李成愛
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(イ・ソンエから転送)
李成愛 | |
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生誕 | 1952年7月29日(72歳) |
出身地 | 韓国、釜山広域市 |
ジャンル | ポップス、トロット、演歌 |
職業 | 歌手 |
活動期間 |
1971年[1] -1978年 2005年 |
レーベル | 地球レコード (韓国)、 東芝EMI、キングレコード、テイチクエンタテインメント |
李成愛 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 이성애 |
漢字: | 李成愛 |
発音: | イ・ソンエ |
ローマ字: | I Seong-ae |
李 成愛(イ・ソンエ、朝鮮語: 이성애、1952年7月29日[2] - )は大韓民国の歌手である。「カスマプゲ」のヒットにより、韓国人歌手として日本で最初に成功を収めた人物である。1970年代当時は「リセイアイ」と読むのが一般的であった。
来歴・人物
[編集]1971年、「愛の小屋」でポピュラー歌手として韓国歌謡界にデビュー。1973年にカーペンターズのカバー曲などでMBC10大歌手女性新人賞などを受賞した。
1977年に日本に渡り、南珍のトロット曲「カスマプゲ」を日本語でヒットさせ、一躍人気歌手となった [3]。LP「熱唱/演歌の源流を探る」が日本レコード大賞企画賞を受賞した(受賞者は東芝EMI)。東芝EMIで吹き込んだシングル4枚、LP5枚、テープ10本の累計売上は6億5000万円を記録した[4]。
人気の絶頂にあった1978年に、アメリカ合衆国シンシナティ在住の忠南大学校教授チャ・サンチョルと結婚するため突如引退した[5][6]。
1988年から大田市に住み、ゴスペル歌手として活動。FEBCラジオで10年以上冠番組を担当。2001年、大田市ワールドカップ広報委員就任。
2005年10月26日、日本で19年ぶりの新曲、日韓福祉交流慈善講演テーマソング「涙は人のために/心の旅路」をリリースした[7]。
参考文献
[編集]作品
[編集]シングル
[編集]- カスマプゲ/黄色いシャツ(1977年4月5日、TP-10206)
- 納沙布岬/郷愁(1977年6月20日、TP-10252)
- 離別/韓国語版(1977年、TP-10336)
- かりそめの妻/わかれ雨(1978年、TP-10399)
- 釜山港へ帰れ(泪の波止場)/愛してます(サランへ)(1980年4月5日、TP-10710)
- 恋忘れじのブルース(1983年、TP-17526)
- 大田ブルース/他郷暮し(1983年、TP-17568)
- ミオ・ミオ・ミオ/雨降る湖南線(1983年、TP-17569)
- どうしたらいいの/ソウルよさようなら(1983年、TP-17570)
- 望郷/きずあと(1985年、キングレコード)
- 離別/カスマプゲ(1988年8月28日、RT07-2148、東芝EMI)
- 愛の無窮花/荒城の歌(4Rs-739)
アルバム
[編集]- リサイタル(1977年、TP-60266-7)
- サヨナラ・リサイタル(TP-60289-90)
- 哀愁の韓国メロディー(TP-60308-9)
- 熱唱(TP-72219)
- 納沙布岬 演歌の源流を探る(TP-72259)
- かりそめの妻 演歌の源流を探る(TP-80017)
- さよなら(1978年、TP-80038)
- 全曲集(1981年、TP-60420)
- ソウルの月 / ノムハムニダ
- 釜山港へ帰れ(1983年、TP-90242)
- ベストヒット韓国演歌(1985年、T28A-1043、キングレコード)
外部リンク
[編集]脚注
[編集]- ^ http://www.melon.com/artist/timeline.htm?artistId=7668
- ^ TOWER RECORDS 李成愛プロフィール
- ^ これをきっかけに韓国ブームが起こり、朝鮮語の歌詞の曲がカラオケで歌われるようになった
- ^ 古茂田信男、矢沢寛、島田芳文、横沢千秋『新版 日本流行歌史〈下(1960~1994)〉』(ISBN 4390501968)、社会思想社、1995年、57頁
- ^ 월드컵 내사랑/D-52 대전시 홍보위원 가수 이성애씨 東亜日報 2002-04-08
- ^ Korean-Madisonville United Methodist Church2014-05-28
- ^ https://www.teichiku.co.jp/pop_classic/artist/lee/disco/ca12026.html
参考文献
[編集]- 金成玟「日韓ポピュラー音楽史:歌謡曲からK-POPの時代まで」慶應義塾大学出版会 2024年