コンテンツにスキップ

ウェンディ・ルース・シャーマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウェンディ・ルース・シャーマン

ウェンディ・ルース・シャーマン(Wendy Ruth Sherman, 1949年6月7日 - )は、アメリカ合衆国政治家外交官国務次官補(議会担当)国務省参事官国務次官(政治担当)国務副長官を歴任。アジア問題、特に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)問題に関する経験が豊富[1]

生い立ち

[編集]

メリーランド州ボルチモアに生まれた。ユダヤ系[2][3]1967年から1969年までスミス大学に在籍、1971年にボストン大学で学位を取得。1976年メリーランド大学で社会福祉の修士号を取得、ファイ・カッパ・サイに所属。

メリーランド州時代

[編集]

バーバラ・ミクルスキ下院議員の首席補佐官を3年務めた。1986年の上院議員選挙ではミクルスキの選対委員長を務め、勝利に貢献した。その後、メリーランド州特別長官(青少年担当)[# 1]、メリーランド州児童福祉局長[# 2] を歴任。

1988年民主党全国委員会では同年の総選挙に向けた総合的運営に関与し、議会・選挙区とのコミュニケーションを監督した。また連邦・州・自治体の各レベル間の選挙運動について調整を行い、効率的な選挙活動の遂行を指揮した。

1991年から1993年にかけて、コンサルタント会社ドーク・シュラム・ハリス・アンド・シャーマンで経営パートナーとして戦略的コミュニケーションを専門に扱った。またエミリーズ・リストを運営し、妊娠中絶容認派の民主党女性候補を政治的および資金的に支援した。1992年には組織的に戦略を策定することにより、連邦下院で過去最多の女性議員を誕生させた。

クリントン政権時代

[編集]

1993年から1996年まではウォレン・クリストファー国務長官の下で議会担当国務次官補を務め、国務省と連邦議会との間での立法上の取り組みを指揮した。またデイトン合意に関連して、ソビエト連邦の崩壊後のロシアその他の新独立国家に対して資金的支援の獲得を導いた。

1996年4月から1997年7月までは新設されたファニー・メイ財団で会長兼CEOを務め、アメリカ国内における持ち家の普及・促進を目指した。またファニー・メイ本体の運営委員としても活動。財団では運営基盤の構築を行った。

1997年、国務省に復帰し、マデレーン・オルブライト国務長官の下で参事官を務めた。同時にビル・クリントン大統領の指名および連邦上院の承認を受けて、大使級のランクも受けた。シャーマンはオルブライト国務長官に対する助言を行い、特に外交政策の主要課題に関する特別任務を引き受けた。シャーマンは北朝鮮特使を務め、アメリカの対北朝鮮政策を担った[4]2000年には北朝鮮政策調整官として平壌を訪れ、金正日総書記米朝関係改善について会話を行った[5]

オバマ政権時代

[編集]

2009年以降、シャーマンはオルブライト・ストーンブリッジ・グループの国際戦略のコンサルティング会社で副会長を務めた。シャーマンは2008年大統領選挙ヒラリー・クリントンの顧問役を務め、選挙後はトマス・ドニルソンとともにバラク・オバマ次期政権の発足に向けて、国務省との調整仲介を行った。シャーマンはオバマ政権における国務省の上級ポストの有力候補として名前が挙げられた[6]

2011年7月1日、オバマ大統領はシャーマンを次期国務次官(政治担当)に指名すると発表[1][7]。同年9月21日に就任宣誓を行った[8]

バイデン政権時代

[編集]

2021年1月16日、ジョー・バイデン次期大統領の政権移行チームは、シャーマンを国務副長官に指名すると発表[9]。同年4月13日、上院は、国務副長官就任を56対42の賛成多数で承認した[10]。女性初の国務副長官。

2022年8月8日、ソロモン諸島を訪問。日本政府主催で行われたガダルカナルの戦いの慰霊式に出席した[11]。彼女の父は同地で戦闘した海兵隊員だった。

2023年7月28日に国務副長官を退任[12]

2024年4月29日の春の叙勲で旭日大綬章を受章した[13][14]

発言

[編集]

2015年3月24日にワシントンD.C.カーネギー国際平和研究所セミナーでの講演で、歴史認識が原因で日中韓3国の協力が妨げられているとしたうえで、「民族感情はまだ利用することができ、政治指導者が過去の敵を非難することで安価な拍手を得ることは簡単なことだ」とし「しかし、このような挑発ではなにも進展せずに、麻痺をもたらす」と歴史認識の差を悪用することを批判した。韓国の聯合ニュース記者は『「過去の歴史挑発」を初めて触発した日本ではなく韓国と中国がこれを利用して、国内政治に利用している点を指摘したものであったため 議論の余地がある』と批判した [15]

ギャラリー

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 閣僚級
  2. ^ 正確にはメリーランド州児童福祉・監視保護サービス・児童養護・養子縁組・グループホーム局長

出典

[編集]
  1. ^ a b 白戸圭一 (2011年7月3日). “オバマ米大統領:シャーマン氏を国務次官に指名”. 毎日新聞. http://mainichi.jp/select/world/obama/archive/news/2011/07/20110703ddm007030133000c.html 2011年7月7日閲覧。 
  2. ^ Hancock, Jay (July 21, 1999). "Confidante to Albright". The Baltimore Sun. p. 1A.
  3. ^ Jewish Telegraph Agency: "The top 13 Jewish newsmakers of 5775" By Julie Wiener August 26, 2015
  4. ^ Stokes, Bruce (2002年7月). “【インタビュー】ウェンディ・シャーマン 米国・前特使が語る北朝鮮政策の成果と懸念”. http://www.fsight.jp/article/8402 
  5. ^ “シャーマン氏「北、米民主党政権後に期待託すのは間違い」”. 東亜日報. (2006年11月20日). http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2006112015818 
  6. ^ Kamen, Al (2008年11月14日). “Hillary Clinton as Mrs. Foggybottom?”. 2008年11月28日閲覧。
  7. ^ President Obama Announces More Key Administration Posts”. The White House (2011年7月1日). 2011年10月21日閲覧。
  8. ^ Sherman, Wendy R.”. U.S. State Department. 2011年10月21日閲覧。
  9. ^ 国務副長官にシャーマン氏 イラン、北朝鮮精通―次期米政権”. 時事通信 (2021年1月14日). 2021年5月8日閲覧。
  10. ^ 米上院、シャーマン氏の国務副長官指名を承認”. ロイター (2021年4月14日). 2021年5月8日閲覧。
  11. ^ 「ガダルカナル島」慰霊式典に刃物男、海自隊員襲われる…はさみのような凶器で首に負傷”. 読売新聞オンライン (2022年8月8日). 2022年8月8日閲覧。
  12. ^ “シャーマン米国務副長官が退任へ 女性初の米国務省ナンバー2”. 朝日新聞. (2023年7月25日). https://www.asahi.com/sp/articles/ASR7T0S5FR7SUHBI04F.html 2023年7月25日閲覧。 
  13. ^ 『官報』号外第106号68頁 令和6年4月30日
  14. ^ 令和6年春の外国人叙勲 旭日在外” (PDF). 内閣府. p. 1 (2024年4月29日). 2024年5月9日閲覧。
  15. ^ <米国務次官「過去の歴史は覆っていこう」...韓・中・日に決心を促す>「韓国」,聯合ニュース,http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2015/03/01/0200000000AKR20150301004200071.HTML<.
  16. ^ “米ASEAN首脳会議の共同声明「深い懸念」に、ミャンマー国軍反発「内政干渉、断固拒否」”. 東京新聞. (2022年5月15日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/177514 2022年9月5日閲覧。 

外部リンク

[編集]
公職
先代
ジャネット・G・マリンズ
アメリカ合衆国国務次官補(議会担当)
1993年5月12日 - 1996年3月29日
次代
バーバラ・ミルズ・ラーキン
先代
ティモシー・エンディコット・ワース
アメリカ合衆国国務省参事官
1997年8月6日 - 2001年1月20日
次代
フィリップ・ゼリコー
先代
ウィリアム・ジョセフ・バーンズ
アメリカ合衆国国務次官(政治担当)
2011年9月21日 - 2015年10月2日
次代
トム・シャノン
先代
スティーブン・ビーガン
アメリカ合衆国国務副長官
2021年4月14日 - 2023年7月28日
次代
ビクトリア・ヌーランド
(代行)