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アウグスト・ウィルヘルミ

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アウグスト・エミール・ダニエル・フェルディナント・ヴィルヘルミ
August Emil Daniel Ferdinand Wilhelmj
基本情報
生誕 1845年9月21日
ヘッセン大公国ウージンゲン
出身地 ヘッセン大公国
死没 (1908-01-22) 1908年1月22日(62歳没)
イギリスの旗 イギリス、ロンドン
職業 ヴァイオリニスト

アウグスト・エミール・ダニエル・フェルディナント・ヴィルヘルミ[1](August Emil Daniel Ferdinand Wilhelmj [vɪlˈhɛlmi][2], 1845年9月21日 ウージンゲン - 1908年1月22日 ロンドン)は、ドイツヴァイオリニスト

経歴

1845年、ウージンゲン生まれ。父は法律専門家のアウグスト・ウィルヘルミ。幼少のころから神童として知られていた。1852年にヘンリエッテ・ゾンタークが7歳の彼の演奏を聴き、「ドイツのパガニーニになるだろう」と言ったという。1861年にフランツ・リストが彼のことを耳にし、フェルディナンド・ダヴィッドに「未来のパガニーニを紹介させてください!」という手紙を添えてヴィルヘルミを彼の下に送った。ダヴィッドに師事してヴァイオリンを学ぶほかに、モーリッツ・ハウプトマンから音楽理論作曲ヨアヒム・ラフからも作曲を学んだ。

J.S.バッハ作曲の管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068の第2楽章「アリア(エール)」をヴァイオリンピアノのために編曲したことで有名である(この作品は「G線上のアリア」というタイトルで親しまれている)。

弟子の中にアメリカのヴァイオリニスト、ナハン・フランコがいる。

脚注

  1. ^ 姓は「ウィルヘルミ」、名は「オーギュスト」とも日本語表記したものもある。
  2. ^ Duden Aussprachewörterbuch (Duden Band 6), Auflage 6, ISBN 978-3-411-04066-7
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