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スカレー (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
スカレー[1]
欧字表記 Scurry
品種 アングロアラブ(アラブ血量34.25%)
性別
毛色 鹿毛
生誕 1969年4月29日
死没 1985年6月
エルシド(アングロアラブ)
トモスカツプ(アングロアラブ)
母の父 トモスベビー(アングロアラブ)
生国 日本の旗 日本北海道浦河郡浦河町
生産者 不明
馬主 (有)木村牧場[2]
調教師 木村万吉船橋[注 1]
競走成績
生涯成績 17戦8勝
獲得賞金 不明
勝ち鞍

アラブチャンピオン(1972年)
アラブ王冠賞(1972年)
白百合賞(1972年)
八王子記念(1972年)

鎌倉記念(1972年)[注 2]
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スカレーとは、日本のアングロアラブ競走馬種牡馬である。

競走馬としてはタイムラインの好敵手として南関東公営競馬で走り重賞5勝、レコード更新2回の活躍。種牡馬入り後は父エルシドの後継種牡馬として数多くの活躍馬を輩出し、自身の後継としても中央・地方総合リーディングサイアー5回のキタノトウザイを出した。またその母系を辿れば、明治期に宮内省によって輸入されたロシア原産の乗用馬種・オルローフ・ロストプチン種の末裔である。

※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。

競走馬時代

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タイムラインとアラブダービー

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1971年に船橋競馬場木村万吉厩舎からデビューすると、順調に使われて3勝を挙げた。馬インフルエンザによる開催休止が明けた4歳2月にはクラシック戦線へ向けての前哨戦である準重賞・アラブジュニアーに出走したが、ここはタマガワホース[注 3]の3着に敗れる[3]。ただし、この競走では前年の全日本アラブ争覇勝ち馬のタイムラインが調整不足が祟り着外となっており[3]、これはスカレーがタイムラインに生涯で唯一先着した競走となった。この直後、タイムラインは当時所属馬の水準・賞金額ともに上昇著しかった兵庫県園田競馬場へと、2000万円もの高額でトレードされる[3]

次走となった八王子記念で、スカレーは逆にタマガワホースを4馬身差で下して重賞初勝利を挙げた[4]。中心を失ったクラシック戦線の有力馬の1頭に名乗りを挙げたスカレーだが、姫路へ出走していたタイムラインが2戦して2勝を挙げただけで、再トレードにより南関東公営競馬へと戻って来てしまう[4]。そして再戦となった南関東アラブ三冠の1冠目・千鳥賞で、スカレーはタイムラインに3馬差をつけられる惨敗を喫した[5]

雪辱を誓ったアラブダービーでは、逃げるタイムラインに対してスカレーは2番手でぴったりと追走。3・4コーナーで既に2頭のマッチレースとなったが、直線では差を縮めるどころかじりじりと引き離されるばかり。3着のピースマウンテンには6馬身差をつけたとはいえ、レコード勝ちのタイムラインに対して2 1/2馬身差の2着に終わった[6]。このあと、タイムラインはふたたび園田競馬場へと移籍し、同地の重賞戦線を荒らし回る。

重賞4連勝

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初の古馬重賞となった6月のワード賞ではいいところがなくキングタカラ[注 4]の8着に敗れたスカレーだが[7]、続く7月の4歳重賞・鎌倉記念は佐々木竹見騎手を背に勝利[8]。さらに白百合賞でも、2着のセンシヨウに6馬身差をつけるレコード勝ちで連勝を決めた[8]。10月18日には、赤間清松騎手に乗り変わってアラブチャンピオンへと出走。3・4コーナーでいったん故障かと思われるほど後退するも、直線大外から一気に差し切る派手な競馬でこれを制した[9]

そしてスカレーは、10月30日に行われる南関東アラブ三冠の最終戦・アラブ王冠賞へと進む。当初騎乗を予定していた佐々木竹見騎手が騎乗停止となったため急遽田部和廣騎手が起用されたが、スカレーはそんなアクシデントも物ともせず2着に8馬身差をつける大楽勝[10]。その勝ち時計は大井競馬場の2000mで2:05.1という、サラブレッド顔負けのレコードであった[注 5][1]

全日本アラブ大賞典、引退へ

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それまでは南関東公営競馬所属馬にとって下半期最大の目標とされていたアラブ大賞典が、この年から全国でも初となる地方競馬全国交流競走の全日本アラブ大賞典として施行されることとなった[注 6][8]。この大一番を目指し、春先まで南関東で走り前年のアラブ大賞典2着の実績をもつ兵庫所属・コーセイジユニアー[注 7]、前哨戦として開放された準重賞・勝島特別を制した名古屋のトウスイホープ[注 8]ら、合計4頭の他地区馬が遠征する。そして、その中には兵庫所属馬として大井競馬場へと舞い戻るタイムラインの姿もあった。

前走のオープン戦でキングタカラに敗れていたにもかかわらず[11]、スカレーは「成長した今ならタイムラインを破りうる」対抗馬として人気を集める[12]。だが競走ではキングタカラがハナを切り、タイムライン・トキセンと兵庫の2頭が2番手で内・外を併走。スカレーはトウスイホープ、ブルシヨワ[注 9]とともに3番手集団を形成していたが、3コーナーでタイムラインがキングタカラに並びかけレースが動いてからも反応が鈍い走り。結局はまったく見せ場を作ることができないまま、勝負圏外の6着に敗れた[注 10][13]

これを最後に、スカレーは門別・旭牧場で種牡馬生活へ入る。通算戦績は17戦8勝、2着4回3着2回[1]

種牡馬時代

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父エルシドが新進気鋭の輸入アラブ種牡馬として大活躍を見せていたこともあり、そのいち早い後継種牡馬として種付け料は初年度からアングロアラブとしては破格の60万円に設定される[注 11][1]。それでも多くの繁殖を集め、初年度産駒からいきなり6連勝で全日本アラブ争覇を勝ち、アラブダービーを制したカザンウンリユウなどを出したことで人気はさらに上昇。リーディングサイアーランキングでは1位の栄冠こそ届かなかったが一貫して上位をキープしており、数多くの名競走馬・名種牡馬を世に送り出した。また仕上がりの早さと豊かなスピードを持ち味に[1]、3歳のリーディングサイアーランキングでは計6回の首位に輝いている。だが15歳ころから腰を痛めるようになり、それが原因で1985年6月に17歳で死亡した[1]

代表産駒

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  • 1974年産
  • 1975年産
  • 1976年産
    • キタノトウザイ(母イナリトウザイ・種牡馬)。
    • アイランドキング(アラブダービー・銀盃・種牡馬)
    • サリユウムサシ(ワード賞・ブルーバードカップ・種牡馬)
    • チヨウキユウエース(白鷺賞・広峰賞)
    • タクマサチフジ(オーガストハンデ2回) ヤタノキングの母。
  • 1977年産
    • スズカゼ(北関東アラブ大賞典・種牡馬)
    • カツカザン(アラブ王冠賞[佐賀]・種牡馬)
    • ヘイケ(3歳時中央にて6連勝)
    • ダイニハクセキ(種牡馬)
  • 1978年産
  • 1979年産
  • 1980年産
    • イースタンハナ(名古屋杯・愛知賞)
    • サウンドランサー(新潟アラブ優駿)
    • タイガートウザイ(母イナリトウザイ・種牡馬)。
  • 1982年産
  • 1983年産
    • シマスカレー(エイプリルカップ・ことじ賞)
    • ブゼンヤマト(アラブ王冠[中津]・アラブチャンピオン[中津])
  • 1984年産
    • ヒカリミススカレー(アラブ王冠[笠松]・アラブスプリンターカップ・中京スポ杯)
    • ツルギジヨーオー(アラブスプリンターカップ・ひまわり賞[笠松])
    • ミスターローレル(新潟アラブ大賞典・越佐記念・種牡馬)
    • ミヤノマドンナ(園田ジュニアカップ)
  • 1985年産
    • エバーフラツシユ(銀盃[道営]・市制100周年記念[新潟公営])

各年成績

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出走数 1着数 収得賞金 総合順位 AEI 3歳順位 3歳AEI 重賞勝数
1976年 514 65 1億2280万9000円 23位 1.25 2位 2.01 1
1977年 1235 124 3億0411万6000円 9位 1.49 4位 1.42 6
1978年 1790 185 4億8869万7000円 3位 1.51 1位 1.75 7
1979年 2287 189 6億2494万0000円 3位 1.87 7位 1.85 9
1980年 2483 265 5億6888万6000円 4位 1.15 1位 1.30 6
1981年 3054 316 7億0693万1000円 3位 1.22 1位 1.37 10
1982年 3268 336 7億7368万5000円 3位 1.21 1位 1.32 5
1983年 3984 383 7億7512万6000円 2位 1.13 1位 1.24 5
1984年 4186 398 6億6492万1000円 3位 0.99 2位 1.12 1
1985年 4223 392 6億3164万8000円 2位 1.05 1位 1.21 4
1986年 4259 380 5億5013万8000円 3位 0.96 4位 1.17 5
1987年 3521 377 5億2076万1000円 4位 1.03 12位 1.12 3
1988年 2870 215 4億2651万8000円 6位 1.20 26位 2.43 3
1989年 1909 158 2億6584万3000円 16位 0.96 - - 4
1990年 1054 87 1億3838万0000円 38位 0.82 - - 2
1991年 545 45 7114万3000円 58位 0.77 - - 1
1992年 264 22 3877万2000円 85位 0.81 - - 0
1993年 115 9 1650万2000円 127位 0.87 - - 0
1994年 64 4 379万2000円 220位 0.48 - - 0
1995年 1 0 0円 405位 0.00 - - 0

全ての数字は地方・中央総合リーディングでのもの[14]

血統表

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スカレー血統エルシド系 / 方景3×4=18.75%[母内] )「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名はシャギアギドラン・サラ系 (血統表の出典)

アア エルシド
El Cid 1962 鹿毛
父の父
アア Nithard
1948
アア Kesbeth
1943
Dadji 1933
アラ Kraina 1932
アア Nitouche
1940
アアLotus VIII 1923
アア Nausicaa 1932
父の母
アア Farida IV
1950
Elseneur
1943
Nino 1923
Ann's Twin 1939
アア Lady Salmson
1937
アラ Alaric V 1929
Lady of Mercia 1931

アア トモスカツプ
1961 栃栗毛
アア トモスベビー
1953
トシシロ 1940 ダイオライト Diolite 1927
月城 1932
アア スルガ 1946 アア 方景 1934
アア 念原 1935
母の母
アア カツプフオード
1945
アア 方景 1934 アスフオード Athford 1925
アア 影英 1929
*スターカップ 1935 アア バラツケー Barraques 1927
*雲駒 1922 ガルカ系


オルローフ・ロストプチン種

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オルローフ・ロストプチン種(ロシア語: Орлов Ростопчи́н、ラテン文字転記:Orlov-Rostopchin)とは、ロシアで改良された乗用軽種馬の品種である。ロシア貴族アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ伯爵(ロシア語: Алексей Григорьевич Орлов、ラテン文字転記:Alexey Grigoryevich Orlov、1737年 - 1808年)が18世紀末にスルタン(Sultan)という名のアラブ種種牡馬を[注 12]、1802年よりフョードル・ワシリエヴィチ・ロストプチン伯爵(ロシア語: Фёдор Васи́льевич Ростопчи́н、ラテン文字転記: Fyodor Vasilyevich Rostopchin、1763年 - 1826年)がメッカ地方より4頭のアラブ種種牡馬をそれぞれ導入し、自らの牧場においてアラブ種サラブレッドアングロアラブ、オランダ種、そして僅かではあるがロシア土着牝馬との間で交配を進めた[注 13][15]。1815年に両者の牧場がロシア帝国政府によって買い上げられると、ロストプチン側の馬は旧オルローフ側の牧場へ移動させられる。そして以後は、両牧場の系譜を引くこれらの乗用軽種馬をオルローフ・ロストプチン種と総称するようになった[15]

日本には、宮内省が1901年に牡馬3頭、牝馬2頭の全5頭を総額8700ルーブルで輸入している[15]。日本へ向けて海上を輸送中に海が大荒れとなり、やむなく半数を船内で処分せざるを得なかったためこの小頭数となった[注 14]。スカレーの牝祖であるガルカは、この生き残った貴重なオルローフ・ロストプチン種の1頭である。1898年にガラホウ牧場にて生を受け、1100ルーブルの値段で購入されると下総御料牧場に繋養された[15]。当初はサラブレッドと交配されるなどして細々と血脈を繋いでいったが、スカレーの3代母スカーカツプの牝系がアングロアラブ競走馬として成功を収めた[注 15][16]。ちなみにスカレーからみた場合ガルカは6代前祖先にあたり、その血量は1.5625%となる。

ガルカ主要牝系図

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緑色はサラブレッドが父、青色はオルローフロストプチンが父。*は準サラ扱いのもの。特に表記のないものは全て牝馬。
ガルカ 1898年生 ロシア産
第二ガルカ 1905年生
第三ガルカ 1906年生
|第四ガルカ 1907年生
|第五ガルカ 1911年生
第七ロイヤルメツセンジヤー 1912年生 種牡馬 
ハアレン 1914年生 種牡馬
第六ガルカ 1915年生
第七ガルカ 1917年生
||*ヘレナ 1921年生
||*雲駒 1922年生
|||*スターカツプ 1935年生
||||ヒメラミー 1942年生
|||||モリツバキ 1948年生 国営22勝。タマツバキにも勝利した。
||||||ホースマンナ 1958年生
|||||||ユキヨ 1967年生
||||||||センジユツバキ2 1977年生
|||||||||ミスクシロパワー 1989年生 アラブ王冠(中津)2着
||||カツプフオード 1945年生
|||||タイヘイ 1955年生 種牡馬
|||||トモスカツプ 1960年生
||||||レイケイカツプ 1965年生
|||||||カチミヒメ 1980年生
||||||||シンエイシューホー 1990年生 牡馬 日本海特別
|||||||タイヨウコナモーレ 1987年生
||||||||キクノパワフル 1995年生 全日本アラブクイーンカップ
||||||スカレー 1969年生 アラブチャンピオン、アラブ王冠賞、白百合賞、鎌倉記念、八王子記念、種牡馬
||||||ハマヤス 1970年生 種牡馬
||||||テルヒサ 1974年生 鞆の浦賞、アラブ王冠(福山)2着、種牡馬
||||タカツバキ 1952年生
|||||ヒメカツプ 1960年生 1963年啓衆社賞最優秀アラブ アラブ大賞典タマツバキ記念(春)2回
||||||ツキカツプ 1975年生
|||||||ダイドーカツプ 1981年生
||||||||スウィングエース 1989年生
|||||||||シュメイヒーロー 1997年生 牡馬 九州アラブダービー、荒尾記念
|||||||ホーセンカ 1982年生
||||||||キヤシームーン 1986年生
|||||||||ピアドハンター 1994年生 牡馬 福山ダービー福山大賞典福山マイラーズカップ
|||||ホウカン 1961年生
||||||ヒダセイハ 1973年生
|||||||リフトバレー 1982年生
||||||||サンエスジュニア 1982年生 牡馬 アラブウインターカップ(金沢)
|||||第弐カツプヒメ 1965年生
||||||スピードケイコ 1974年生
|||||||グランスター 1981年生 牡馬 岩鷲賞
|||||マキノカツプ 1976年生
||||||スターカツプレデー 1981年生
|||||||ラピードベア 1991年生 牡馬 アラブギフ大賞典2着
||*エイリユウ 1927年生
|第八ガルカ 1920年生 

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ 同時代の『啓衆地方競馬』上では、万吉の長男である木村和男厩舎所属として扱われている。
  2. ^ 現在の同名競走とは、回次も含め連続性はない。
  3. ^ 1969年産、父マスホマレ、母キミハツ(母父ミネフジ)。アラブジュニア―のほか、同じくアラブダービーの前哨戦である準重賞・東京銀賞も勝利している。http://www.jbis.or.jp/horse/0000033829/
  4. ^ 1968年産、父タカシヨウ、母ミスキクノボリ(母父サーテインオー)。翌年の銀盃も制しているほか、のちに福山競馬場へと移籍し福山大賞典など重賞を3勝する活躍を見せた。http://www.jbis.or.jp/horse/0000027156/
  5. ^ 参考として、同コースで施行されていたこの年の羽田盃の勝ち時計は2:05.8(トキワタイヨウ)。
  6. ^ 同時に、1着賞金もアングロアラブ系競走では同じく全国初となる1000万円に引き上げられている。
  7. ^ 1968年産、父センジユ母マルパーク(母父ホースニユース)。4歳時は八王子記念で2着、千鳥賞でも2・3着同着。http://www.jbis.or.jp/horse/0000026417/
  8. ^ 1968年産、父セイユウ母ミストウスイ(母父カツフジ)。スーパーライト、テツコウハイとともに東海競馬のアラブ3強を形成し、1972年の名古屋杯(春)などを制した。翌1973年の全日本アラブ大賞典にも参戦したが、再度3着に敗れている。http://www.jbis.or.jp/horse/0000026266/
  9. ^ 1966年産・父セイユウ、母シマウタ(母父シマタカ)。セカンドホーリが三冠を達成した1969年の三冠戦線にて、千鳥賞・アラブダービー3着、アラブ王冠賞2着。古馬になってからは1970年には船橋記念を制し、サラブレッドのC級戦でも勝ち星を挙げた。http://www.jbis.or.jp/horse/0000017575/
  10. ^ なお、結果は1着タイムライン(R2:33.6)、2着キングタカラ(1馬身差)、3着トウスイホープ(4馬身差)。スカレーが敗れたことで、8枠連勝複式は2810円をつける高配当となった。
  11. ^ エルシドは日高軽種馬農業協同組合繋養馬であり、組合員ならば種付け料は安価だったが抽選制が取られていた。
  12. ^ どちらかといえば、彼は乗用よりも繋駕速歩競走向けに改良されたオルロフ・トロッター種によって名を知られている。こちらの父祖は同じくアラブ種のスメタンカ(Smetonko)という名だった。
  13. ^ ロストプチン種については、トルコ種やペルシア産馬も含まれた。
  14. ^ 当時にあってもオルローフ・ロストプチン種の純血種は200頭ほどしかおらず、非常に貴重な馬種であったといえる。
  15. ^ 日本の血統登録において本種はアラブ血量50%のアングロアラブとみなされた。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 後藤正俊「アングロアラブ種牡馬名鑑:スカレー」地方競馬全国協会『Furlong』1997年3月号、21-22頁。
  2. ^ 「アラブ王冠賞歴代優勝馬」特別区競馬組合編『大井競馬のあゆみ : 特別区競馬組合50年史』特別区競馬組合、2001年、360-361頁。
  3. ^ a b c 啓衆社『競週地方競馬』1972年4月号。
  4. ^ a b 啓衆社『競週地方競馬』1972年5月号。
  5. ^ 啓衆社『競週地方競馬』1972年6月号。
  6. ^ 啓衆社『競週地方競馬』1972年7月号。
  7. ^ 啓衆社『競週地方競馬』1972年8月号。
  8. ^ a b c 啓衆社『競週地方競馬』1972年9月号。
  9. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1972年10月19日。
  10. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1972年10月31日。
  11. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1972年11月29日。
  12. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1972年12月24日。
  13. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1972年12月25日。
  14. ^ JBIS Search, ランキング検索(2014年11月15日閲覧).
  15. ^ a b c d 野口次郎三「宮内省購入露西亜馬オルローフ、ロストプチン種ノ来歴ニ就テ」中央獣医会『中央獣医会雑誌』第14号巻之七、1901年、1-9頁。
  16. ^ 田辺一夫『アラブ系牝馬系統名鑑』啓衆社、1967年、127-128頁。

外部リンク

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