コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

海兵隊戦争記念碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海兵隊戦争記念碑
Marine Corps War Memorial
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
海兵隊戦争記念碑
全ての戦争で亡くなった海兵隊員と、彼らとともに戦った他の海兵隊員を追悼
完成1954年11月10日
70年前
所在地北緯38度53分25.6秒 西経77度04分11.0秒 / 北緯38.890444度 西経77.069722度 / 38.890444; -77.069722座標: 北緯38度53分25.6秒 西経77度04分11.0秒 / 北緯38.890444度 西経77.069722度 / 38.890444; -77.069722
バージニア州アーリントン郡近く
設計フェリックス・ド・ウェルドン(彫刻)
ホレイス・W・ピーズリー(建築)
Uncommon Valor Was A Common Virtue
In Honor And Memory Of The Men Of The United States Marine Corps Who Have Given Their Lives To Their Country Since 10 November 1775

海兵隊戦争記念碑(かいへいたいせんそうきねんひ、United States Marine Corps War Memorial)または硫黄島記念碑(いおうじまきねんひ、Iwo Jima Memorial)は、アメリカ合衆国バージニア州アーリントン郡にある戦争記念碑である。この記念碑は、1775年大陸海兵隊設立以来のアメリカ合衆国のために命を落としたアメリカ海兵隊員を記念するものである[1]ジョージ・ワシントン・メモリアル・パークウェイ英語版アーリントン・リッジ公園英語版の中にあり[2]、近くにはアーリントン国立墓地のオード・ワイツェル門とネザーランズ・カリヨン英語版がある。1954年に製作され、1955年に公園を管理する国立公園局に引き渡された。

この記念碑は、第二次世界大戦中の1945年2月の硫黄島の戦いにおいて、6人の海兵隊員が摺鉢山の頂上に星条旗を立てる様子をジョー・ローゼンタールが撮影した写真(硫黄島の星条旗)を元にしている[3]

歴史

[編集]
元となった写真『硫黄島の星条旗
記念碑のモデルとなった6人の海兵隊員
#1, ハーロン・ブロック伍長
#2, ハロルド・ケラー英語版伍長
#3, フランクリン・スースリー上等兵
#4, マイケル・ストランク軍曹
#5, ハロルド・シュルツ英語版上等兵
#6, アイラ・ヘイズ上等兵
摺鉢山での2回目の星条旗掲揚の様子(ビル・ジェノウスト英語版軍曹撮影。1945年のドキュメンタリー映画"To the Shores of Iwo Jima"より)
夜の海兵隊戦争記念碑

1945年2月23日、硫黄島の南端の摺鉢山を占領した海兵隊は山頂に星条旗を掲げたが、最初に掲げたものは小さすぎて山麓から見えないとして、より大きな星条旗が6人の海兵隊員によって掲げ直された。ローゼンタールが撮影したのはその2回目の掲揚の様子であり、この記念碑の中心にある像はその写真を元に作られた。掲揚の様子をビル・ジェノウスト英語版軍曹[注釈 1]がローゼンタールの横に立ってカラー映像で撮影しており、その映像から、2回目の星条旗掲揚は「やらせ」ではないことが判明した。ローゼンタールの写真に写っているのは、右から以下の6人である[注釈 2][4]

当時アメリカ海軍に従軍画家として入隊していた彫刻家のフェリックス・ド・ウェルドンは、この写真を見て、週末の1日で像のマケット英語版(原型)を作った。ド・ウェルドンは建築家のホレイス・W・ピーズリーとともに記念碑の設計を行い、記念碑建立の提案を連邦議会に提出したが、戦時中は資金を調達することができなかった。1947年、記念碑建立の資金を調達するための基金が設立された。

海兵隊連盟英語版が記念碑の建立を承認し、ド・ウェルドンに像の製作を依頼した。1951年に連邦議会に承認され、記念碑の建造が開始された。ド・ウェルドンは3年かけて石膏で原寸大の原型を制作した。人物の高さは9.8メートルだった。これを分解してそれぞれをブロンズで鋳造した。土台は、スウェーデン南部のロンスボダ英語版の採石場で採れた花崗岩でできている[5]

海兵隊が硫黄島に上陸してからちょうど9年後の1954年2月19日に起工式が行われ、第20代海兵隊総司令官レミュエル・C・シェパード英語版が鍬入れを行った。同年9月に記念碑の建設が始められた。鋳造したブロンズ像の部品はニューヨークのブルックリンで12個のピースに組み立てられた。3台のトラックでアーリントンに運ばれて1つの像に組み立てられ、それに18メートルの旗竿が付け加えられた。総工費は敷地の整備を含めて85万ドルだった。そのほとんどが現役および引退した海兵隊員からの寄付で賄われたほか、海兵隊員の友人や海軍関係者からの寄付もあり、公的資金は一切使われなかった。

1954年の落成式におけるド・ウェルドンの演説

海兵隊創設179周年の日にあたる1954年11月10日に除幕式が行われた[1]。式典にはドワイト・D・アイゼンハワー大統領、リチャード・ニクソン副大統領、チャールズ・アーウィン・ウィルソン英語版国防長官、ロバート・バーナード・アンダーソン国防副長官、オーム・ルイス内務省次官補、レミュエル・C・シェパード海兵隊総司令官などが参列した。従軍聖職者による祈祷や来賓の挨拶が行われ、記念碑が米国民の財産となった後、記念碑の旗竿に星条旗が掲げられた。像を制作したド・ウェルドンが演説をし、ニクソン副大統領が答辞を行った[6]

1961年6月12日、ジョン・F・ケネディ大統領はこの記念碑に24時間星条旗を掲揚することを布告した[7]。硫黄島の戦いの当時の星条旗の星の数は48個だったが、この記念碑に掲揚される星条旗はその時点で定められている最新のもの(1960年以降は星が50個)である。これは、この記念碑が硫黄島の戦いや第二次世界大戦で戦死した海兵隊員だけでなく、全ての海兵隊員に捧げられたものであるためである。

台座の文言

[編集]

記念碑の台座には、以下の文言が刻まれ、その上部にはこれまでに海兵隊が参加した全ての戦闘行動またはその場所が金色の文字で刻まれている。

正面(西側): "Uncommon Valor Was A Common Virtue" – "Semper Fidelis英語版"(並々ならぬ勇気は共通の美徳だった――常に忠実な)

背面(東側): "In Honor And Memory Of The Men Of The United States Marine Corps Who Have Given Their Lives To Their Country Since 10 November 1775"(1775年11月10日以来、祖国のために命を捧げたアメリカ海兵隊の男達への敬意と追悼の意を込めて。)

また、台座の正面左下と右下には、彫刻を製作したフェリックス・ド・ウェルドンと元となった写真を撮影したジョー・ローゼンタールの名前が刻まれている。ローゼンタールの名前は1982年に追加された。

碑文

[編集]

Dedicated To The Marine Dead Of All Wars, And Their Comrades Of Other Services Who Fell Fighting Beside Them.

Created By Felix De Weldon, And Inspired By The Immortal Photograph Taken By Joseph J. Rosenthal On February 23, 1945, Atop Mt. Suribachi, Iwo Jima, Volcano Islands.

Erected By The Marine Corps War Memorial Foundation, With Funds Provided By Marines And Their Friends, And With The Cooperation And Support Of Many Public Officials.

Dedicated, November 10, 1954

全ての戦争で亡くなった海兵隊員と、彼らと共に戦った他の仲間に捧ぐ。

1945年2月23日、火山島硫黄島の摺鉢山山頂でジョセフ・J・ローゼンタールによって撮影された不朽の写真に触発されてフェリックス・ド・ウェルドンによって製作された。

海兵隊戦争記念財団が、海兵隊員とその友人から提供された資金と、多くの公職者の協力と支援を受けて建立した。

奉献 1954年11月10日

主な戦闘行動

[編集]

噂と批判

[編集]

記念碑は6人の姿が象られているが、腕が全部で13本あるという根強い噂があり、その理由として様々な憶測が語られている。像を製作したド・ウェルドンはこの噂について、「13本の腕。誰が13本の腕を欲しているんだ? 12本で十分だ」と述べて否定している[8]

1998年、この記念碑の近くにアメリカ空軍記念碑英語版を建てる議論がされているときに、アメリカ合衆国美術委員会委員長のJ・カーター・ブラウン英語版は、この記念碑がキッチュであると評した。「これは写真から取られたものであり、かつてこの委員会の委員であったとは言えミケランジェロのように後世に伝わるような人物ではない彫刻家によって作られたものであり、しかもその設置場所のせいで非常に印象的になってしまっている」とブラウンは述べた。他の委員からは、ブラウンの発言に対する反論や、ブラウンの辞任を求める声が出た[9]

改修

[編集]

2015年4月29日、慈善家のデイヴィッド・ルーベンスタイン英語版は、2013年に死去した元海兵隊員の父と、アメリカ合衆国のために命を落とした全ての海兵隊員に敬意を表して、この記念碑の改修のために国立公園財団英語版に537万ドルを寄付した。この寄付金により、記念碑の大規模な改修が行われた[10]。公園管理局では定期的にメンテナンスは行ってきたが、大規模な改修は1954年の建立以来初めてだった[11]。改修工事は3回に分けて行われ、2018年に完了した[12]

関連する記念碑

[編集]

第二次世界大戦中、彫刻のための政府から資金提供がなされなかったため、ド・ウェルドンが自分で資金を出し、現在の記念碑の3分の1の大きさのキャストストーン英語版による像をワシントンD.C.で製作し、倉庫で保管された。1947年に一旦空母で展示された後、再び倉庫に戻された。この像は、2013年2月にニューヨークの第二次世界大戦遺物専門のオークションに出品される予定だったが[13]、最低落札価格に達せず出品されなかった。

その他、以下に示す関連する記念碑や、この記念碑のレプリカが各地にある。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ジェノウストは同年3月4日に硫黄島の洞窟の中で日本軍に殺され、遺体は未だに発見されていない。
  2. ^ 写真に写っている人物は、1947年、2016年、2019年に訂正が行われている。

出典

[編集]
  1. ^ a b “Memorial honoring Marines dedicated”. Reading Eagle. Associated Press (Pennsylvania): p. 1. (November 10, 1954). https://news.google.com/newspapers?id=vgwrAAAAIBAJ&pg=4987%2C3731941 
  2. ^ Arlington Ridge Park – George Washington Memorial Parkway”. National Park Service (October 31, 2017). April 11, 2019閲覧。
  3. ^ USMC statement on Iwo Jima flag raisers”. 2023年2月12日閲覧。
  4. ^ Robertson, Breanne, ed (2019). Investigating Iwo: The Flag Raisings in Myth, Memory, and Esprit de Corps. Quantico, Virginia: Marine Corps History Division. pp. 243, 312. ISBN 978-0-16-095331-6. https://www.usmcu.edu/Portals/218/Investigating%20Iwo_WEB3.pdf 
  5. ^ http://www.gemeneman.se/MinSommar2005.pdf Archived August 20, 2010, at the Wayback Machine. (in Swedish) Translation, page 3 line 28-29: The most famous war memorial in the United States, U.S. Marine Corps Memorial in Washington D.C., stands on a base in granite pieces from Hägghult. Hägghult is the name of the quarry, just outside Lönsboda.
  6. ^ “Marine monument seen as symbol of hopes, dreams”. Spokane Daily Chronicle. Associated Press (Washington): p. 2. (November 10, 1954). https://news.google.com/newspapers?id=cPNXAAAAIBAJ&pg=5563%2C2418577 
  7. ^ “Permanent flag ordered”. Kentucky New Era. Associated Press (Hopkinsville): p. 3. (June 13, 1961). https://news.google.com/newspapers?id=q-QrAAAAIBAJ&pg=4255%2C3238326 
  8. ^ Kelly, John (February 23, 2005). “One Marine's Moment”. The Washington Post (Washington, D.C.): p. C13. ISSN 0190-8286. オリジナルのSeptember 18, 2012時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20120918233732/http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A45559-2005Feb22?language=printer 2008年7月13日閲覧。 
  9. ^ “Iwo Jima memorial called 'kitsch'”. Deseret News. (8 March 1998). http://www.deseretnews.com/article/617286/Iwo-Jima-memorial-called-kitsch.html?pg=all 20 March 2014閲覧。 
  10. ^ Ruane, Michael E. (April 29, 2015). “Billionaire David Rubenstein gives $5M to refurbish Iwo Jima sculpture”. Washington Post. https://www.washingtonpost.com/local/billionaire-david-rubenstein-gives-5m-to-refurbish-iwo-jima-sculpture/2015/04/29/92a16f16-ed13-11e4-8666-a1d756d0218e_story.html?wpisrc=nl_buzz 30 April 2015閲覧。 
  11. ^ Zongker, Brett (29 April 2015). “Marine Corps Memorial to be restored after $5.4M donation”. The Associated Press. http://www.marinecorpstimes.com/story/military/2015/04/29/marine-corps-memorial-to-be-restored-after-54m-donation/26569981/ 1 May 2015閲覧。 
  12. ^ U.S. Marine Corps War Memorial Rehabilitation – George Washington Memorial Parkway (U.S. National Park Service)” (英語). www.nps.gov. 2019年1月10日閲覧。
  13. ^ Original Iwo Jima monument could fetch up to $1.8M at NYC auction”. Fox News. 8 February 2013閲覧。
  14. ^ Recruit Training – Crucible Marine Corps Recruit Depot Parris Island
  15. ^ Conservation of the Iwo Jima Monument Parris Island for the United States Marine Corps by Debbie Smith National Center for Preservation Technology and Training
  16. ^ Iwo Jima Memorial”. SWFL Art & Community Theater. 17 September 2015閲覧。 “Many think that it is a replica of the 60-foot-tall Iwo Jima Memorial near Arlington National Cemetery in Virginia, but it is, in fact, one of three originals that were created by a sculptor by the name of Felix de Weldon.”
  17. ^ Daley, Lauren (7 November 2005). “Iwo Jima monument graces Fall River”. South Coast Today. http://www.southcoasttoday.com/article/20051107/news/311079995 31 August 2017閲覧。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]