スーパードライホール
スーパードライホールは、東京都墨田区吾妻橋一丁目にあるリバーピア吾妻橋敷地内のアサヒビールの吾妻橋本部ビル(アサヒビールタワー)に隣接するホール。アサヒビール創業100周年を記念し、1989年にアサヒビールタワーと共に竣工。隅田川の吾妻橋のたもとにあった同社の旧吾妻橋工場跡地の再開発で建造された。
ビルとオブジェは、フランスのデザイナー、フィリップ・スタルクによる設計である[1]。このホールの1階から3階にはレストランが入っており、4階はイベントホール「アサヒ・アートスクエア」がある。
2016年3月末をもって「アサヒ・アートスクエア」を閉館[2]。「スーパードライホール」は存続される[2]。
オブジェについて
[編集]屋上には特徴的な巨大モニュメントが設置されている[1]。燃え盛る炎を形象した「フラムドール(フランス語 flamme d'or、金の炎)」と呼ばれるもので、アサヒビールの燃える心を象徴するとされる[1]。オブジェが炎を表すのに対して、その下のスーパードライホールそのものは聖火台をイメージしたものだという[1]。オブジェの長さは約44mで、360トンの鋼材を使用している[3]。
原案の時点では赤色というデマがツイッターで流れたことがあったが、アサヒビールの広報担当は事実ではないと否定している[4]。
樋口広太郎(建設当時、アサヒビール代表取締役社長)は「当初の構想では、炎がビルを貫くような形に建てるつもりだった」とのことで、フィリップ・スタルクに任せた結果「それで任せたのですが、何と失敗。垂直に立てるつもりが、ごろんと寝てしまった。まあ、しょうがないやないかと思いました。」「構造上問題があってできなかったのです」と、アサヒビール側が縦置きの構想を持っていたことを2001年に述べている[5]。2013年に縦置き構想について問い合わせを受けたアサヒビール広報担当は、縦置きに関する噂を自身は聞いたことはないがアサヒビールに記録が残っておらず分からないと回答している[1]。2017年に縦置き構想について問い合わせを受けたアサヒビールの広報担当はフィリップ・スタルクからの設計提案は元から横向きだったとして「さまざまな噂があるが、縦のデザインだった経緯もない」と回答している[4]。
その形状から「うんこビル」「うんちビル」の愛称で呼ばれている[6][5]。その他、オブジェについては「オタマジャクシ」「練り辛子」「クジラ」「オバケ」「筋斗雲」「黄金の精子」などの解釈がなされている[7]。
また、横のビールジョッキを模したビルに合わせてそのオブジェはビールの泡を横からフッと吹いた物を模していると言う説もある。
完成当初よりロッククライマーによる定期的な清掃作業が行われていたが、2005年に実施された塗り替え工事の際、セルフクリーニング機能のある塗料で再塗装されたため、以後は実施されなくなった。2017年には同年12月中旬までの予定で2度目の塗り替え工事が行われていた。工事期間中はフラムドールは足場に覆われた状態となっていたため、一時的に姿を見ることができない状態となっていた[8][9]。
脚注
[編集]- ^ a b “アサヒ・アートスクエアが閉館へ”. シアターガイド (2015年11月6日). 2015年11月9日閲覧。
- ^ 30周年のアサヒビール本社 異彩を放つビルはなぜできた?
- ^ a b アサヒビール「金色のオブジェ」元々は縦向きだった? 噂は本当か広報に聞いてみたスマダン2017年11月7日 17時20分日野綾 2017年11月9日閲覧
- ^ a b 日本経済新聞 2001年1月 私の履歴書 樋口広太郎(10)変なあだ名が。
- ^ 藤沢摩彌子 『アサヒビール大逆転-どん底時代をいかに乗り越えたのか』 文藝春秋〈文春文庫plus〉ISBN 4167660431、2002年、12頁。
- ^ 「金の雲に商魂のせて スタルク考案のアサヒビールの広告塔」『読売新聞』1989年10月25日付東京夕刊、8頁
- ^ “アサヒグループホールディングス、12年ぶりに“お色直し” 医療・健康・食品 ニュース 日刊工業新聞 電子版”. 日刊工業新聞. 日刊工業新聞社 (2017年10月27日). 2017年11月8日閲覧。
- ^ “どこに?東京・浅草の“金のシンボル”が消えた(17/11/07)”. ANNnewsCH(テレビ朝日公式YouTubeチャンネル) (テレビ朝日). (2017年11月7日) 2017年11月12日閲覧。