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ミルフォード・ヘイヴン侯爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オールダニ子爵から転送)
ミルフォード・ヘイヴン侯爵
Marquess of Milford Haven

紋章記述

Quarterly: 1st and 4th, Azure a Lion rampant double-queued barry of ten Argent and Gules armed and langued of the last crowned Or within a Bordure company of the second and third (Hesse); 2nd and 3rd, Argent two Pallets Sable (Battenberg); charged on the honour point with an Escutcheon of the arms of the late Princess Alice, namely: the Royal Arms differenced by a Label of three points Argent the centre point charged with a Rose Gules barbed Vert and each of the other points with an Ermine Spot Sable. The shield used to be encircled with the Royal Victorian Order, of which the 2nd Marquess was a member.
創設時期1917年7月17日
創設者ジョージ5世
貴族連合王国貴族
初代初代侯爵ルイス・アレグザンダー・マウントバッテン
現所有者4代侯爵ジョージ・マウントバッテン
推定相続人メディナ伯爵ヘンリー・マウントバッテン
相続資格初代侯爵の嫡出直系男子
付随称号メディナ伯爵
オルダニー子爵
現況存続
邸宅グレート・トリペッツ・エステート
モットー誇りにかけても
(In Honour Bound)

ミルフォード・ヘイヴン侯爵: Marquess of Milford Haven)は、イギリス侯爵貴族連合王国貴族爵位。1917年7月17日第一海軍卿にまで登りつめた軍人ルイス・マウントバッテン海軍元帥が叙位されたことに始まる。

歴史

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バッテンベルク公ルートヴィヒ(後の初代侯)の肖像。1910年、フィリップ・ド・ラースロー

ドイツヘッセン大公家の傍系たるバッテンベルク家出身のルイス・マウントバッテン(1854-1912)は渡英後に英国海軍に入隊、1912年には第一海軍卿にまで登りつめたのち、1914年に退役した[1][2]。彼は第一次世界大戦中に反独感情を考慮して、バッテンベルク家の称号の放棄と、マウントバッテンへの家名変更を行った。ルイスはその直後の1917年7月17日に国王ジョージ5世よりミルフォード・ヘイヴン侯爵(Marquess of Milford Haven)に叙された[註釈 1][4]。彼は同時にメディナ伯爵(Earl of Medina)オルダニー子爵(Viscount Alderney)にも叙されたため、ミルフォード・ヘイヴン侯爵にはこれら二つの連合王国貴族爵位が付属する。侯爵位の法定推定相続人は、儀礼称号としてメディナ伯爵と称する。

初代侯ルイスの後はその直系男子で続き、彼のひ孫にあたる4代侯ジョージ(1961-)が現当主である。

なお、初代侯の次男ルイス・マウントバッテンは新規に初代マウントバッテン・オブ・ビルマ伯爵に叙されている[5]

爵位名のミルフォード・ヘイヴン英語版ウェールズ西部のペンブルックシャーにある港湾都市にちなむ。

一族の邸宅はサセックス州に所在するグレート・トリペッツ・エステート(Great Trippetts Estate)

現当主の保有爵位

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現当主である第4代ミルフォード・ヘイヴン侯爵ジョージ・マウントバッテンは以下の爵位を有している[6]

  • 第4代ミルフォード・ヘイヴン侯爵(4th Marquess of Milford Haven)
    (1917年7月17日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第4代メディナ伯爵(4th Earl of Medina)
    (1917年7月17日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第4代オルダニー子爵(4th Viscount Alderney)
    (1917年7月17日の勅許状による連合王国貴族爵位)

ミルフォード・ヘイヴン侯爵(1917年)

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脚注

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註釈

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  1. ^ ルートヴィヒはこの時ジョージ5世から公爵位授与を持ち掛けられたが、家格維持の困難さから断っている[3]

出典

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  1. ^ Churchill, pp. 611–613; Kerr, p. 238
  2. ^ Hough, p. 307.
  3. ^ Hicks, Lady Pamela (2012), Daughter of Empire: My Life as a Mountbatten, New York: Simon & Schuster, p. 4
  4. ^ No.30374”. The Gazette 9 November 1917,p=11594. 2019年11月12日閲覧。
  5. ^ Louis Francis Albert Victor Nicholas Mountbatten, 1st Earl Mountbatten of Burma”. Lundy, Darryl.. 2019年11月12日閲覧。
  6. ^ Milford Haven, Marquess of (UK, 1917”. Cracroft's Peerage. 2019年11月12日閲覧。

参考文献

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  • Churchill, Randolph S. (1967), Winston S. Churchill, II, Boston: Houghton Mifflin Company
  • Kerr, Mark (1934), Prince Louis of Battenberg: Admiral of the Fleet, London: Longmans, Green and Co.
  • Hough, Richard (1984), Louis and Victoria: The Family History of the Mountbattens. Second edition, London: Weidenfeld and Nicolson