春川正明
春川 正明 (はるかわ まさあき) | |
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生誕 |
1961年5月5日(63歳) 日本 大阪府大阪市 |
国籍 | 日本 |
教育 | 関西大学社会学部 |
職業 |
解説委員 元政治記者 元番組プロデューサー |
活動期間 |
1990年 - 2021年 (読売テレビ報道局 2019年5月から半年間は 読売巨人軍へ出向) |
肩書き |
解説委員 客員教授 |
配偶者 | 妻 |
子供 | 1女2男 |
春川 正明(はるかわ まさあき、1961年5月5日 - )は、吉本興業所属のジャーナリスト。元読売テレビ記者で、在職中は報道番組プロデューサーや報道局解説委員長を歴任したほか、2019年5月1日から11月30日までは、読売巨人軍で球団編成本部次長と国際部長を兼務していた。
来歴・人物
大阪府立東淀川高等学校を経て、関西大学社会学部へ進学した。大学では野球部に籍を置いていた一方で、スポーツ番組のディレクターを志していた[1]ことから、読売テレビの一般職採用試験を受験。卒業後の1985年4月1日付で入社してからは、報道局の撮影編集部でニュース映像の編集業務に従事していた。
1989年にベルリンの壁崩壊の現場を取材したことがきっかけで、1990年から報道部へ異動。記者を皮切りに、神戸支局長、司法担当キャップ、大阪府警キャップを務めた。
1997年から、読売テレビが運営するNNNロサンゼルス支局へ支局長として赴任。ペルーのリマでペルー日本大使公邸人質事件の現場取材などに従事[1]。
2001年に読売テレビの本社へ帰任してからは、『ウェークアップ!』のチーフプロデューサーや報道部長を経て、2007年7月から報道局の解説委員に就任。『情報ライブ ミヤネ屋』(いずれも本社スタジオからの生放送番組)でコメンテーターを務めていたが、2009年3月までは東京支社の勤務であったため、当時の上司だった岩田公雄・辛坊治郎と同様に東京と大阪を往復する生活を送っていた。同年4月から本社へ異動したことを機に、『ミヤネ屋』のコメンテーターと並行しながら、『かんさい情報ネットten!』のコメンテーターや母校である関西大学の社会安全学部客員教授を務めた。
2015年7月より報道局解説委員長、2018年6月より執行役員待遇となる。
自他共に認める阪神タイガースのファンであるが、2019年5月1日付で、ライバル球団の読売巨人軍に招聘。球団編成本部次長兼国際部長として、外国人選手のスカウティングやメジャーリーグ(MLB)加盟球団(パートナー契約を締結しているニューヨーク・ヤンキースなど)との連携強化に関する業務へ携わっていた[2]。一時は2020年からアメリカのニューヨーク事務所を拠点に活動することも検討されていたが、実際には2019年11月30日で退任したうえで、翌12月1日から読売テレビへ復帰[3]。復帰後も、『ミヤネ屋』のコメンテーターなどを務めていた。
2021年の誕生日で読売テレビの定年(60歳)に到達したことを受けて、12月31日で同局を退社する。退社後の2022年から、フリージャーナリストとして活動する[4]。
尖閣諸島抗議デモについての発言
自身が出演する『情報ライブ ミヤネ屋』(2010年10月18日放送分)にて、尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて行われたデモについて「こういうデモに参加するのは一般の人ではない」と述べた。放送後、この件で自身のブログにデモ参加者からの批判コメントが殺到し、後日ブログ上で春川が謝罪するに至った。
出演番組
読売テレビ時代
- かんさい情報ネットten!(コメンテーター)
- 情報ライブ ミヤネ屋(コメンテーター)
- 朝生ワイド す・またん!(ニュース解説)- 辛坊治郎が休みの時の代理
読売テレビ退職後
脚注
- ^ a b 横浜市中法人会 総会記念講演要旨
- ^ “巨人 新国際部長に春川氏就任へ、スカウト活動とMLBとの連携強化”. スポーツニッポン. (2019年4月19日) 2019年4月19日閲覧。
- ^ “巨人・春川正明氏が退任 編成本部次長兼国際部長”. デイリースポーツ. (2019年12月2日)
- ^ “ミヤネ屋コメンテーターの春川正明氏、年内でフリーに「昨日が最後の出社でした」”. スポーツニッポン. (2019年12月9日)
外部リンク
- 読売テレビ『解説委員室』 岩田公雄・辛坊治郎ら解説委員3名がニュースの裏側を語るコラム。春川も解説委員の一人として記事を執筆。
- 春川正明 プロフィール|吉本興業株式会社