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ウァロ・アタキヌス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウァッロ・アタキヌス
誕生 紀元前82年
ガリア・ナルボネンシス
死没 紀元前35年頃
国籍 共和政ローマ
活動期間 古代ローマ黄金期
ウィキポータル 文学
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プブリウス・テレンティウス・ウァッロ・アタキヌスラテン語: Publius Terentius Varro Atacinus, 紀元前82年紀元前35年頃)は、古代ローマ黄金期詩人

同時代人のマルクス・テレンティウス・ウァッロ(Varro Reatinus)とはよく混同される。

生涯

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ウァッロは、ローマの属州ガリア・ナルボネンシスに生まれた。そこはガリア地方の南部にあたり、首都ナルボンヌのあったところである。アタクス川(現オード川)に面していて、アタキヌスというコグノーメンはそこが生まれ故郷であることを示している。

作品

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現存するウァッロの作品は断片のみである。

ウァッロの断片では、『The Tombs of the Great(名士の墓)』というエピグラム(警句)がよく知られている。本当にウァッロの作品かどうかはおくとして、それは俳句に似て、簡明かつ懐疑的なローマ時代の特徴を持っている。

Marmoreo Licinus tumulo jacet, at Cato nullo,
Pompeius paruo: credimus esse deos?

((奴隷から自由民になった)リキヌスが眠る大理石の墓にて。それでもカトーにとっては、存在しない者。/ポンペイウスにとっては、取るに足らない者。何故? 我々は神々だと思うのか?)

参考文献

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