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アッシャー家の崩壊 (ドビュッシー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドビュッシー
オペラの題材となったエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」のアーサー・ラッカムによるイラスト

アッシャー家の崩壊』(アッシャーけのほうかい、フランス語: La chute de la maison Usher)は、フランス作曲家クロード・ドビュッシーによる1幕(2部に分割されている)の未完のオペラで、リブレットエドガー・アラン・ポーの短編小説『アッシャー家の崩壊』(1839年)を素材としてドビュッシー自身が作成した。本作は1908年から1917年にかけて作曲されたが、遂に完成されなかった。

作曲の経緯

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ドビュッシーはシャルル・ボードレールのフランス語訳によってフランスの読者に親しまれているエドガー・アラン・ポーの小説にかねてより魅了されていた。1890年には、アンドレ・シュアレス英語版ロマン・ロランに宛てた手紙の中で、「クロード・ドビュッシー氏は、ポーの物語、特に『アッシャー家の崩壊」を素材とした心理的な観念を発展させる交響曲を作曲しようとしている」と述べている[1]。この試みは実現できなかったが、1902年に唯一完成したオペラ『ペレアスとメリザンド』の成功を受けて、ドビュッシーは次のオペラ作品の素材としてポーに着目していた。ドビュッシーは、ポーの作品から着想を得たオペラの最初の試みであるオペラ・コミック鐘楼の悪魔英語版』を数年間かけて作曲を試みたのだが、1911年または1912年に最終的に断念した。1908年の6月中旬には、ドビュッシーはポーの小説を題材にしたもう一つのオペラ『アッシャー家の崩壊』という陰鬱な内容のオペラに着手していた。7月5日、ドビュッシーはニューヨークメトロポリタン・オペラと上演優先権を締結し[注釈 1]、計画していたポーの2本立ての初演ともうひとつの未着手のオペラ『トリスタンの伝説』を上演する権利が保証された[3]。その年の夏、彼は友人のジャック・デュラン英語版に宛てた手紙で「ここ数日、『アッシャー家の崩壊』の作曲に取り組んでいます。 自分の周囲にあるものの感覚を失ってしまう瞬間があり、もしロデリック・アッシャーの妹が私の家に入ってきたとしても、それほど驚かないでしょう」と記している[4]

1909年、ドビュッシーはロデリック・アッシャーの独白を概ね完成させたと書いている。「石の嘆き悲しみ、それを聞きとる。つまり、神経衰弱に陥った人が悲し気に石を見つめ、それが与える心理的な影響についての話なのだ。自家薬籠中にある独自の手法であるオーボエの低い音とヴァイオリン倍音を対比させることによって、古くささがむしろ魅惑的な表現となる」[5]。ドビュッシーは自分が神経衰弱にかかっていると信じていたが、この頃[注釈 2]主治医から、後に命を落とすことになる直腸癌を患っていると診断されていた[注釈 3]

ロバート・オーリッジ英語版によれば、「ドビュッシーは次第に自分をロデリック・アッシャーと同一視するようになり、ロデリック・アッシャーの精神崩壊をポーは崩壊しつつある家そのものと同一視した」ということである[6]。『アッシャー家の崩壊』をほぼ完成に近い状態にまで持っていこうとしていたドビュッシーは、この運命の展開を受けとめかね、死刑囚のように苦しんだ。その心情をポール・デュカスに宛てた手紙に記している。「『アッシャー家の崩壊』は〈クロード・ドビュッシーの崩壊〉になってしまいそうです。運命は、私がこの作品を完成することを許すべきです。私は『ペレアスとメリザンド』だけをもって、未来の世代の人に性急に判断されたくないのですから、、、。音楽家は死んでしまってはいけませんね。」(1916年8月10日デュカスへの手紙)[7]

ドビュッシーはリブレットの執筆を3回に亘って試みた。1916年から1917年にかけて、第1場と第2場の一部の音楽の短いスコア草案を作ったのは、3番目のリブレットに満足できたからであった。1918年にドビュッシーが死ぬまで、『アッシャー家の崩壊』の制作は進展を見なかった[3]。現存するリブレットの手稿はハリー・ランサム・センター英語版に保管されている[8]

配役

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登場人物は4人。ロデリック・アッシャー、その友人 (Ami)、医者 (Le Médecin)、そしてマデリン夫人。

ドビュッシーは、この3人の男役をすべてバリトン声域に割り当てた。ジャン・フランソワ・ティボーフランス語版は次のように書いている。「ドビュッシーが3人の男役にどのようなバリトンの声域を正確に使ったのか、あるいは『ペレアスとメリザンド』のように、太い低音のバスバス・バリトン、バリトン・マーティン(軽いバリトン)と段階的に変化させたのかはわからない。3人の役を同じ声域のバリトンに割り当てたことは、これらの配役が1つの意識の3つの分身であるという強い可能性を開くという点で重要である」[9]

あらすじ

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ロデリック・アッシャーは一族最後の男の子孫である。彼は朽ちかけた先祖代々の屋敷に、双子の妹で消耗性疾患を患っているマデリン夫人と主治医と共に暮らしている。ロデリックの友人 (語り手)はこの家に招待されている。彼が訪問している間にマデリン夫人が亡くなっているのが見つかり、屋敷の地下の納体堂に埋葬される。外で嵐が吹きすさぶ中、友人はロデリックを慰めるために中世ロマンスの物語を読み聞かせる。友人が物語を読み進め、クライマックスに到達すると、血にまみれたマデリン夫人が姿を現す。生き埋めにされていた彼女は、今度は兄に襲いかかり、彼を死に引きずり込む。友人が家から脱出すると、アッシャー家は鮮血のごとく真っ赤な月光に照らされる中で崩壊して姿を消す。

ドビュッシーはポーの物語を踏襲しながらも、ロデリックの妹への近親相姦的な感情をより強調し、マデリンの愛情をめぐるロデリックのライバルでもある医師により重要性をもたせ、より不気味な人物に仕立て上げている[10]

原作とリブレット

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青柳いづみこによれば、ドビュッシーが『鐘楼の悪魔』のために書いたシナリオは、多少の変更や敷衍があるにしても、原作の大筋は捉えているのに対して、『アッシャー家の崩壊』の台本のほうには、ポーの意図まで損なってしまうような、根本的な意味のとり違えや、明らかな説明過多の傾向が認められる。ドビュッシーが書いた『アッシャー家の崩壊』の台本の主な変更内容は次の通りである。

  1. 原作ではマデリンと生き写しの双生児となっているロデリックの年齢をずっと引き上げて、容姿もエドガー・アラン・ポー自身に似せたこと。
  2. この2人の間に、原作者が明言を避けた近親相関関係を設定したこと。
  3. 原作では、わずか3行しか登場しないアッシャー家の主治医の役割を大幅に拡大し、マデリンに横恋慕し、ロデリックを差し置いて、彼女を勝手に生き埋めにしてしまうというグロテスクな役柄に仕立て上げたこと。
  4. 壁石に関するロデリックの空想を具現化し、アッシャー家の壁に向かって長々と独白させたこと。
  5. 同じく原作では、ただ部屋の奥を通り過ぎるだけのマデリンに、本作ではロデリックが即興で演奏することになっている〈幽霊宮殿〉のアリアを歌わせたこと。
  6. 医者の口を借りて、はっきりロデリックを狂人と断定したこと。

これらの中で、特に重要なのは、はじめの3点だろう。これらは作曲家が意識していたにせよ、していなかったにせよ、物語の本質にかかわる、重要な変更だったように思われる[11]

補筆の試み

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1970年代、2人の作曲家がこの未完の本作の完成版を作ることを試みた。1977年 2月25日イェール大学キャロリン・アバテ英語版が作曲し、ロバート・カイル英語版オーケストレーションを担当したものが上演された[12][13]

同年、チリの作曲家フアン・アレンデ=ブリン英語版が補筆したものがドイツのラジオで放送された。1979年 10月5日ベルリン国立歌劇場ヘスス・ロペス=コボスの指揮、バリトンのジャン=フィリップ・ラフォン英語版のロデリック・アッシャー役、ソプラノのコレット・ロラン英語版のマデリン夫人役、バリトンのバリー・マクダニエル英語版の医者役、バスのウォルトン・グロンルーススウェーデン語版のロデリックの友人役で、ブリンの補筆版が上演された。ブリンの再構成版は後にEMIに録音されたもので、演奏時間は約22分[14]

2004年、ロバート・オーリッジがドビュッシーの草稿をもとに作品を完成させ、オーケストレーションを行った[15]。また、DVDにも収録されている。

2014年 6月にウェールズ・ナショナル・オペラにより行われたイギリス初演はローレンス・フォスターの指揮、ロバート・ヘイワードのロデリック・アッシャー、アンナ・ゴルヴァチョワのマデリン夫人、マーク=ル・ブロックが医者役、ウィリアム・ダズリーのロデリックの友人役、演出はデイヴィッド・パウントニー英語版となっていた[16][17][18]

2015年 12月のサンフランシスコ歌劇場によるアメリカ初演はローレンス・フォスターの指揮、ブライアン・マリガンのロデリック・アッシャー、ジャクリーン・ピッコリーノのマデリン夫人、ジョエル・ソレンセンが医者役、エドワード・ネルソンのロデリックの友人役、演出はデイヴィッド・パウントニーとなっていた[19]

2019年マンハイムで行われたオーリッジの補筆版のドイツ初演は、ドビュッシーの他の音楽を加えて90分に拡大された[20]

他にも2019年1月11日東京Hakuju Hallで初演された、市川景之による試補筆版が存在し、ピアニストの青柳いずみこのYoutubeチャンネルで公開されている。[21]

主な録音・録画

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脚注

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  1. ^ Holmes 1991, p. 32.
  2. ^ ルシュール(編)、『ドビュッシー書簡集1884‐1918』P238
  3. ^ a b Tresize 2003, p. 82
  4. ^ Holmes 1991, p. 86.
  5. ^ Holmes 1991, p. 88.
  6. ^ Orledge 1982, p. 109.
  7. ^ 青柳いづみこ、『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』P249
  8. ^ Carlton Lake: An Inventory of His Collection at the Harry Ransom Center”. norman.hrc.utexas.edu. 2019年1月9日閲覧。
  9. ^ Thibault 1994, p. 203.
  10. ^ Thibault 1994, pp. 202–203.
  11. ^ 青柳いづみこ、『ドビュッシー 想念のエクトプラズム』P251~252
  12. ^ Holden 2001, p. 251.
  13. ^ Orledge 1982, p. 122.
  14. ^ Time magazine review of the EMI recording
  15. ^ "Debussy Completions and Orchestrations" by Robert Orledge, December 2013
  16. ^ ウェールズ・ナショナル・オペラのホームページ 2023年8月5日閲覧
  17. ^ THE GUARDIAN誌のホームページ 2023年8月5日閲覧
  18. ^ WALES ARTS REVIEW誌のホームページ 2023年8月5日閲覧
  19. ^ サンフランシスコ歌劇場上演記録 2023年8月5日閲覧
  20. ^ Rolf Fath. "Report from Mannheim." Opera, November 2019, vol. 70, no. 11, p. 1412.
  21. ^ (日本語) ドビュッシー:オペラ「アッシャー家の崩壊」(市川景之による試補筆版), https://www.youtube.com/watch?v=Zeuth6hCvVA 2023年12月25日閲覧。 

注釈

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  1. ^ メトロポリタン・オペラおよびボストン・オペラ・カンパニーを含む系列歌劇場とも契約していた[2]
  2. ^ 11月26日のこと。
  3. ^ 12月7日には手術を受けている。

参考文献

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  • Holden, Amanda, ed (2001). The New Penguin Opera Guide. New York: Penguin Putnam. ISBN 0-14-029312-4 
  • Holmes, Paul (1991). Debussy. Omnibus 
  • Orledge, Robert (1982). Debussy and the Theatre. Cambridge University Press. ISBN 9780521228077 
  • Thibault, Jean-François (1994). “Debussy's Unfinished American Opera”. In John Louis DiGaetani. Opera and the Golden West. Fairleigh Dickinson University Press 
  • Tresize, Simon, ed (2003). The Cambridge Companion to Debussy. Cambridge Companions to Music. Cambridge University Press 
  • 青柳いづみこ (著)、『ドビュッシー 想念のエクトプラズム東京書籍単行本1997年ISBN 978-4487792962
  • フランソワ・ルシュール(編)、『ドビュッシー書簡集1884‐1918』 笠羽映子(翻訳)、音楽之友社1999年ISBN 978-4276131644