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国家緊急権

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国家緊急権(こっかきんきゅうけん)とは、戦争災害・疫病など国家平和・独立・公衆衛生を脅かす緊急事態に際して、平常の統治秩序では対応できない際に、憲法秩序を一時停止し、一部の機関に大幅な権限を与える非常措置をとることによって秩序の回復を図る権限のことをいう[1][2]。当該権限の根拠となる憲法の条項を緊急事態条項(きんきゅうじたいじょうこう)という[3][4]

概説

緊急権とは立憲主義議会制民主主義文民統制を基調とする国家において、国家の平和と独立を脅かす急迫不正の事態または予測される事態に際して、一刻も早い事態対処が必要と判断される場合において、憲法の一部を停止し、「超法規的措置」によってこれらの危機を防除しようとする権能である。多くの国家の憲法、特に大陸法をとる国のほとんどの憲法には緊急権の規定があり[5]英米法でも存在していない憲法は少数派である[6]

国家緊急権は、立憲主義国家の下では、立憲主義体制を一時停止して一定の権力集中をともなうのを通例とする[7]。国家緊急権は立憲主義を守るために立憲主義を破るという性格を有するものであることから実定法化には難しい問題を伴う[8]

国家緊急権は抵抗権と同じく立憲主義の擁護を目的に唱えられるものであるが、抵抗権が国家権力による立憲主義への攻撃に対する国民の権利であるのに対し、国家緊急権は立憲主義の防御のために国家権力側が発動する権利であり対照的な構造をなす[9]

国家緊急権の類型

国家緊急権の類型は、いくつかの分類がある。

憲法制度上の国家緊急権と超国家的緊急権

憲法制度上の国家緊急権とは、憲法自身が緊急時に自らの権力を停止し、特定の機関に独裁的権力を与えることを認めるものである[10]。この例としては英米法にあるマーシャル・ローや、ヴァイマル憲法第48条(大統領緊急令規定)、フランスにおける合囲状態フランス語: l'État de siège)などがあげられる[10]。一方で超国家的緊急権が発動される事態は、憲法の枠組みを超え現行の法体系に拘束されない超憲法状態、すなわち違憲状態である[10]

行政型と立法型

憲法制度上の国家緊急権において、緊急権の行使が行政の範囲にとどまるものを行政型という。マーシャル・ローや大日本帝国憲法戒厳令などは新たな立法を制定することはできないため行政型に分類される[11]。これに対してドイツ帝国構成国の緊急命令や、大日本帝国憲法の緊急命令などは立法型に分類される[11]

英米型と独仏型

英米法においては憲法自体に緊急権の規定はなく、コモン・ローや個別立法によって緊急権が定められている[11]。イギリスでは第一次世界大戦後から個別立法制度が採用されるようになり[12][5]、アメリカにおいてはウォーターゲート事件以降立法制度が多く採用されるようになった[5]。イギリスの緊急権法、アメリカの戦争権限法全国産業復興法がこれに該当する[11]。一方でフランス共和国憲法(第二、第四、第五)、ドイツ帝国憲法、ヴァイマル憲法、ドイツ連邦共和国基本法には国家緊急権の規定が存在する[11][13]

厳格規定型と一般授権型

厳格規定型とは、あらかじめ想定できる非常事態を限定し、要件、手続、効果についても厳格に規定するものである[14]。ドイツ基本法やスウェーデン統治法典がこれに該当する。一般授権型とは、要件などについての規定はなく、一つの権限規定で対応しようとするものである。フランス第五共和政憲法、ヴァイマル憲法がこれに該当する[15]

世界の国家緊急権

日本における国家緊急権

大日本帝国憲法

大日本帝国憲法においては、天皇が国家緊急権を行使する規定が制定されていた。緊急勅令制定権(8条)、戒厳状態を布告する戒厳大権(14条)、非常大権(31条)、緊急財政措置権(70条)などである[16][17]。緊急勅令の実例としては、東京周辺にて緊急勅令に基づくいわゆる「行政戒厳」が宣告された例が3例ある[18]。その他に、1928年(昭和3年)の治安維持法改正に際し、改正案が議会において審議未了となったものを、緊急勅令の形で改正した例があるが、これについては、その緊急性に疑義があるとして、緊急勅令の濫用であるとの批判や「非立憲・違憲的行為」との批判があり、政府部内・与党内にも反対論があった[19]。なお、非常大権は一度も発動されたことが無く、戒厳大権との区別は不明瞭であるとされている[16][18][20]


日本国憲法

日本国憲法においては国家緊急権に関する規定は存在しないとする見方が多数的である[15][2]。憲法制定段階においては、日本側が衆議院解散時に、内閣が緊急財政措置を行えるとする規定を提案した。しかし連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は英米法の観点からこれに反対し、内閣の緊急権によってこれに対応するべきであるとした。その後の協議によって、衆議院解散時には参議院において緊急会を招集するという日本側の意見が採用された[21]

このため日本国憲法が国家緊急権を認めていないとする否定説、緊急権を容認しているという容認説の二つの解釈があり[15]、また否定説は緊急権規定がないのは憲法の欠陥であるとみる欠缺説、緊急権規定の不在を積極的に評価する否認説の二つに更に大別され[15]、結論は出ていない。

このうち欠缺説をとる論者は緊急権の法制化を主張し、否認説と容認説の論者はこれに反対するという構造がある[22]

欠缺説

大西芳雄は平常時の統治方法のままで対応できない危機が発生しないとは誰にも断言できないが、あらゆる権力の行使を法の定めたルールに従って行うのが立憲主義であるとして、緊急権規定の不在を欠陥であると指摘している[23]。また内閣憲法調査会の委員有志17名により、憲法調査会報告書起草の段階にあたり参考に供するためとして1964年に憲法調査会に提出された「憲法改正の方向」と題する共同意見書において「重大な憲法のミス」であるとしている[24][25]

否認説

小林直樹は日本国憲法が軍国主義を廃した平和憲法であるため、緊急権規定をあえておかなかったと解釈している[24]。また緊急権が君主権と不可分であったとし、憲法の基本原則に憲法が忠実であろうとしたために緊急権規定が置かれなかったとしている[26]影山日出弥は日本国憲法が国家緊急権で対処する国家緊急状態の存在自体を否定していると解釈している[27]。この立場からはいかなる事態も国家緊急権以外の方法で対処するべきであるとされ[27]、憲法に緊急権を明記することは「憲法の自殺」であるという意見がある[21]

 大日本帝国憲法下において、緊急事態条項が存在したがこの緊急事態条項で、基本的人権は制限された。

その後、戦争状態が続き、基本的人権が侵害された。文民統治が進んでいるが自衛権の行使により戦争が起こったとき、基本的人権が制限されることとなるため、緊急事態条項には、否定的な立場示すことがある。

容認説

河原畯一郎高柳賢三は、国家緊急権は超憲法的な原理であり、憲法に明文化されていなくても行使できる「不文の原理」であるとしている[28]

緊急事態に関する政府答弁

第90回帝国議会(昭和21年)憲法改正案委員会[29]において、金森憲法担当国務大臣は次のように答弁している。第1回委員会では旧憲法について、行政当局者にとって緊急の措置を講ずるにあまりにも便宜すぎたがために、民主主義政治の運用上、遺憾なる結果を生じたように思うと述べている。第3回委員会では、旧憲法に存在した緊急勅令等について、行政当局者にとっては調法であるが、その反面、国民の意思をある期間有力に無視し得る制度でもあると述べている。第13回委員会では、旧憲法の非常大権に相当する規定を置かなかった理由として、国民の権利を擁護するためには、政府一存で行う処置は極力防止しなければならず、もし非常大権に相当する規定を残した場合には、どのような精緻な憲法を定めても、非常時を口実にしてここから憲法秩序が破壊される虞がないとは言い切れないと思うので、行政権の自由判断の余地をできるだけ少なくするよう考えた旨を説明した。そのうえで、必要の場合は臨時会を召集して処置をし、衆議院の解散後であって臨時会を召集できないときは、参議院の緊急集会を招集して暫定の処置をすることとし、他方で、非常時に具体的に必要な規定は平素から準備しておくことが適当であろうと述べている。[18][30]

第154回国会・衆議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員会(第4号・平成14年5月8日)において、当時の内閣法制局長官は、憲法に国家緊急権が明記されなかった理由として、過去の金森国務大臣の答弁の一節を引用したうえで、大規模な災害や経済上の混乱などの非常な事態に対応すべく、憲法の公共の福祉の観点から合理的な範囲内で、国民の権利を制限し、国民に義務を課す法律を制定することは可能であり、既に災害対策基本法国民生活安定緊急措置法などの多くの立法がなされている旨の答弁を行っている。[31]

ドイツにおける国家緊急権

ヴァイマル憲法

ドイツ国において、ヴァイマル憲法48条英語版は大統領の非常措置権限として国家緊急権を定めていた。ヴァイマル憲法48条2項は次のような内容を定めていた[32]。「大統領緊急令」と呼ばれる規定である。

ドイツ国において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはその虞れがあるときは、ライヒ大統領は、公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。
この目的のために、ライヒ大統領は、一時的に第114条、第115条、第117条、第118条、第123条、第124条、および第153条に定められている基本権の全部または一部を停止することができる。
— ヴァイマル憲法48条2項[32]

ライヒはドイツ語で国のことを意味する。条文中、第114条は身体の自由、第115条は住居の不可侵、第117条は通信の秘密保障、第118条は言論の自由、第123条は集会の自由、第124条は結社の自由、第153条は財産権の保障に関する規定を指している[32]

1933年1月、ヒトラーは首相に就任すると、翌月には大統領のヒンデンブルクに対して「民族および国家の保障のためのライヒ大統領令」を布告させ、ヴァイマル憲法48条2項に基づく非常措置権限を発動させた[32]。これにより憲法に定める基本権の停止が図られた。さらに1933年3月には非常措置権限をもとに「民族および国家の危難を除去するための法律」いわゆる全権委任法が制定され、その2条は「ライヒ政府が議決したライヒ法律は、ライヒ議会およびライヒ参議院の制度それ自体を対象としない限り、ライヒ憲法に違反することができる。ライヒ大統領の権利は、これにより影響を受けない。」という内容となっており、この法律により議会による立法権のほとんどが政府による立法にとってかわられる結果となった[33]

その後もヴァイマル憲法48条を根拠にした法令が次々と出された。1934年1月にはライヒの改造に関する法律(ライヒ新構成法)が制定され、その4条によって憲法改正もライヒ政府に委ねられることとなったためヴァイマル憲法は形骸化し実質的な意味を失うこととなった[34]

ドイツ連邦共和国基本法(ボン基本法)

ヴァイマル憲法は緊急事態に際しては大統領に緊急措置を容認することによって憲法の規範性を維持しようとしたが、むしろそれが民主主義や基本権の保障の破壊につながったという歴史的過程があったことから、ドイツ連邦共和国基本法(ボン基本法)においても緊急権の法制化には抵抗感があり、特に憲法の規範性の維持にどう配慮するかが課題となった[35]。一方で、ドイツ条約に基づき、ドイツに駐留する米英仏3国は、ドイツにおいて緊急事態が発生した際に、自国の軍隊の安全の確保のため必要な措置をとる権限を留保しており、この権限は、ドイツが緊急事態の対処に関する立法を行った後、消滅する旨の規定となっていたことから、ドイツにとって緊急事態条項の挿入は主権の回復の意味をも持っていた[36]

1960年に連邦政府により、緊急事態に関する基本法改正案が提案された。この改正案は、ワイマール憲法第48条に範をとったものであり、緊急事態において連邦政府に、法律に代わる法規命令を制定し、当該命令により、一定の基本権を制限することも可能とする権限を与えていたため、全会派の反対を受け廃案となった[37]

その後、新たな基本法改正案が提出され、1968年に改正案が成立し、緊急権制度が導入された[38][39]。その特徴は、ヴァイマル憲法時代の反省に立って、緊急命令の乱用によって政府の独裁を許さないよう、緊急事態においても、連邦政府に緊急命令制定権を与えず、連邦政府の措置をできる限り議会及び連邦憲法裁判所の統制の下に置こうとする点にある[40][41]。また、ヴァイマル憲法のように緊急事態を包括的に規定することはせず、国内の反乱や災害等の内部的緊急事態と外国からの侵略等の外部的緊急事態に分けるとともに[38]、外部的緊急事態については、緊急事態の程度と性格に応じて、「防衛事態」、「防衛事態」の前段階としての「緊迫事態」等に区分し、段階的な対処方法を規定している[40]

外部的緊急事態については、防衛事態として115a条以下に規定を置いている[38]。防衛事態の確認は原則として連邦議会が連邦参議院の同意を得て行う(115a条1項)[38]。緊急を要し連邦議会の集会や議決が不能の場合には、非常時において連邦議会及び連邦参議院の機能を代替するために常設され、両院の議員で構成される合同委員会にその権限が与えられており(115a条2項)、このような場合には合同委員会に法律を制定する権限が認められている[38](ただし、合同委員会による立法権の行使には一定の制限があり、基本法の改正、全部又は一部の失効、適用の停止は認められていない[42])。ヴァイマル憲法下ではライヒ議会の解散によって結局は緊急事態権の歯止めを失うという事態に陥った反省から、115h条3項は防衛事態の期間中の連邦議会の解散を禁じている[38]。また、防衛事態においても連邦憲法裁判所とその裁判官の憲法上の地位と任務の遂行は侵害してはならないとされており(115g条)、憲法の規範性の維持に配慮する規定を置いている[38]

防衛事態において制限される基本権としては、職業の自由等(12a条)、移転の自由や住居の不可侵(17a条2項)、通信の秘密(10条2項)、移動の自由(11条2項)などを規定している[43]。なお、緊急事態における人権の制限に対する歯止めについて規定があり、労働条件及び経済条件の維持、向上のための労働争議に対して、軍の投入などの措置をとることができないこととなっている(9条3項)[44]。併せて憲法的秩序の除去に対する抵抗権を明文で規定している(20条4項)[43]

フランス国家における国家緊急権

フランス共和国憲法

フランス第五共和国憲法第16条では、大統領の非常措置権について次のように規定している[45]

第16条〔非常事態権限〕
1 共和国の制度、国の独立、領土の保全又は国際的取極の履行が重大かつ切迫した脅威にさらされ、かつ、憲法上の公権力の正常な運営が妨げられた場合には、共和国大統領は、首相、両議院議長及び憲法院に公式に諮問した後に、状況により必要とされる措置をとる。
2 共和国大統領は、教書を発してこの措置を国民に通知する。
3 この措置は、憲法上の公権力機関にその任務を果たすための手段を最短期間のうちに確保させるという意向に基づくものでなければならない。憲法院は、それに関して諮問を受ける。
4 〔この場合に〕国会は、当然に集会する。
5 国民議会は、非常事態権限の行使中に解散することができない。
6 非常事態権限の行使から30日後に、国民議会議長、元老院議長、60人の国民議会議員又は60人の元老院議員は、第1項に定める要件が依然として備わっているか否かの審査のために、憲法院に付託することができる。憲法院は、可及的速やかに公的な意見により裁定する。憲法院は、非常事態権限の行使から60日後はいつでも、当然にこの審査を行い、及び同一の要件により裁定する。

なお、第6項の規定は、大統領の非常事態権限行使に対する憲法院の審査の創設を趣旨として、2008年7月23日の憲法改正時に導入されたものである[46]。大統領が第16条を発動する決定、終止する決定、及び大統領の決定のうち少なくとも法律事項については統治行為であるとされ、コンセイユ・デタ(国務院)の裁判権に服さないとされているが[47]、第6項の新設により、憲法院の審査権に服することとなった[46]

第16条の非常措置権は、1961年のアルジェリアの争乱の際、ドゴール大統領により発動されたのが唯一の例である[48]

緊急状態法

憲法に明記されていない主要な緊急権制度として、「1955年4月3日の緊急状態の設定及びアルジェリアにおける宣言に関する法律」(緊急状態法)に基づく制度がある[49]

新型コロナウイルス感染症と国家緊急権

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染拡大に伴い、各国では緊急事態宣言の発出や行動規制措置(外出規制、営業規制等)の導入が行われたが、その根拠となる法制はおおむね次の3とおりに大別され、必ずしも全ての国で憲法上の国家緊急権(緊急事態条項)を根拠としたわけではないと考えられる。[50]

  1. 憲法の緊急事態に関する規定によると考えられる国(イタリア、スイス、スペイン)
  2. 憲法に緊急事態に関する規定はあるが、今回の対応については法律の規定によると考えられる国(中国、フランス、ドイツ、韓国、インド)
  3. 憲法に緊急事態に関する規定がほとんどなく、法律の規定によると考えられる国(アメリカ、カナダ、イギリス、日本)

国家緊急権の課題

国家緊急権を考える際に「国家緊急権のパラドックス」と呼ばれる問題がある[8]。先述のように国家緊急権には、憲法上の一定条件下で立憲主義を一時的に停止して独裁的権力の行使を認める憲法制度上の国家緊急権と立憲上の授権や枠を越えて独裁的権力が行使される憲法を踏み越える国家緊急権がある[7]。後者はもはや法の世界に属する事柄ではないが、前者と後者の区別は相対的であると考えられている[8]。非常措置権を憲法的に厳格に枠づけようとすれば、緊急事態に対して立憲上の授権や枠を越えて独裁的権力が行使される可能性も大きくなり、それを嫌って非常措置権を包括的・抽象的に定めてしまうと非常措置権に対する憲法的統制の実が失われるという関係がある[8]。これが「国家緊急権のパラドックス」と呼ばれる問題である[8]

歴史的に緊急事態に直面しつつも曲りなりに立憲主義体制を維持してきた国々においては、国家緊急権は立憲主義体制を維持するとともに国民の自由と権利を守るという目的の明確性[8]、非常措置の種類及び程度は緊急事態に対処するため一時的で必要最小限度のものでなければならないという自覚[8]、緊急権濫用を阻止するための可及的対策として事後的に憲法上の正規の機関(議会や裁判所など)を通じて緊急権行使の適正さの審査や責任追及の途を開いておくことの不可欠性[8]、これらについての認識が国民の間に相当程度浸透していることが指摘されている[8]。国家緊急権によって生じる問題は統治主体である国民の政治的成熟度さらにそれを基礎とする政党の力量が問われる課題とされている[51]

出典・脚注

  1. ^ 富永健 1996, pp. 71–72.
  2. ^ a b 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 2003, pp. 3.
  3. ^ コトバンク-緊急事態条項”. 2018年10月31日閲覧。
  4. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年4月17日). “ロックダウンできない日本 諸外国で目立つ強制力”. 産経ニュース. 2021年5月3日閲覧。
  5. ^ a b c 矢部明宏・山田邦夫・山岡規雄 2003, pp. 10.
  6. ^ 富永健 1996, pp. 72.
  7. ^ a b 佐藤幸治 2011, p. 48.
  8. ^ a b c d e f g h i 佐藤幸治 2011, p. 49.
  9. ^ 高橋和之『立憲主義と日本国憲法』有斐閣、2013年第3版、423頁
  10. ^ a b c 富永健 1996, pp. 73.
  11. ^ a b c d e 富永健 1996, pp. 74.
  12. ^ 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 2003, pp. 28–29.
  13. ^ ドイツではヴァイマル憲法下で緊急権規定が濫用された反省から現憲法であるドイツ基本法では当初緊急権規定を持たなかったが、1968年の第17次改正において導入された。この際に抵抗権規定も新設されている。
  14. ^ 富永健 1996, pp. 74–75.
  15. ^ a b c d 富永健 1996, pp. 75.
  16. ^ a b 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 2003, pp. 4.
  17. ^ 矢部明宏・山田邦夫・山岡規雄 2003, pp. 12.
  18. ^ a b c 矢部明宏・山田邦夫・山岡規雄 2003, p. 13.
  19. ^ 荻野富士夫 1996, pp. 584–596.
  20. ^ 加藤一彦 2015, pp. 95–121.
  21. ^ a b 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会 2003, pp. 6.
  22. ^ 富永健 1996, pp. 79–80.
  23. ^ 富永健 1996, pp. 75–76.
  24. ^ a b 富永健 1996, pp. 76.
  25. ^ 内閣憲法調査会 1964b, p. 653.
  26. ^ 富永健 1996, pp. 76–77.
  27. ^ a b 富永健 1996, pp. 77.
  28. ^ 富永健 1996, pp. 77–78.
  29. ^ 衆議院 1946.
  30. ^ 衆議院憲法審査会事務局 2013, pp. 13–14.
  31. ^ 衆議院憲法審査会事務局 2013, pp. 15–16.
  32. ^ a b c d 高田敏・初宿正典 2005, p. 122.
  33. ^ 高田敏・初宿正典 2005, p. 155.
  34. ^ 高田敏・初宿正典 2005, p. 156.
  35. ^ 塩津徹 2003, p. 237.
  36. ^ 山岡規雄 2016, p. 60.
  37. ^ 山岡規雄 2016, pp. 60–61.
  38. ^ a b c d e f g 塩津徹 2003, p. 238.
  39. ^ 山岡規雄 2016, pp. 61–62.
  40. ^ a b 矢部明宏・山田邦夫・山岡規雄 2003, p. 11.
  41. ^ 福井千衣・田中嘉彦・古賀豪・齋藤純子 2003, p. 62.
  42. ^ 福井千衣・田中嘉彦・古賀豪・齋藤純子 2003, p. 64.
  43. ^ a b 塩津徹 2003, p. 229.
  44. ^ 山岡規雄 2016, p. 72.
  45. ^ 調査及び立法考査局政治議会課憲法室「2008年7月23日付けフランス共和国憲法改正に関する新旧対照表」『外国の立法』第240巻、国立国会図書館、2009年6月、146-147頁、NDLJP:1000080 
  46. ^ a b 三輪和宏「2008年7月23日のフランス共和国憲法改正」『外国の立法』第240巻、国立国会図書館、2009年6月、140頁、NDLJP:1000080 
  47. ^ 矢部明宏・山田邦夫・山岡規雄 2003, p. 26.
  48. ^ 矢部明宏・山田邦夫・山岡規雄 2003, pp. 25–26.
  49. ^ 矢部明宏・山田邦夫・山岡規雄 2003, p. 24.
  50. ^ 井田敦彦 2020, p. 49.
  51. ^ 佐藤幸治 2011, p. 51.

参考文献

関連項目

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