宗清寺 (埼玉県美里町)
表示
宗清寺 | |
---|---|
所在地 | 埼玉県児玉郡美里町白石1953 |
位置 | 北緯36度09分25.2秒 東経139度09分46.8秒 / 北緯36.157000度 東経139.163000度座標: 北緯36度09分25.2秒 東経139度09分46.8秒 / 北緯36.157000度 東経139.163000度 |
山号 | 見井山(けんせいざん) |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
開山 | 可渓宗印和尚[1] |
開基 | 白石宗清[1] |
中興年 | 永正年間(1504から1521年) |
札所等 | 児玉三十三霊場16番 |
文化財 | 応安板碑(美里町指定文化財) |
公式サイト | 臨済宗妙心寺派 宗清寺 |
法人番号 | 4030005009253 |
宗清寺(そうせいじ)は、埼玉県児玉郡美里町白石にある仏教寺院。宗派は臨済宗妙心寺派に属する。山号は見井山(けんせいざん)[2]。児玉三十三霊場第16番[2]。
歴史
宗清寺は永正年間頃(1504から1521年)に中興された臨済宗の禅寺。
開山は可渓宗印和尚(文亀元年/1501年示寂)、開基は白石宗清(天正11年/1583年入寂)である[1]。
江戸時代に快川紹喜和尚(大通智勝国師)で名高い甲斐恵林寺より籃月和尚(延宝6年/1678年示寂)がこの地域を布教し、妙心寺派の禅風を鼓舞した。その後融峯和尚(享保16年/1731年示寂)が禅風を相承し、当山を再興した。
可渓宗印和尚以来およそ500年、地域の菩提寺としての歴史がある。
境内
文化財
- 応安板碑(美里町指定文化財[3])
- 緑泥片岩を加工した追善供養塔。板碑には応安六年(1375年)7月5日の年号が刻まれている。
- 大きさはおよそ高さ2メートル、幅50センチ。阿弥陀如来と脇侍仏と漢字で光明真言が彫られている。
- 集古十種記載の桐生碑が見つからず、長年謎とされていたが、宗清寺の板碑が間違って集古十種に記載されたようである[4]。
行事
脚注
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿.
- ^ a b 児玉三十三霊場めぐり.
- ^ 美里町観光協会 宗清寺.
- ^ 「桐生碑発見顛末記」小林一好著、1966年(昭和41年)3月
参考文献
- 新編武蔵風土記稿
- “児玉三十三霊場めぐり”. 本庄市観光協会 (2017年). 2019年10月21日閲覧。
- “宗清寺”. 美里町観光協会. 2020年1月12日閲覧。