コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ウィリアム・ギャラス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウィリアム・ガラスから転送)
ウィリアム・ギャラス
2018年のギャラス
名前
愛称 Billy, Willy
ラテン文字 William GALLAS
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1977-08-17) 1977年8月17日(47歳)
出身地 アニエール=シュル=セーヌ
身長 181cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF (CB, SB)
利き足 右足
ユース
1987-1992 フランスの旗 AVGフットボール
1992-1993 フランスの旗 RCFパリ
1992-1994 フランスの旗 クレールフォンテーヌ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1997 フランスの旗 カーン 34 (0)
1997-2001 フランスの旗 マルセイユ 84 (2)
2001-2006 イングランドの旗 チェルシー 159 (13)
2006-2010 イングランドの旗 アーセナル 101 (12)
2010-2013 イングランドの旗 トッテナム 61 (1)
2013-2014 オーストラリアの旗 パース・グローリー 14 (1)
代表歴2
1997  U-20フランス 3 (0)
1997-1998  U-21フランス 11 (0)
2002-2010 フランスの旗 フランス 84 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年10月16日現在。
2. 2014年10月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ウィリアム・ギャラスWilliam Gallas, 1977年8月17日 - )は、フランスアニエール=シュル=セーヌ出身の同国代表の元サッカー選手。ポジションはディフェンダーグアドループにルーツを持つ。

経歴

[編集]

クラブ

[編集]

フランス代表で同僚のティエリ・アンリと同じく10代半ばまでクレールフォンテーヌ国立研究所(INF)で育っている。SMカーンオリンピック・マルセイユを経て2001年プレミアリーグチェルシーFCへ加入した。

チェルシーFCでは、しばらくはセンターバックとして出場していたもののジョゼ・モウリーニョが監督に就任した2004年夏からはサイドバックとしての出場が増え、かねてから何度もセンターバックでの起用をモウリーニョに切望していたが、ジョン・テリーリカルド・カルバーリョの両センターバックが欠場でもしない限り、そのポジションでの起用は無く、左サイドバックとして起用されることが多かった。そのために、新たなクラブでの挑戦を再三公言していた。

2006年にはアメリカ遠征を無断欠席した事でクラブの怒りを買い、移籍してきたミヒャエル・バラックに自身の背番号13を勝手にクラブによって奪われ、8月31日に自身+金銭(500万ポンド)の条件でアーセナルFCアシュリー・コールとのトレードが成立。アーセナルへと移籍している。アーセナルではディフェンダーとしては珍しい背番号10(ギャラスが来る前はデニス・ベルカンプがつけていた)を背負い、ディフェンスリーダーとしてセンターバックで活躍した。

2007-08シーズンからは移籍したティエリ・アンリに代わってキャプテンを務めることになった。当初は、クラブの補強について苦言を呈していた彼のキャプテン就任に疑問を持つ者も多かったが、キャプテンを任されてからはチームを鼓舞し、貴重な時間に得点を奪うなどチームを牽引する活躍を見せた。しかし2008年になるとチームメイトを批判したこと(ロビン・ファン・ペルシへの非難と見られているが、クラブ側はこれを強く否定)によって、キャプテンを剥奪された。サミル・ナスリは「ギャラスとは喋らない」と明らかにしている。ただし、ナスリ自身も、試合後の更衣室での議論で、ナスリがボールを失ったことにギャラスが落胆を示したときに、暴言を吐かれたとギャラスに暴露されている。

2010年8月22日、アーセナル最大のライバルであるトッテナム・ホットスパーFCハリー・レドナップの熱望によりフリーで加入した。週給はアーセナル時代の半分程度で、背番号は再び13を背負うことになった。ライバルチームからの移籍ということで最初はファンから懐疑の声が出たが、ビッグクラブを渡り歩いたキャプテンシーを発揮しトッテナムの大黒柱として活躍。チャンピオンズリーグを戦うチームにとって欠かせない戦力となった。

2012-13シーズン終了後、契約満了につき退団決定。10月23日Aリーグパース・グローリーFCに加入した[1]

2014年10月16日、現役引退を表明した[2]

代表

[編集]

フランス代表ではマルセル・デサイーの後継者として守備陣のリーダー的役割を担い、2006年のFIFAワールドカップではリリアン・テュラムと共に鉄壁のセンターバックコンビを形成し決勝進出の立役者の一人となった(結果は準優勝)。2009年11月18日ワールドカップ予選プレーオフアイルランド戦では、延長前半10分に決勝ゴールを挙げてフランスのワールドカップ出場に貢献した。本大会でもスタメンで出場したが、グループリーグ敗退に終わった。

2011年6月6日、代表引退を表明した。

個人成績

[編集]

代表での成績

[編集]
出典[3]


フランス代表国際Aマッチ
出場得点
2002 3 0
2003 8 0
2004 15 0
2005 11 1
2006 15 1
2007 7 0
2008 10 0
2009 9 2
2010 6 1
合計 84 5

脚注

[編集]
  1. ^ DFギャラスがAリーグでのプレーを選択…永井龍とチームメートに サッカーキング 2013年10月23日
  2. ^ 元フランス代表ギャラスが現役引退 Goal 2014年10月16日
  3. ^ Gallas, William”. National-Football-Teams. 2016年10月15日閲覧。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]