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インガエウォネース族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
インガエウォネス族から転送)

インガエウォネース族インガエウォネス族インガエオネース族イングヴェオーネス族とも)(IngaevonesIngvaeones は、北海沿岸にいた古い民族である。またゲルマン語の方言においては「北海沿岸グループ」とも呼ばれる、西ゲルマン語グループに属する民族である。

彼らの名前はタキトゥスの『ゲルマニア』(98年頃)に述べられている。そこでは、大地の子であるトゥイストー神の息子のマンヌスの3人の息子から生じた3つの民族のうちの1つに分類されている。

彼らはユトランド半島ホルシュタインフリースラント、およびデンマークの島といった地域へ移動して、およそ紀元前1000年から紀元前500年の間には、大多数の北ゲルマングループスカンディナヴィアグループ)とは別になったであろうと考えられている。 さらに彼らは紀元前50年頃には、フリース族サクソン族ジュート族、アングリー(アングル)族にと分かれていった。

インガエウォネース族が一般的に使用していたと考えられている言語は、「Ingvaeonic (en)」、または北海沿岸グループ (North Sea Germanic) と呼ばれている。

大プリニウス80年頃に記した『博物誌』のIV章99節では、インガエウォネース族が5つのゲルマン語派集団の1つだと述べられている。他の4つの民族は、ヴァンダル族イスタエウォネース族イスタエウォネス族とも。en)、ヘルミノーネース族ヘルミノネス族とも。en)と、彼が名前をつけなかったグループである。また、インガエウォネース族はキンブリー族 (en)、テウトニ(テウトネス)族 (en)、およびカウキー族 (en) から成り立っていたという。

冒頭に述べたように、インガエウォネース族はタキトゥスの『ゲルマニア』でも記述されている。沿岸にいる3つのゲルマン民族集団の1つとしてインガエウォネース族の名が挙げられている。他の2集団はヘルミノーネース族とイスタエウォネース族である。Rafael von Uslar によると、西ゲルマン語グループのこの3つの分別は、300年頃から600年頃にかけての時代の考古学的な証拠と一致する。

インガエウォネース族の伝説的な父祖は、マンヌスの息子のイングワズ (Ingwaz)(イング (Ing)、インゴ (Ingo)、インギオ (Inguio) とも)と名付けられている。

ヤーコプ・グリムの著書『Teutonic Mythology』をはじめ、多くの研究者は、このイング (Ing) を、実態のはっきりしない北欧の神ユングヴィ (Yngvi)(スウェーデン王家の祖とされるユングリング家の祖)と同一の存在だったと考えている。Ingui という名前は、アングロ・サクソン族が建てたバーニシアの王家の王の名としても記載されている。

インガエウォネース族から分かれたアングロ・サクソン族がブリテン島で多くの居留地を作った頃から、彼らはそれらの居住地を「イングランド」と呼んだ。イングイ (Ingui) はまた、ヴァイキング時代に北欧神話の神フレイに与えられた名前でもある。

ネンニウス (en) の著書において、MannusがAlanusへ、Nannusの息子IngioもしくはInguioがNeugioへ転化するのを見ることができる。 ここでは、Neugioの3人の息子は、Bogari、Vandals、そしてSaxonsとTarincgiの人々に由来して、Boganus、Vandalus、そしてSaxoと名付けられている。

参考文献

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  • Stefan Sonderegger (1979年): Grundzüge deutscher Sprachgeschichte. Diachronie des Sprachsystems. Band I: Einführung – Genealogie – Konstanten. Berlin/New York: Walter de Gruyter. ISBN 3-11-003570-7 (英語版著者の参考文献)
  • William Gamwell Moulton「ゲルマン語派」『ブリタニカ国際大百科事典』森田貞雄訳、ティビーエス・ブリタニカ、1973年、606-609頁。
  • Edward Arthur Thompson「ゲルマン民族」『ブリタニカ国際大百科事典』久野浩訳、ティビーエス・ブリタニカ、1973年、616-619頁。
  • タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳注、岩波書店岩波文庫〉、1979年、30-33頁。

関連項目

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