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オラシオ・アカバリョ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オラシオ・アカバロから転送)
オラシオ・アカバリョ
基本情報
本名 オラシオ・エンリケ・アカバリョ
(Horacio Enrique Accavallo)
通称 Roquiño
階級 フライ級
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
誕生日 (1934-10-14) 1934年10月14日
出身地 ブエノスアイレス州の旗ブエノスアイレス州ビジャ・ディアマンテ
死没日 (2022-09-13) 2022年9月13日(87歳没)
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 83
勝ち 75
KO勝ち 34
敗け 2
引き分け 6
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オラシオ・アカバリョHoracio Accavallo1934年10月14日 - 2022年9月13日[1])は、アルゼンチンプロボクサー。本名はオラシオ・エンリケ・アカバリョHoracio Enrique Accavallo)。ブエノスアイレス州出身。元WBAWBC世界フライ級王者[2][3][4][5][6][7]

来歴

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1956年9月21日、プロデビュー。

1958年10月12日、後の世界フライ級王者サルバトーレ・ブルニと対戦し、8回判定勝ち。1959年8月1日にブルニと再戦し、10回判定負けでキャリア初黒星となった(26勝1敗5分)。

1961年7月1日、アルゼンチンフライ級王座を獲得。同年10月7日には南米フライ級王座を獲得した。

1965年8月7日、WBAWBC世界フライ級王者サルバトーレ・ブルニとノンタイトル10回戦で対戦し、10回判定勝ち。

同年11月1日にWBA、同18日にはWBCが、ブルニが世界1位海老原博幸の挑戦に応じない事を理由に、ブルニの世界フライ級王座を剥奪した。

当初、海老原と世界2位アカバリョで空位の王座決定戦を行うことになったが、海老原が拳を負傷したため、中止となった。

1966年3月1日、74戦目での世界王座初挑戦となった、空位のWBAWBC世界フライ級王座決定戦で世界3位高山勝義と対戦し、15回判定勝ちでWBA・WBC統一世界王座を獲得した。

1966年7月15日、初防衛戦で海老原博幸と対戦し、15回判定勝ちで初防衛に成功した。なお海老原は試合前のスパーリングで左目上を負傷して、アカバリョも風邪をひくなどで試合が一週間延期される事態があった[8]

1966年12月10日、2度目の防衛戦でアラクラン・トーレスと対戦し、15回判定勝ちで2度目の防衛に成功した。

1967年2月21日、ノンタイトル10回戦で田辺清と対戦し、6回TKO負け。1959年にブルニに喫して以来の2敗目であった。

アカバリョと田辺の再戦が世界タイトルマッチとして行われることになったが、田辺が眼疾を発症(※後に網膜剥離と判明)したため、中止となった。

1967年8月12日、3度目の防衛戦で海老原博幸と再戦し、15回判定勝ちで3度目の防衛に成功した[8]。これが最後の試合となった。

1968年10月2日、WBA・WBC統一世界王座を返上し、引退した。

獲得タイトル

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脚注

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  1. ^ “MURIÓ HORACIO ACCAVALLO: EN EL DÍA DEL BOXEADOR ARGENTINO, EL MUNDO SE VISTE DE LUTO” (スペイン語). izquierdazo.com. (2022年9月13日). https://izquierdazo.com/murio-horacio-accavallo/ 2022年9月18日閲覧。 
  2. ^ a b プロレス&ボクシング、1968年11月号、ベースボール・マガジン社、171頁の下段、「世界ランキング WBCランキング」、フライ級、チャンピオンの氏名。
  3. ^ a b ゴング、1968年11月号、日本スポーツ出版社、154頁の下段、「WBCランキング(8月)」、フライ級、チャンピオンの氏名。
  4. ^ a b ボクシング、平沢雪村主宰、1966年10月号、拳闘社、19頁、「WBCランキング(8月25日)」、フライ級、チャンピオンの氏名。
  5. ^ a b ボクシング、平沢雪村主宰、1966年12月号、拳闘社、13頁、「WBCランキング(11月4日)」、フライ級、チャンピオンの氏名。
  6. ^ a b 朝日新聞、昭和41年(1966年)6月15日(水)、夕刊、第8面、上から8段目、「マクゴワン(英)ブルニを破る 世界フライ級」、記事本文末尾の【注】『世界ボクシング協会(WBA)と同評議会(WBC)はいずれも昨年十一月ブルニが世界一位海老原博幸(協栄)との対戦を拒否したためタイトルをはく奪、オラシオ・アカバーロ(アルゼンチン)を世界チャンピオンとして認定している。(※後略)』
  7. ^ a b 朝日新聞、昭和41年(1966年)6月16日(木)、朝刊、第12面、左側、「世界フライ級 チャンピオンいぜん二人」、『(※前略)一方の世界チャンピオンは世界ボクシング協会(WBA)と世界ボクシング評議会(WBC)が認定するオラシオ・アカバーロ(アルゼンチン)。(※後略)』
  8. ^ a b ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年

関連項目

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外部リンク

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空位
前タイトル保持者
サルバトーレ・ブルニ
WBA世界フライ級王者

1966年3月1日 - 1968年10月2日(返上)

空位
次タイトル獲得者
海老原博幸
空位
前タイトル保持者
サルバトーレ・ブルニ
WBC世界フライ級王者

1966年3月1日 - 1968年10月2日(返上)

空位
次タイトル獲得者
チャチャイ・チオノイ