斉藤あきら (漫画家)
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(さいとうあきらから転送)
斉藤 あきら | |
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本名 | 斉藤 明 |
生誕 |
1934年??月??日 日本・東京都江東区亀戸 |
国籍 | 日本 |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1957年以降 |
ジャンル |
劇画 ギャグ漫画 |
代表作 |
『快傑ライオン丸』 『ジャンボーグA』 『アイアンキング』 |
斉藤 あきら(さいとう あきら、1934年 - )は、日本の漫画家。東京都江東区亀戸出身。本名の「斉藤明」や、「さいとうあきら」名義で活動したこともある。
略歴
[編集]1954年に杉浦茂のアシスタントとして漫画業界に入る。鈴木光明、高野よしてる、手塚治虫、横山光輝のアシスタントを渡り歩き漫画の修行をする。その後はスタッフ3人を抱え「ジャガープロ」を設立して仕事をしていた。
1969年、手塚治虫アシスタントとして同門の古谷三敏の誘いで、赤塚不二夫の「フジオ・プロ」に所属。アシスタント業務をこなしながら、フジオプロの他の所属漫画家と同じく、独立した漫画家としても活動した。フジオプロには十数年間所属しており、80年代には離脱していたとみられる。
最初の漫画の師匠である杉浦茂との師弟関係は、杉浦が亡くなるまで続いており、最晩年の仕事も手伝っている。
人物
[編集]- 漫画家としてデビューする以前から赤塚不二夫と文通をしていた。十数年後に偶然に出会って、フジオ・プロに所属することになる。
- はじめは杉浦茂調の絵だったが、劇画ブームの影響を受けた絵柄になる。最終的には赤塚の影響を受けたギャグ漫画風の絵柄になっている。
- 杉浦茂の元を訪れる際は必ず一升瓶と植木を下げていったが、自身はほとんどお酒を飲めない体質だった。
作品リスト
[編集]漫画
[編集]- がんばれ純平(中学時代一年生 1962年4月号 - 1963年 3月号)
- 狼少年ケン(東邦のまんが 1964年)
- 咆えろジャングルの巻
- ケンの友情の巻
- スペースマン(希望の友 1965年)
- われら未来人(中学二年コース 1965年4月号 - 1966年3月号)
- エルドラド(河北新報誌 1966年)
- 狂犬トロッキ-(原作:赤塚不二夫、シナリオ:滝沢解、週刊少年マガジン 1971年)
- ウルトラゾフィ(小学一年生 1972年9月増刊号)
- 快傑ライオン丸(原作:うしおそうじ、小学四年生 1972年)
- ジャンボーグA(小学一年生 1973年2月号3月号)
- アイアンキング(小学一年生 1973年4月号 - 1974年3月号)
- 人造人間キカイダー(原作:石森章太郎、小学六年生 1973年4月号5月号)
- キカイダー01(原作:石森章太郎、小学六年生 1973年6月号 - 8月号[1])
- たこぼう一家(原作:古谷三敏、小学三年生 1974年)
- ダメおやじとタコ坊(原作:古谷三敏、小学四年生 1974年6月号 - 1975年3月号)
- 建師ケン作 (原作:牛次郎、赤塚不二夫の作画協力名義、週刊少年マガジン - 1977年2号~31号
- 一発貫太くん(原作:タツノコプロ 6年の学習 1977年10月号 - 1978年 9月号)
- コミック教育法規入門(原作:下村哲夫、月刊 悠 1990年4月号 - 1993年3月号)
- 学研まんが伝記シリーズ
- マンガ 京都修学旅行
- マンガ 商品先物取引入門の入門-基本用語から取引まで(監修:羽根英樹)
- 漫画仕事人参上!!(2021年9月21日発売まんだらけZENBU106号まで連載された)
随筆
[編集]- 杉浦茂 自伝と回想(2012年、共著:杉浦茂、井上春樹、後藤繁雄、筑摩書房)ISBN 4480885188