コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

エリザベス・J・フェインラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Elizabeth "Jake" Feinler
エリザベス・“ジェイク”・フェインラー
フェインラー(2011年頃)
生誕 Elizabeth Jocelyn Feinler
(1931-03-02) 1931年3月2日(93歳)[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ウェストバージニア州ホイーリング
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
研究分野 計算機科学
研究機関
出身校
主な業績 当初のARPANETInterNICの運営
プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

エリザベス・ジョセリン・“ジェイク”・フェインラー(Elizabeth Jocelyn "Jake" Feinler、1931年3月2日 - )は、アメリカ合衆国の情報科学者である。1972年から1989年にかけて、スタンフォード研究所(現 SRIインターナショナル)のネットワーク情報システムセンター長を務めた。フェインラーのグループは、インターネット国防データネットワーク英語版(DDN)の元となったARPANETにおけるInterNICを運営していた[2]

若年期と教育

[編集]

フェインラーは1931年3月2日にウェストバージニア州ホイーリングで生まれ、そこで育った[1][2]。一族で初めて大学に進学し、1954年にウェスト・リバティー大学英語版で学士号を取得した。

キャリア

[編集]

初期のキャリア

[編集]

フェインラーはパデュー大学の大学院に進学し、生化学の博士号取得を目指して研究していたが、論文を書き始める前に1・2年働いてお金を貯めることにした。そこで、アメリカ化学会の傘下のChemical Abstractsが実施していた、全ての化合物の索引を作るプロジェクトの助手を務めた。ここで、このような大規模なデータベースを作ることに関心を持つようになり、生化学の世界に戻ることはなかった。1960年にカリフォルニア州のスタンフォード研究所(現 SRIインターナショナル)の情報研究部に加わり、"Handbook of Psychopharmacology"(精神薬理学ハンドブック)と"Chemical Process Economics Handbook"(化学プロセス経済学ハンドブック)の開発に関わった[3]

ARPANETとNIC

[編集]

フェインラーはSRIの図書館で文献研究セクションの長だったが、1972年、オーグメンテイション研究センター(ARC)を率いるダグラス・エンゲルバートがフェインラーをスカウトした。ARCは、国防高等研究計画局(DARPA)の情報処理技術室英語版が後援していた。ARCでのフェインラーの最初の仕事は、国際コンピュータ通信会議におけるARPANETの最初のデモのためのリソースハンドブックを書くことだった。1974年には、ARPANETのネットワーク・インフォメーション・センター(NIC)の計画と運営を支援する主任研究員になった[4][5]

NICは、利用者へのリファレンスサービス(当初は電話と物理的な手紙によるものだった)を提供し、利用者の一覧である人名録(ホワイトブック)、提供するサービスの一覧であるリソースハンドブック(イエローブック)、プロトコルハンドブックを編纂・出版していた。BBNのネットワーク・オペレーション・センターが提供された後、NICは名前を登録し、端末のアクセス制御・認証追跡・課金情報を提供し、Request for Comments(RFC)を配布した[6]

フェインラーは、スティーブ・クロッカージョン・ポステルジョイス・K・レイノルズNetwork Working Group英語版(NWG)のメンバーと協力して、RFCをARPANET、後のインターネットのための公式の技術ノートに発展させた。NICは、ARCが開発したNLSを使って、初のオンライン文書へのリンクを提供した[4]。エンゲルバートがARCで最先端の研究を継続し、NICが全てのネットワーク利用者にサービスを提供した。このため、NICはフェインラーをマネージャーとする分離したプロジェクトとして設立された[7]

NWGとフェインラーのチームは、1974年に、シンプルなプレーンテキストによるホスト名の一覧のフォーマットを定義し[8]、ネットワークの発展とともに何度か改訂した[9][10]。ホストの一覧は、ほぼ毎日更新され続けていた。1975年、国防通信局(DCA)は、ARPANETを研究用と軍事用のネットワークに分離した。DCAは軍事用ネットワークを国防データネットワーク英語版(DDN)と呼び、NICはその情報センターとなった。1976年頃に電子メールFile Transfer Protocol(FTP)が使えるようになると、NICはネットワークを通じてその情報を利用者に開示した[4]。1977年、ポステルが情報科学研究所に移り、RFCの編集や番号の割当ての機能もポステルとともに移ったが、NICはSRIに残った。1979年、フェインラーのグループは、ネームサービスの規模を拡張する研究を行い[11]、1982年に、オンライン人名録にアクセスするためのプロトコルWHOIS」を開発した[12]。インターネットの拡大に伴い、分散したネームサーバに命名権限を移譲できるようにしたDomain Name System(DNS)が設計された。フェインラーのグループはインターネット全体の命名機関となり、トップレベルドメイン.mil.gov.edu.org.comドメイン名レジストリを開発・管理した[13]

その後のキャリア

[編集]

フェインラーは1989年にSRIを退職した後、NASAエイムズ研究センターでネットワーク要件マネージャーとなり、NASAのネットワークのNICを管理するためのガイドラインの作成に携わった。フェインラーは、カリフォルニア州マウンテンビューのコンピュータ歴史博物館に、初期のインターネットに関する膨大な論文コレクションを寄贈した。1996年にNASAを退職した後は、同博物館のボランティアとして資料の整理を行った[3]。2010年、NICの歴史に関する本を出版した[14]

2012年、インターネットソサエティインターネットの殿堂に殿堂入りした[15]。2013年7月、インターネットソサエティのポステル賞英語版を受賞した[16]。2024年、コンピュータ歴史博物館のコンピュータの殿堂に殿堂入りした。

ニックネーム

[編集]

フェインラーは、「ジェイク」というニックネームについて次のように説明している。

私が生まれた時、ダブルネームは一般的でした。私の本名はエリザベス・ジョセリン・フェインラーで、家族は姉の名前メアリー・ルー(Mary Lou)に合わせてベティ・ジョー(Betty Jo)と呼ぶつもりでした。当時2歳だった姉が呼ぶ私の名前はベビー・ジェイク(Baby Jake)のように聞こえました。私はいつも、ベビーを外してくれて良かったと言っています[3]

脚注

[編集]
  1. ^ a b Interviewed by Janet Abbate (July 8, 2002). “Oral-History:Elizabeth "Jake" Feinler”. Interview # 597. IEEE History Center, The Institute of Electrical and Electronics Engineers, Inc.. 2012年9月1日閲覧。
  2. ^ a b Weber, Marc (10 September 2009). Feinler, Elizabeth oral history. Oral histories online. 102702199. Mountain View, CA: Computer History Museum. X5378.2009. http://www.computerhistory.org/collections/catalog/102702199 September 29, 2013閲覧。 
  3. ^ a b c Eleanor Dickman (May 2001). “Internet History Buff: Jake Feinler”. Focus on People section in CORE 2.2 (Computer Museum History Center, Moffett Field, California): p. 14. オリジナルのOctober 1, 2012時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121001061700/http://www.computerhistory.org/core/backissues/pdf/core_2_2.pdf April 8, 2011閲覧。 
  4. ^ a b c Elizabeth J. Feinler”. SRI Alumni Hall of Fame (2000年). 2022年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月17日閲覧。
  5. ^ Elizabeth (Jake) Feinler”. Stanford MouseSite. Stanford University. 2012年7月29日閲覧。
  6. ^ Crocker, Steve (April 1969). Documentation Conventions (英語). IETF. doi:10.17487/RFC0003. RFC 3
  7. ^ Thierry Bardini; Michael Friedewald (2002). Chronicle of the Death of a Laboratory: Douglas Engelbart and the Failure of the Knowledge Workshop. History of Technology. 23. pp. 192–212. ISBN 978-0-8264-5616-8. http://www.friedewald-family.de/Publikationen/HoT2002.pdf 
  8. ^ Kudlick, M.D. (10 January 1974). Host names on-line (英語). IETF. doi:10.17487/RFC0608. RFC 608
  9. ^ Feinler, Elizabeth; Harrenstien, Ken; Su, Zaw-Sing; White, Vic (1 March 1982). DoD Internet Host Table Specification (英語). IETF. doi:10.17487/RFC0810. RFC 810
  10. ^ Harrenstien, K.; Stahl, M.; Feinler, E. (October 1985). DoD Internet Host Table Specification (英語). IETF. doi:10.17487/RFC0952. RFC 952
  11. ^ Pickens, John R.; Feinler, Elizabeth J.; Mathis, James E. (July 1979). The NIC Name Server—A Datagram Based Information Utility (英語). IETF. doi:10.17487/RFC0756. RFC 756 Also published in the proceedings of the Fourth Berkeley Conference on Distributed Data Management and Computer Networks.
  12. ^ Harrenstien, Ken; White, Vic (1 March 1982). NICNAME/WHOIS (英語). IETF. doi:10.17487/RFC0812. RFC 812
  13. ^ Postel, J.; Reynolds, J. (October 1984). Domain Requirements (英語). IETF. doi:10.17487/RFC0920. RFC 920
  14. ^ Elizabeth Feinler (July–September 2010). “The Network Information Center and its Archives”. Annals of the History of Computing 32 (3): 83–89. doi:10.1109/MAHC.2010.54. 
  15. ^ 2012 Inductees Archived 2012-12-13 at the Wayback Machine., Internet Hall of Fame website. Last accessed April 24, 2012
  16. ^ Elizabeth Feinler Receives 2013 Jonathan B. Postel Service Award - Internet Society”. internetsociety.org. 2024年6月16日閲覧。

外部リンク

[編集]