小川誠子
小川 誠子 七段 (追贈) | |
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ワールド碁フェスティバルのトークショーにて(2019年6月) | |
名前 | 小川 誠子 |
生年月日 | 1951年4月1日 |
没年月日 | 2019年11月15日(68歳没) |
出身地 | 福井県福井市 |
所属 | 日本棋院 |
師匠 | 木谷實 |
段位 | 七段 (追贈) |
概要 |
小川 誠子(おがわ ともこ、1951年4月1日[1] - 2019年11月15日)は、日本の囲碁棋士。日本棋院所属。木谷實九段門下。夫は俳優の山本圭。
経歴
[編集]福井県福井市生まれ[1]、愛知県名古屋市育ち[2]。精華学園高等学校卒業[1]。
6歳で碁を覚え、小学4年の頃から酒井利雄八段の紹介で日本棋院中部総本部に通う。14歳時に全日本女流アマチュア囲碁選手権大会で優勝。「おかっぱ本因坊」と話題になり、これを機会に1966年1月に木谷實の内弟子となり18歳でプロ棋士になった[3][1]。
1970年入段[1]、71年二段、74年三段、75年四段、92年五段、95年六段。2008年、杉内寿子に次ぐ女流2人目の500勝達成。
1977年、指導碁を通じて知り合った俳優の山本圭と結婚[1]。1986年、長女を出産後に女流本因坊を獲得して話題になった[2]。1984年から出産休暇1年をはさんで10年間、NHK杯テレビ囲碁トーナメントの聞き手を担当[3]。
40代からは囲碁の普及活動に力を入れ[3]、2010年に棋士会会長となり(2年間)、同年9月19日「心の唄 10」(木谷実九段の三男・木谷正道が主催するコンサート)「やさしい囲碁入門講座」開催[4]。2012年から2014年には日本棋院の理事を務めた[5]。
スポーツ報知では90年8月25日付から詰め碁連載を29年間務め、2011年から青葉かおりの後を引き継ぐ形で、週刊新潮でコラムを連載していた。
2014年に大腸がんを発症し翌年再発。2019年11月15日、病気のため急死[6][7]。68歳没。七段追贈。
吉永小百合とは公私ともに交流が深く「千年の恋 ひかる源氏物語」では囲碁シーンを指導。吉永は小川の急逝に絶句したという[2]。
タイトル歴
[編集]主な著作
[編集]- 『石心之譜 ― 囲碁に生きるわれら五人の棋士』 現代書林 1981年 ISBN 4905924294
- 『酒談―おんなたちの明日』 扶桑社 1994年(吉永小百合、岡本綾子との共著) ISBN 4594016367
- 『明解初級囲碁読本』 誠文堂新光社 1994年(石田芳夫九段との共著) ISBN 4416794061
- 『囲碁 級位者のための本筋の打ち方』 誠文堂新光社 1998年(石田芳夫九段との共著) ISBN 4416798164
- 『囲碁 級位者のための勝率アップの決め手』 誠文堂新光社 2000年(石田芳夫九段との共著) ISBN 4416700091
- 『小川誠子の石の形を美しく (NHK囲碁シリーズ)』 日本放送出版協会 2006年 ISBN 414016140X
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 週刊テレビ番組(東京ポスト)1987年8月7日号「プロフィール」36頁
- ^ a b c “囲碁棋士の小川誠子さんが急逝 スポーツ報知で29年間詰め碁連載担当”. スポーツ報知 (2019年11月16日). 2020年12月16日閲覧。
- ^ a b c “Ms Wendy|分譲マンションと生活に関する情報 Wendy-Net 351号 注目の人 囲碁棋士/小川 誠子さん”. www.wendy-net.com. 2021年11月4日閲覧。
- ^ 心の唄10・小川誠子六段の入門講座も開催!
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年2月17日). “「天国でも囲碁を打って…」 小川誠子六段のお別れ会”. 産経ニュース. 2020年12月16日閲覧。
- ^ "囲碁・小川誠子六段が急逝 スポーツ報知に詰め碁を寄稿". スポーツ報知. 報知新聞社. 15 November 2019. 2019年11月15日閲覧。
- ^ “「天国でも囲碁を打って…」 小川誠子六段のお別れ会”. 産経新聞社. (2020年2月17日) 2020年5月9日閲覧。
外部リンク
[編集]- 日本棋院の小川誠子紹介ページ
- 小川誠子 (@tomokoogawa0401) - Instagram