エミー・フレージャー
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基本情報 | ||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||
出身地 | 同・ミズーリ州セントルイス | |||
生年月日 | 1972年9月19日(52歳) | |||
身長 | 175cm | |||
体重 | 63kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1986年 | |||
引退年 | 2006年 | |||
ツアー通算 | 12勝 | |||
シングルス | 8勝 | |||
ダブルス | 4勝 | |||
生涯通算成績 | 697勝560敗 | |||
シングルス | 497勝335敗 | |||
ダブルス | 200勝225敗 | |||
生涯獲得賞金 | $3,460,799 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | ベスト8(1992) | |||
全仏 | 3回戦(1995・2001) | |||
全英 | 4回戦(1991・92・96・2004) | |||
全米 | ベスト8(1995) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 |
2回戦(1989・90・93・96・97・ 2001・02・06) | |||
全仏 | 3回戦(1995) | |||
全英 | ベスト8(1995) | |||
全米 | ベスト8(1998) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 13位(1995年2月27日) | |||
ダブルス | 24位(1993年3月29日) | |||
エミー・フレージャー(Amy Frazier, 1972年9月19日 - )は、アメリカ・ミズーリ州セントルイス出身の女子プロテニス選手。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAツアーでシングルス8勝、ダブルス4勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス13位、ダブルス24位。女子テニスツアーの選手の中でも、日本の大会出場が多い選手としてよく知られる。
来歴
[編集]フレージャーの選手生活は1986年から始まり、1987年の全米オープンで4大大会本戦に初出場している。1990年9月、この年に創設された東京・東京体育館の「ニチレイ・レディース」大会で初来日する。この時は準々決勝でモニカ・セレシュ、準決勝でカテリナ・マレーバを破って勝ち上がったが、決勝でメアリー・ジョー・フェルナンデスに敗れて準優勝に終わった。1991年に「ジャパン・オープン」にも初出場し、以来フレージャーは日本でプレーする常連の選手となった。同大会では1992年の準決勝で日本の伊達公子と初対戦し、1994年から1996年までの3年連続で、フレージャーと伊達が決勝対決をした。1995年の決勝戦ではフレージャーが優勝したが、後の3回は伊達が勝っている。(伊達とフレージャーは、ジャパン・オープンでの4回の対戦を除き、他のトーナメントでは全く対戦がない。)1997年は4年連続の決勝進出で杉山愛に敗れたが、1999年の決勝では杉山を破って4年ぶり2度目の優勝を果たす。2000年の決勝ではフランスのジュリー・アラール=デキュジスに敗れた。総計で、フレージャーはジャパン・オープン決勝に「2勝4敗」の戦績を残した。
フレージャーが第1回大会から参加してきた「ニチレイ・レディース」では、1994年にもアランチャ・サンチェス・ビカリオに決勝で敗れた準優勝がある。この大会は1997年に「トヨタ・プリンセス・カップ」という名称に変更され、2002年を最後に終了した。最後の大会の時もフレージャーはプレーしており、セリーナ・ウィリアムズとの準決勝まで勝ち進んでいる。
4大大会では2度のベスト8進出があり、1992年全豪オープン、1995年全米オープンで準々決勝に勝ち進んだ。最近の4大大会での好成績は、2004年ウィンブルドンでの4回戦進出がある。フレージャーは31歳でも健在なプレーを披露したが、第13シードのマリア・シャラポワに 4-6, 5-7 で敗れた。
ジャパン・オープンで2度目の優勝を果たした1999年、8月第1週にアメリカ・サンディエゴで開かれた「南カリフォルニア・オープン」2回戦で、フレージャーはシュテフィ・グラフと対戦した。この時グラフは足の故障から、フレージャーとの試合を 6-4, 5-7, 1-2 で途中棄権し、翌週の8月13日に引退を正式発表したためフレージャーがグラフの最後の試合の相手になった。
フレージャーは2004年1月にオーストラリア・ホバート大会の決勝で日本の浅越しのぶを破った優勝がある。2005年11月にはカナダ・ケベック市の大会で優勝を飾り、33歳にして女子テニスツアーのシングルス「8勝目」を挙げた。2006年全米オープン1回戦でビルヒニア・ルアノ・パスクアルに敗れた試合を最後に、現役を引退した。
WTAツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 15回 (8勝7敗)
[編集]大会グレード |
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グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (1–2) |
ティア III (3–4) |
ティア IV & V (4–1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 1989年2月26日 | ウィチタ | ハード (室内) | バーバラ・ポッター | 4–6, 6–4, 6–0 |
優勝 | 2. | 1990年2月25日 | オクラホマシティ | ハード (室内) | マノン・ボーラグラフ | 6–4, 6–2 |
準優勝 | 1. | 1990年9月30日 | 東京 | カーペット (室内) | メアリー・ジョー・フェルナンデス | 6–3, 2–6, 3–6 |
優勝 | 3. | 1992年5月24日 | ルツェルン | クレー | ラドカ・ズルバコバ | 4–6, 6–4, 7–5 |
準優勝 | 2. | 1994年4月4日 | 東京 | ハード | 伊達公子 | 5–7, 0–6 |
優勝 | 4. | 1994年8月14日 | ロサンゼルス | ハード | アン・ブンダーリヒ | 6–1, 6–3 |
準優勝 | 3. | 1994年9月19日 | 東京 | ハード | アランチャ・サンチェス・ビカリオ | 1–6, 2–6 |
優勝 | 5. | 1995年4月16日 | 東京 | ハード | 伊達公子 | 7–6(5), 7–5 |
準優勝 | 4. | 1996年4月15日 | 東京 | ハード | 伊達公子 | 4–6, 5–7 |
準優勝 | 5. | 1997年4月20日 | 東京 | ハード | 杉山愛 | 6–4, 4–6, 4–6 |
優勝 | 6. | 1999年4月18日 | 東京 | ハード | 杉山愛 | 6–2, 6–2 |
準優勝 | 6. | 2000年10月9日 | 東京 | ハード | ジュリー・アラール=デキュジス | 4–6, 5–7 |
準優勝 | 7. | 2003年1月12日 | ホバート | ハード | アリシア・モリク | 2–6, 6–4, 4–6 |
優勝 | 7. | 2004年1月16日 | ホバート | ハード | 浅越しのぶ | 6–3, 6–3 |
優勝 | 8. | 2005年11月6日 | ケベックシティ | ハード (室内) | ソフィア・アルビドソン | 6–1, 7–5 |
ダブルス: 13回 (4勝9敗)
[編集]結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 1990年10月28日 | ドラド | ハード | ジュリー・リチャードソン | Elena Brioukhovets ナタリア・メドベデワ |
4-6, 2-6 |
優勝 | 1. | 1991年4月8日 | 東京 | ハード | 木戸脇真也 | 神尾米 雉子牟田明子 |
6-2, 6-4 |
優勝 | 2. | 1992年4月6日 | 東京 | ハード | 平木理化 | 伊達公子 ステファニー・レイヒ |
5-7, 7-6(5), 6-0 |
優勝 | 3. | 1992年5月24日 | ルツェルン | クレー | エルナ・ライナッハ | カリナ・ハブスドバ マリアン・ワーデル |
7-5, 6-2 |
準優勝 | 2. | 1993年2月14日 | シカゴ | カーペット (室内) | キンバリー・ポー | カトリナ・アダムズ ジーナ・ガリソン=ジャクソン |
6–7(3), 3–6 |
準優勝 | 3. | 1994年9月19日 | 東京 | ハード | 平木理化 | アランチャ・サンチェス・ビカリオ ジュリー・アラール |
1-6, 6-0, 1-6 |
準優勝 | 4. | 1996年4月21日 | 東京 | ハード | キンバリー・ポー | 伊達公子 杉山愛 |
6-7(6), 7-6(6), 3-6 |
準優勝 | 5. | 1996年8月18日 | ロサンゼルス | ハード | キンバリー・ポー | リンゼイ・ダベンポート ナターシャ・ズベレワ |
1-6, 4-6 |
準優勝 | 6. | 1996年10月27日 | ケベックシティ | ハード (室内) |
キンバリー・ポー | デビー・グラハム ブレンダ・シュルツ=マッカーシー |
1-6, 4-6 |
準優勝 | 7. | 1997年8月3日 | サンディエゴ | ハード | キンバリー・ポー | マルチナ・ヒンギス アランチャ・サンチェス・ビカリオ |
3-6, 5-7 |
準優勝 | 8. | 1998年4月19日 | 東京 | ハード | 平木理化 | 宮城ナナ 雉子牟田直子 |
3-6, 6-4, 4-6 |
優勝 | 4. | 1999年11月1日 | ケベックシティ | ハード (室内) |
ケイティー・シュルークバー | デビー・グラハム カーラ・ブラック |
6-2, 6-3 |
準優勝 | 9. | 2000年7月30日 | スタンフォード | ハード | カーラ・ブラック | チャンダ・ルビン サンドリーヌ・テスチュ |
4-6, 4-6 |
4大大会シングルス成績
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1987 | 1988 | 1989 | 1990 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | 1R | 3R | 1R | 4R | QF | 1R | 3R | 3R | 1R | 1R | A | 2R | 1R | 2R | 2R | 2R | 3R | 3R | 1R | 21–18 |
全仏オープン | LQ | 1R | 1R | A | A | 2R | A | 1R | 3R | 1R | 2R | A | 2R | 1R | 3R | 2R | 1R | 1R | 2R | 1R | 9–15 |
ウィンブルドン | LQ | 1R | 2R | 3R | 4R | 4R | A | 1R | 2R | 4R | 2R | 1R | 1R | 3R | 3R | 1R | 2R | 4R | 1R | 3R | 24–18 |
全米オープン | 1R | 3R | 1R | 1R | 2R | 1R | 2R | 2R | QF | 2R | 1R | 1R | 3R | 1R | 1R | 4R | 3R | 3R | 2R | 1R | 19–20 |
※: 2003年全米2回戦の不戦勝は通算成績に含まない
外部リンク
[編集]- エミー・フレージャー - WTAツアーのプロフィール
- エミー・フレージャー - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール
- エミー・フレージャー - 国際テニス連盟