オリバー・M・ボルツァー
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オリバー・M・ボルツァー(Oliver M. Bolzer, 1979年6月17日 - )はスラッシュドットジャパンの編集リーダー。ドイツ・ミュンヘン生まれ[1][2]。本職は企業再生を行う経営コンサルタントで日本航空の再生にも管財人団の一員として参画した[3]。「電車でLinuxいりのCDを拾って以来、人生が狂った男」を自称する[4]。
日本人とドイツ人の両親の間に生まれ[5]、1984年から日本に移住。小中高時代はドイツ系のインターナショナルスクールに通った[5]。そのため日独英三カ国語を使うトライリンガルである。大学進学にあたり渡独し、ミュンヘン大学情報学部卒業。現在は日本に帰国している。
中学生からコンピュータを扱うようになり、1997年に電車で偶然Linuxの入ったCD-ROMを拾ったことがきっかけで[1]Linuxおよびオープンソースコミュニティに関わるようになり、Linux雑誌への寄稿、関連メーリングリストの主宰、Debian開発者になる[6]など精力的な活動をおこなう。win-refundメーリングリストを開設するなどWindows返金運動にも関わっていた[7][8]。
1999年から2001年にかけて、雑誌『Linux Japan』のメールマガジン版である『Linux Japan Express』[8]や自身が立ち上げたニュースサイト「fakeroot.net」[9]で活動していた。これらの経験を買われ、2001年にスラッシュドットの日本版であるスラッシュドットジャパンが開設されるにあたって、編集リーダーに就任した。
スラッシュドットジャパンでは編集リーダーを務めるだけでなく、Oliver日記なども公開している。また、彼の日記で言うところのアレゲ祭ことコミックマーケット準備会の幹部スタッフとしても活動している。
論争
[編集]編集リーダーとして活動していた際には論争を呼ぶ活動も見られ、それによるトラブルもしばしば見うけられた。具体的には反マイクロソフト色の強い偏向的記事の掲載や挑発的、侮辱的な言動を行い、コメントの場が荒れる一因となることがあった。[10][11]。
特に、2003年9月に匿名の臆病者によって自分を揶揄するコメントが「自作自演」で大量に投稿された際には、匿名の臆病者によるコメントの投稿を制限するようシステム改変することを突然一方的に宣言して、多数のユーザーからの反発を招いた[12]。その後議論を経た上で 2004年1月に実際に投稿制限が導入されたが、その結果として匿名の臆病者のみならず登録ユーザでも活動を停止するものが発生した。
脚注
[編集]- ^ a b “誰もがタレコむニュースサイトはオープンソースの縮図/Tech総研”. リクナビ (2004年1月14日). 2009年7月7日閲覧。
- ^ “光陰矢のごとし”. Oliver日記 (2003年6月17日). 2009年7月7日閲覧。
- ^ “老舗よ、変われ~ある水産加工会社の再建~”. NHK「クローズアップ東北」 (2012年9月28日). 2012年10月5日閲覧。
- ^ “Oliver - スラッシュドット・ジャパン ユーザ”. 2009年7月7日閲覧。
- ^ a b “ユーザーが喜ぶテイストなら、話題は料理でも政治でも/Tech総研”. リクナビ (2004年1月28日). 2009年7月7日閲覧。
- ^ “GLOCOMレクチャー「世界最大のニュースサイト Slashdotの中枢を迎えて」のご案内”. 2009年7月7日閲覧。
- ^ “Windows返金運動News”. 2009年7月7日閲覧。
- ^ a b “乳の詫び状 No.19”. Show's Hot Corner. 2009年7月7日閲覧。
- ^ “乳の詫び状 No.40”. Show's Hot Corner. 2009年7月7日閲覧。
- ^ “プライバシが筒抜けWindowsアクティベーションが解析される”. スラッシュドットジャパン (2001年7月10日). 2009年7月7日閲覧。
- ^ “Xboxの公式Linuxブートローダを要求するグループ出現”. スラッシュドットジャパン (2003年7月3日). 2009年7月7日閲覧。
- ^ “少数のAnonymous Cowardによる大量投稿への対策”. スラッシュドットジャパン (2003年9月15日). 2009年7月7日閲覧。