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ウォルター・アースキン (第12代マー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第14代ケリー伯爵および第12代マー伯爵ウォルター・ジョン・フランシス・アースキン英語: Walter John Francis Erskine, 14th Earl of Kellie, 12th Earl of Mar KT1865年8月29日1955年6月3日)は、イギリスの政治家、スコットランド貴族。1888年までアースキン卿儀礼称号を使用した[1]

生涯

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ウォルター・ヘンリー・アースキン(後の第13代ケリー伯爵、第11代マー伯爵)とメアリー・アン・フォーブズ(Mary Anne Forbes、1927年5月22日没、ウィリアム・フォーブズの娘)の息子として、1865年8月29日に生まれた[1]。1879年から1883年までイートン・カレッジで教育を受けた[1]

1888年9月16日に父が死去すると、ケリー伯爵マー伯爵の爵位を継承した[1]。1892年、スコットランド貴族代表議員に当選した[1]

1898年10月14日から1955年6月3日までクラックマナンシャー統監を務めた[2]。1911年6月19日にシッスル勲章を授与され[1]、1932年から1949年までシッスル騎士団長英語版を務めた[3]。1936年から1944年まで選挙名簿管理長官英語版を務めた[4]

1930年代末にはナチス・ドイツオズワルド・モズレー率いるイギリスファシスト連合平和主義を支持し、非戦平和誓約団英語版の勲章をつけながらナチス式敬礼をするという二面性を示したという[5]

1955年6月13日に死去、息子に先立たれたため孫ジョン・フランシス・ハーヴィーが爵位を継承した[3]

家族

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1892年7月14日、スーザン・ヴァイオレット・アシュリー=クーパー(Susan Violet Ashley-Cooper、1868年7月18日ー1938年12月16日、第8代シャフツベリ伯爵アンソニー・アシュリー=クーパー英語版の娘)と結婚、2男1女をもうけた[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 105–106.
  2. ^ "Our History". Lord Lieutenancy of Clackmannanshire (英語). 2019年11月2日閲覧
  3. ^ a b c "Mar, Earl of (S, 1565)". Cracroft's Peerage (英語). 9 September 2004. 2019年11月2日閲覧
  4. ^ Montague-Smith, Patrick W., ed. (1995). Debrett's Peerage and Baronetage (英語). Debrett's Peerage Limited.
  5. ^ Griffiths, Richard (2016). What Did You Do During the War?: The Last Throes of the British Pro-Nazi Right, 1940-45 (英語). Taylor & Francis. pp. 327–328. ISBN 978-1-315-71267-3
公職
先代
バクルー公爵
選挙名簿管理長官英語版
1936年 – 1944年
次代
エルフィンストーン卿英語版
名誉職
先代
マンスフィールド伯爵英語版
クラックマナンシャー統監
1898年 – 1955年
次代
ジェームズ・パトン・ヤンガー
先代
ロクスバラ公爵
シッスル騎士団長英語版
1932年 – 1949年
次代
エルフィンストーン卿英語版
スコットランドの爵位
先代
ウォルター・ヘンリー・アースキン
マー伯爵
1888年 – 1955年
次代
ジョン・フランシス・ハーヴィー・アースキン
ケリー伯爵
1888年 – 1955年