに引き継がれた。
人物
[編集]夫グレゴリー・ビセッサーとの間に一男がいる[8]。彼女は「私はバプテスト派の洗礼を受けましたが、特定の教会に所属しているわけではありません。ヒンドゥー教徒でもありますし、バプテスト派でもあります」と述べている[9]。
2011年8月、政府高官はパサード=ビセッサーがデング熱に罹患しており、今後は医師の監督下で職務を続けるつもりだと声明を発した[10]。
脚注
[編集]- ^ “Kamla Persad Bissessar is the new PM of Trinidad & Tobago”. MeriNews.com. 2015年11月8日閲覧。
- ^ ttgapers.com 2010. PNM lose to Peoples Partnership in Trinidad elections 2010. ttgapers.com 24 May 2010.
- ^ Sookraj, Radhica (26 May 2010). “Kamla came from humble beginnings”. Trinidad and Tobago Guardian 27 May 2010閲覧。
- ^ http://www.ttparliament.org/members.php?mid=54&id=KPB01
- ^ Lord, Richard. 2006. Leader Kamla: President's move forces UNC crisis decision. Trinidad Express 26 April 2006.
- ^ Cummings, Stephen (2006年1月16日). “Trinidad's opposition leader set to go on trial”. Caribbean Net News 2007年2月19日閲覧。
- ^ Lawyers criticise Max for declaring vacancy Trinidad Express 26 April 2006.
- ^ House of Representatives: Parliament of Trinidad and Tobago. Ttparliament.org. Retrieved on 2012-04-26.
- ^ Meet T and T PM, Kamla NationNews Barbados, June 2010.
- ^ Brathwaite, Abby. (2011-08-16) DENGUE STRIKES KAMLA | Trinidad Express Newspaper | News. Trinidadexpress.com. Retrieved on 2012-04-26.
外部リンク
[編集]公職 | ||
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先代 バスデオ・パンデイ |
野党院内総務 2006年 – 2007年 |
次代 バスデオ・パンデイ |
野党院内総務 2010年 |
次代 キース・ロウリー | |
先代 パトリック・マニング |
トリニダード・トバゴの首相 2010年 - 2015年 |
次代 キース・ロウリー |
党職 | ||
先代 バスデオ・パンデイ |
統一国民会議代表 2010年 - |
現職 |
外交職 | ||
先代 パトリック・マニング |
イギリス連邦議長 2010年 – 2011年 |
次代 ジュリア・ギラード |