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アブハジア自治共和国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アブハジア亡命政府から転送)
アブハジア自治共和国

აფხაზეთის ავტონომიური რესპუბლიკა
アブハジアの国旗
国旗
Coat of arms of アブハジア
国章
ジョージアにおけるアブハジア自治共和国の位置
ジョージアにおけるアブハジア自治共和国の位置
地位 亡命政府
首都
法令上
事実上
公用語
統治体制 自治共和国
• 首相
ルスラン・アバシゼ英語版
• 最高会議議長
ジェマル・ガマハリア英語版
立法府 最高会議
ジョージア自治共和国
• 宣言[注釈 1]
1991年4月9日
• 承認[注釈 1]
1991年12月25日
通貨 ラリ (GEL)
ウェブサイト
http://abkhazia.gov.ge

アブハジア自治共和国(アブハジアじちきょうわこく、グルジア語: აფხაზეთის ავტონომიური რესპუბლიკა)は、ジョージア国内の自治共和国。ジョージアの最西端に位置し黒海の北岸に面する。この地域は1990年代初頭から“アブハジア共和国”として事実上の独立状態にある。

歴史

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アブハジア自治共和国の法令上の首都であるスフミ

1992年に発生したアブハジア戦争英語版の最中、アブハジア自治共和国政府は「アブハジア閣僚会議」と呼ばれていた。1993年9月、アブハジア分離主義勢力はジョージア政府軍と激しい戦闘を行い、アブハジア分離主義勢力が首都スフミを制圧した(スフミ陥落英語版)。当時のアブハジア自治共和国政府議長ジウリ・シャルタヴァ英語版ら親ジョージアの政府高官・職員は無裁判で処刑された。アブハジア自治共和国の閣僚会議はアブハジアを離れ、ジョージアの首都トビリシに政府機能を移転した。以後13年間、閣僚会議はアブハジア亡命政府として活動した。この間タマズ・ナダレイシヴィリ英語版率いるアブハジア亡命政府はアブハジア問題に対する強硬姿勢を掲げ、アブハジアの分離独立運動に対してジョージアは軍事的対応でしか紛争を解決できないという意見を頻繁に述べた。その後ナダレイシヴィリ政権はいくつかの内部問題に巻き込まれ、アブハジアの政治に積極的に参加することがなくなった。

アブハジア戦争後、ジョージアはアブハジアの最終的な位置づけを、ジョージアの国家の枠組み内で解決するため、アブハジア自治共和国政府とアブハジアの事実上の当局である“アブハジア共和国”の政府、ジョージア政府、加えてロシアと国連を利害関係者とする五者協議を提案した[1]。“アブハジア共和国”側は、ジョージアが協議に参加するより以前に、武力による解決を試みないという保証を求めた。

2004年にジョージアのミヘイル・サアカシヴィリ大統領はイラクリ・アラサニアを新たな首相に任命した。後にアラサニアはアブハジアをめぐる和平交渉においてサアカシヴィリ大統領の特使も務めた。2006年7月、アブハジアのコドリ渓谷において地元民兵の指導者エムザル・クヴィツィアニ英語版がジョージア政府への対立を表明すると、ジョージア政府は警察を動員。ジョージアは反政府勢力を降伏に追い込み、7月末までにコドリ渓谷の大部分を支配した。サアカシヴィリ大統領は同地域の憲法秩序が回復したことを受け、トビリシに拠点を置いていたアブハジア亡命政府をコドリ渓谷(上アブハジア)に移転設置するとの決定を発表した。

この決定は、1993年以来初めて政府がアブハジアに、私たちのアブハジアの内側に入り、ジョージアの司法権と憲法秩序を行使することを意味します。これは非常に重要な事実であり、大きな基礎となる政治的出来事であります。[2]

2008年のロシア・ジョージア戦争においてアブハジア分離主義勢力“アブハジア共和国”はオセット人と手を組み、ジョージアに対する第二戦線を開いた。コドリ渓谷の戦い英語版ではロシアの支援を受けた“アブハジア共和国”軍が、アブハジア自治共和国の勢力をアブハジア地域から押し出した。“アブハジア共和国”のセルゲイ・バガプシュ大統領は住民への演説において「コドリ渓谷上流地域はこのアブハジア国の管轄に戻った」と述べた[3]

政府

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アブハジア亡命政府はアブハジア戦争英語版とその後の民族浄化英語版によって居住地を離れざるを得なくなった約25万人の国内避難民の問題について、一部の責任を担っている[4][5]

主要高官

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役職 氏名 就任
首相 ルスラン・アバシゼ英語版 2019年
最高会議議長 ジェマル・ガマハリア英語版 2019年
最高会議副議長 タマズ・フブア 2019年
最高会議副議長 ダヴィト・グヴァザビアグルジア語版 2019年

歴代首相

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氏名 就任 退任 備考
タマズ・ナダレイシヴィリ英語版 1992年 1993年7月18日
ジウリ・シャルタヴァグルジア語版 1993年7月18日 1993年9月27日
ズラブ・エルクヴァニア 1993年10月18日 1998年7月7日
ロンデル・ツァアヴァ英語版 1998年7月7日 2004年9月30日
イラクリ・アラサニア 2004年9月30日 2006年4月24日
マルハズ・アキシュバイア 2006年4月24日 2009年6月15日
ギオルギ・バラミア英語版 2009年6月15日 2013年4月5日
ヴァフタング・コルバイア英語版 2013年4月5日 2019年5月1日
ルスラン・アバシゼ英語版 2019年5月1日 (現職)

下位行政区画

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自治市

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地区

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b ソビエト連邦からのジョージアの独立。

出典

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  1. ^ The Resolution of the Parliament of Georgia on the measures of conflict settlement in Abkhazia” (1996年4月17日). 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月23日閲覧。
  2. ^ Tbilisi-Based Abkhaz Government Moves to Kodori”. Civil Georgia (2006年7月27日). 2007年7月28日閲覧。
  3. ^ Sergei Bagapsh announces restoration of control over Kodori Gorge.
  4. ^ Birgitte Refslund Sørensen, Marc Vincent (2001). Caught Between Borders: Response Strategies of the Internally Displaced. Pluto Press. pp. 234-235. ISBN 0-7453-1818-5 
  5. ^ On Ruins of Empire: Ethnicity and Nationalism in the Former Soviet Union Georgiy I. Mirsky, p. 72.

外部リンク

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