アンナ・スマシュノワ
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基本情報 | ||||
国籍 | イスラエル | |||
出身地 |
ソビエト連邦 白ロシア・ソビエト社会主義共和国、ミンスク | |||
居住地 | イスラエル、ヘルツリーヤ | |||
生年月日 | 1976年7月16日(48歳) | |||
身長 | 157cm | |||
体重 | 53kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 片手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1991年 | |||
引退年 | 2007年 | |||
ツアー通算 | 12勝 | |||
シングルス | 12勝 | |||
ダブルス | 0勝 | |||
生涯通算成績 | 432勝349敗 | |||
シングルス | 401勝304敗 | |||
ダブルス | 31勝45敗 | |||
生涯獲得賞金 | $2,274,431 | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 3回戦(1995・2003・05) | |||
全仏 | 4回戦(1995・98) | |||
全英 | 3回戦(2000) | |||
全米 | 3回戦(1994) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 1回戦(2006・07) | |||
全仏 | 1回戦(2005・06) | |||
全英 | 1回戦(2005・06) | |||
全米 | 2回戦(2005) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 15位(2003年2月3日) | |||
ダブルス | 275位(2006年7月10日) | |||
アンナ・スマシュノワ(英語: Anna Smashnova, ヘブライ語: אנה סמשנובה, ベラルーシ語: Анна Смашнова, 1976年7月16日 - )は、イスラエルの女子プロテニス選手。
ソ連(現在のベラルーシ)・ミンスク生まれ。クレーコート(赤土)を最も得意とするベースライン・プレーヤーである。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。シングルス自己最高ランキングは15位。WTAツアーでシングルス12勝を挙げた(ダブルス優勝はない)。2002年12月7日にイタリアの元プロテニス選手、クラウディオ・ピストレッシと結婚したことから、「アンナ・スマシュノワ・ピストレッシ」(Anna Smashnova-Pistolesi)と名乗ったこともある(後に離婚した)。
来歴
[編集]スマシュノワの出身地はソ連(現在のベラルーシ)・ミンスクだが、14歳を迎えた1990年9月からイスラエルに定住するようになった。1991年1月にプロ入り。1992年から4大大会の予選に出場に挑戦を始め、1994年全豪オープンで4大大会初出場。同年の全仏オープンで、スマシュノワは第5シードのヤナ・ノボトナを1回戦で破り、初めて世界ランキングトップ10位以内の選手に勝った。1994年の全米オープンと1995年の全豪オープンで、2大会連続で3回戦に進出した後、1995年の全仏オープンで4回戦進出を果たした。それから3年後、全仏オープンでは1998年にも4回戦進出がある。4大大会ではこれが自己最高成績で、ベスト8以上の上位進出はなかった。
女子テニスツアーの下部組織の大会で6勝した後、1999年にWTAツアー大会で初優勝を達成。それ以来、ツアーでシングルス通算12勝を挙げ、2006年のハンガリー・ブダペスト大会で2連覇を果たした。これが彼女の最後のツアー優勝になり(12勝目)、2007年6月のウィンブルドン1回戦でマルチナ・ミュラー(ドイツ)に 0-6, 0-6 で敗れた試合を最後に現役を引退した。
2006年8月、アンナ・スマシュノワは国際テニス連盟から「テニスに貢献した選手の賞」(Awards for Services to the Game)を授与された。一緒に選ばれた選手は総計13名で、その中にはジュジャ・ケルメツィ(ハンガリー)、クルト・ニールセン(デンマーク)、加茂公成(日本)、ジーナ・ガリソン(アメリカ)、バルバラ・シェット(オーストリア)、リーンダー・パエス(インド)などがいる。イスラエルの大黒柱として活動してきたスマシュノワは、こうしてテニス界における国際的な貢献を認められた。
WTAツアー決勝進出結果
[編集]シングルス: 13回 (12勝1敗)
[編集]大会グレード |
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グランドスラム (0–0) |
ティア I (0–0) |
ティア II (0–0) |
ティア III (3–0) |
ティア IV & V (9–1) |
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 1999年6月13日 | タシケント | ハード | ローレンス・クルトワ | 6–3, 6–3 |
優勝 | 2. | 2000年7月23日 | クノック=ヘイスト | クレー | ドミニク・ファン・ルースト | 6–2, 7–5 |
優勝 | 3. | 2002年1月6日 | オークランド | ハード | タチアナ・パノワ | 6–2, 6–2 |
優勝 | 4. | 2002年1月13日 | キャンベラ | ハード | タマリネ・タナスガーン | 7–5, 7–6(2) |
優勝 | 5. | 2002年6月16日 | ウィーン | クレー | イロダ・ツルヤガノワ | 6–4, 6–1 |
優勝 | 6. | 2002年9月15日 | 上海 | ハード | アンナ・クルニコワ | 6–2, 6–3 |
優勝 | 7. | 2003年8月2日 | ソポト | クレー | クララ・ザコパロバ | 6–2, 6–0 |
優勝 | 8. | 2003年8月10日 | ヘルシンキ | クレー | エレナ・コスタニッチ | 4–6, 6–4, 6–0 |
優勝 | 9. | 2004年5月22日 | ウィーン | クレー | アリシア・モリク | 6–2, 3–6, 6–2 |
優勝 | 10. | 2005年7月17日 | モデナ | クレー | タチアナ・ガルビン | 6–6 途中棄権 |
優勝 | 11. | 2005年7月31日 | ブダペスト | クレー | カタリナ・カスタノ | 6–2, 6–2 |
優勝 | 12. | 2006年7月30日 | ブダペスト | クレー | ルルド・ドミンゲス・リノ | 6–1, 6–3 |
準優勝 | 1. | 2006年8月26日 | フォレストヒルズ | ハード | メガン・ショーネシー | 6–1, 0–4, 4–6 |
4大大会シングルス成績
[編集]- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
大会 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 通算成績 |
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全豪オープン | A | LQ | 2R | 3R | 2R | LQ | LQ | 2R | 1R | 1R | 1R | 3R | 2R | 3R | 1R | 1R | 10–12 |
全仏オープン | A | A | 2R | 4R | 1R | A | 4R | 3R | 1R | 1R | 1R | 2R | 3R | 2R | 1R | 1R | 13–13 |
ウィンブルドン | LQ | A | 2R | 1R | 1R | A | 1R | 1R | 3R | 1R | 1R | 1R | 1R | 1R | 1R | 1R | 3–13 |
全米オープン | LQ | A | 3R | 1R | LQ | LQ | 1R | 1R | 1R | 1R | 2R | 1R | 1R | 2R | 1R | A | 4–11 |
外部リンク
[編集]- アンナ・スマシュノワ - WTAツアーのプロフィール
- アンナ・スマシュノワ - ビリー・ジーン・キング・カップのプロフィール
- アンナ・スマシュノワ - 国際テニス連盟
- ユダヤ人スポーツ選手紹介 (英語、女子ツアーの公式サイトより詳しい)