コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

エドヴァルト・リッツ=シミグウィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エドヴァルト・リッツ=シミグウィ
Edward Rydz-Śmigły
生誕 (1886-03-11) 1886年3月11日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国
ガリツィア・ロドメリア王国 ブジェジャニ
死没 (1941-12-02) 1941年12月2日(55歳没)
ナチス・ドイツの旗 ドイツ国
ナチス・ドイツの旗 ポーランド総督府 ワルシャワ
所属組織 オーストリア=ハンガリー帝国陸軍
ポーランド陸軍
軍歴 1914年 - 1939年
最終階級 元帥
テンプレートを表示
エドヴァルト・リッツ

エドヴァルト・リッツ=シミグウィポーランド語: Edward Rydz-Śmigły, 1886年3月11日 - 1941年12月2日)は、ポーランド軍人画家詩人。1939年のナチス・ドイツソ連によるポーランド侵攻時のポーランド軍総司令官。

生涯

[編集]

オーストリア=ハンガリー帝国ブジェジャニ英語版近郊ワプシン(現ウクライナ領)出身。家系はドイツ系ポーランド人。Rydzはドイツ系の姓Ritz(「リヒャルトの息子」の意味)より。父トマシュは旧オーストリア=ハンガリー帝国陸軍下士官。本来のリッツのみであるが、もとはあだ名であった「シミグウィ」(ポーランド語で「素早い」の意味)をつけて、リッツ=シミグウィと改姓した。

ギムナジウム卒業後、クラクフヤギェウォ大学に入学。哲学および美術史を専攻。クラクフ美術学校(現ヤン・マテイコ美術アカデミー)に進学し、ウィーン、ミュンヘンに留学。

ウィーン遊学中の1910年頃、予備士官としてテレジア士官学校に入学し、歩兵第4連隊にて訓練を受ける。少尉任官後の1912年、ポーランド人準軍事組織「猟兵連合 (Związek Strzelecki)」の設立に関わる。同年、美術アカデミーを卒業。早くもその美術的才能が注目され、彼の将来は約束されているかのように思われた。

しかし1914年、第一次世界大戦が勃発。8月、リッツも応召され、ユゼフ・ピウスツキ率いるポーランド第1旅団の所属としてヴィスワ川周辺にてロシア軍と交戦を繰り返す。戦闘を交わす中でみるみるうちに出世し、1916年、大佐に昇進。しかし戦火のなかでも絵に対する情熱は忘れておらず、画廊に自身の絵を出展している。

1917年、ピウスツキが自身の部隊をドイツ・オーストリア軍の一部となることを拒否したため、部隊は強制解散、ピウスツキら指揮官はマルデブルク監獄に投獄された。

幸いにも、このとき健康上の問題から投獄を免れたリッツは、ピウスツキの意志を継ぎ、ポーランド軍の創設に携わる。1918年10月、ポーランド共和国臨時委員会戦争大臣に就任。

1919年、ポーランド・ソビエト戦争に参加し、各地を転戦。ヴィリニュスおよびダウガフピルスを占領した。その後、ラトビア軍最高指揮官に就任し、ソ連軍からラトガレを奪還。続いて、赤軍第12師団を壊滅させ、キエフをも手中に収めた。ワルシャワの戦いでは中央軍を指揮し、ワルシャワを死守。のち攻勢に転じ、第4軍および第15軍、ハイク・ベジシカン英語版率いる第3騎兵軍団の退路を封じ、「ヴィスワの奇跡」と言わしめた。

戦後、リッツはヴィリニュス方面軍、のちワルシャワ中央軍にて監察総監の地位に就いた。

1926年、ピウスツキがクーデター(五月革命英語版)を起こすと、リッツは反乱軍に加わり、政権掌握に貢献した。この功績から、1929年に東部方面軍総監の地位に任ぜられた。

1935年5月13日、ピウスツキの死去とともにポーランド軍監察総監に就任し、軍の最高権力者となった。

1936年10月には、ポーランド元帥。

1939年9月のドイツ軍の侵攻には、最高司令官としてポーランド軍を指揮し、ワルシャワの死守とルーマニア橋頭堡での持久を計るが、9月17日にソ連軍が東部国境より侵攻すると、ルーマニアへの脱出を国軍に命じると共に、自らも政府要人とともに、ルーマニアに脱出し抑留された。

ルーマニアで抑留中の10月に一切の公職を辞任し、権限をシコルスキ将軍の在仏ポーランド亡命政府に移譲したが、亡命政権には参加しなかった。

1939年12月には、ルーマニアを脱出し、1940年10月にはワルシャワに秘密裏にもどり、国内軍の地下運動に参加した。

1941年12月に、ワルシャワにて心不全により急死。享年55。

参考文献

[編集]
  • Cepnik, Kazimierz Wódz Naczelny i Marszałek Polski Edward Śmigły-Rydz, Życie i Czyny, Lwów, 1937.
  • Eckert,Marian. Historia polityczna Polski lat 1918–1939. Warszawa, 1989.
  • Jabłonowski, Marek,i Stawecki, Piotr. Następca komendanta. Edward Śmigły-Rydz. Materiały do biografii. Pułtusk,1998
  • Jędruszczak,Hanna, and Tadeusz Jędruszczak. Ostatnie lata Drugiej Rzeczypospolitej (1935–1939), Warszawa, 1970.
  • Kaden-Bandrowski,Juliusz. Piłsudczycy, (The Piłsudskiites), Oświęcim, 1916;
  • Mirowicz, Ryszard. Edward Rydz-Śmigły: działalność wojskowa i polityczna, Warszawa, 1988.
  • Pepłoński,Andrzej Wywiad a dyplomacja II Rzeczypospolitej, Toruń, 2004.
  • Piłsudski,Józef. Pisma zbiorowe, Warszawa: 1937.
  • Seidner, Stanley S., "The Camp of National Unity: An Experiment in Domestic Consolidation," The Polish Review vol. xx, nos. 2–3, 1975, pp. 231–236.
  • Seidner,Stanley S., "Reflections from Rumania and Beyond: Marshal Śmigły-Rydz Rydz in Exile," The Polish Review vol. xxii, no. 2, 1977, pp. 29–51.
  • Seidner, Stanley S. Marshal Edward Śmigły-Rydz Rydz and the Defense of Poland, New York, 1978.
  • Serwatka, Tomasz. "Edward Rydz-Śmigły," Gazeta:Historia mało znana,(January) 2007,[1]
  • Stachiewicz, Wacław. Wierności dochować żołnierskiej, Warsaw, 1998.
  • Zaremba, Paweł. Historia Dwudziestolecia 1918–1939, (A History of the Twenty Years, 1918–1939), 2 vols., Paris, 1967.