高橋友右衛門
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高橋 友右衛門(たかはし ともえもん、1848年 - 1922年[1])は、日本の地方政治家。東京府清瀬村(現在の清瀬市)の初代村長を務めた。
来歴
高橋家は江戸時代から続く清瀬の名主であった。
友右衛門は明治前期に清瀬下宿村の村長を務めた。
彼は水車経営を行い、明治10年の第一回内国勧業博覧会では、小麦粉で褒状を授与された。 [2]
自由民権運動にも参加した。
1889年、町村制を施行し、上清戸村、中清戸村、下清戸村、清戸下宿村、中里村、野塩村および埼玉県新座郡野火止村の一部を合わせて北多摩郡清瀬村とした。
しかし、これらの合併には反対する村が多く、すんなりと行われなかった。
村役場は秋津村を加えた連合戸長制時代に連合戸長役場が置かれていた中清戸に置くことになった。
1892年に南多摩郡が加えられ、[1893年]]4月1日に三多摩が神奈川県から東京府に移管された。
まもなく友右衛門は退任。
1922年に亡くなるまで余生を過ごした。