神田の大火
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神田の大火(かんだのたいか)では、神田地域で起こった大きな火災の歴史を説明する。
江戸には火事がつきもので、なかでも神田は火事の中心地であった。神田から火が起こったものに限っても、寛永二年に神田須田町から、文政十二年に佐久間町から、安政五年に外神田連塀小路から出火し、それぞれ大きな被害を出している[1]。
明治に入っても神田は火事の町であり続けた。明治年間だけで被害戸数1000を超える大火は6度を数え、日本橋、京橋と並んで、神田は「火の巣窟」[2]と称せられた。
大火の要因
神田に大火が多い要因としては
- 江戸城に近く商家家屋が密集し、また瓦葺きを禁止して萱葺きが中心だったことから、飛び火による延焼を引き起こした
- 井戸水の質が悪かったため水道の水を使用していたことから、火災の際に消火のために十分な水を確保できなかった
- 西南に千代田城、西に麹町台地、北に駿河台地と湯島台が位置しているという地理的条件により、冬季は特に東京湾からの風を受けて火が煽られ、丘陵に向かって火が上りやすくなった
といったものが挙げられる[3]。
江戸期の主な大火
文政の大火
文政12年21日の午前10時頃、佐久間町二丁目の材木小屋から出火。
明治期の主な大火
松枝大火
明治14年1月26日の夜半、神田松枝町から出火し、家屋の全焼一万戸超、被災者も3万6000人を超える大火となった[4]。被災地には橋本町のスラム街も含まれ、当該区画の再開発のきっかけともなった[5]。
猿楽大火
大正期の主な大火
三崎大火
出典
中村薫. 神田文化史. 神田史蹟研究会
藤森照信. 明治の東京計画. 岩波書店
神田警察署史編集委員会. 神田警察署史. 警視庁神田警察署
東京の消防百年記念行事推進委員会. 東京の消防百年の歩み. 東京消防庁
- ^ 中村 1935, p. 101,102.
- ^ 藤森 2004, p. 60.
- ^ 神田警察署史編集委員会 1975, p. 94.
- ^ 東京の消防百年記念行事推進委員会 1980, p. 42,43.
- ^ 藤森 2004, p. 71-78.