エフゲニー・ランセレ
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(エフゲニー・ランセライから転送)
エフゲニー・ランセレ Yevgeny Lansere | |
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ボリス・クストーディエフによる肖像画 | |
生誕 |
1875年8月23日 ロシア帝国、パヴロフスク |
死没 |
1946年9月13日 ソヴィエト連邦、モスクワ |
エフゲニー・ランセレ または エフゲニー・ランセライ(ロシア語表記:Евге́ний Евге́ньевич Лансере́、Yevgeny Yevgenyevich Lansere、姓はLanssere、Lanceray、Lanceretとも音訳表記される。ファーストネームはEugeneとも、1875年8月23日 – 1946年9月13日)はロシア、ソビエト連邦の画家である。
略歴
[編集]パヴロフスクに生まれた。母方の祖父、ニコライ・ベノワは画家で、父親のエフゲニー・アレキサンドロヴィッティ・ランセレ(Yevgeny Alexandrovich Lansere)は彫刻家、母親はグラフィック・アーティスト、叔父のアレクサンドル・ベノワは有名な舞台芸術家、画家である。妹のジナイーダ(1884-1967)も画家として知られる。
1895年から1898年の間、パリのアカデミー・コラロッシ、アカデミー・ジュリアンで学んだ。ヨーロッパ各地を旅し、1899年にロシアに戻り、アレクサンドル・ベノワらが主導する雑誌、『芸術世界』(ミール・イスクーストヴァ)を中心とする芸術運動のメンバーとなった。
革命後は、1917年にサンクトペテルブルクから避難し、3年ほどダゲスタンで過ごした。1920年代の初めには日本やトルコのアンカラを旅した。1927年から1931年の間、パリに住んだ後、ソビエトに戻り、1934年から138年の間はレニングラードの美術アカデミーで教えた。1943年にスターリン賞を受賞し、1945年にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の人民芸術家の称号を得た。
作品
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(1901)
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(1904)
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A.ベノアの著書の挿絵
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トルストイの『ハジ・ムラート』の挿絵
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トルストイの『コサック』の挿絵 (1936)
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トルストイの『ハジ・ムラート』の挿絵
参考文献
[編集]- Lanceray (Лансере), Eugen I. In: Hans Vollmer (Hrsg.): Allgemeines Lexikon der Bildenden Künstler von der Antike bis zur Gegenwart. Begründet von Ulrich Thieme und Felix Becker. Band 22: Krügner–Leitch. E. A. Seemann, Leipzig 1928, S. 282–283.