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今井秀喜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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今井 秀喜(いまい ひでき、1914年9月5日[1] - 2014年5月17日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学

父、今井登志喜東京帝国大学文学部の学部長を務めた歴史学者。

経歴

東京府立第五中学校(現:都立小石川高等学校)から(旧制)第一高等学校を経て,1939年東京帝国大学理学部地質学科を卒業、同工学部助手となる。1944年助教授、1958年教授に昇進し、鉱山学科応用地質学第一研究室を担当した。1958年東京大学より工学博士の学位取得。学位論文の表題は「本邦における銅・亜鉛・鉛鉱床の地質構造、共生関係並びに成因に関する研究」[2]。1975年定年退官し、名誉教授となる。

1987年、勲三等旭日中綬章を受章。2014年5月17日、肝臓癌のため死去[1]

業績

金属鉱床地質学的に研究し、その結果を探査に応用する手法の開発を試みた。具体的には、鉱床に対する構造規制、特に割れ目系の解析を中心として、日本の鉱脈型鉱床を主たる研究対象とし、多くの成果を公表したことで知られる。

主な編著書

  • 今井秀喜・河井興三・宮沢俊弥「日本地方鉱床誌-関東地方」、朝倉書店、1973年。ISBN 978-4254162035.
  • 今井秀喜・武内寿久祢(編)「鉱物工学-その現状と課題」、朝倉書店、1976年。ISBN 978-4254240085.
  • Imai, Hideki (1978): Geological studies of the mineral deposits in Japan and East Asia. University of Tokyo Press, 392 p.

参考文献

  • 正路徹也「今井秀喜先生の思い出」、資源地質、65巻、208〜210頁。2015年。

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典2012~2014』(日外アソシエーツ、2015年)p.70
  2. ^ 博士論文書誌データベース。

外部リンク

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