国旗及び国歌に関する法律
国旗及び国歌に関する法律 | |
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日本の法令 | |
通称・略称 | 国旗国歌法、日の丸・君が代法 |
法令番号 | 平成11年8月13日法律第127号 |
種類 | 公法 |
効力 | 現行法 |
成立 | 1999年8月9日 |
公布 | 1999年8月13日 |
施行 | 1999年8月13日 |
主な内容 | 国旗・国歌の制定 |
関連法令 | 元号法 |
条文リンク | 総務省法令データ提供システム |
国旗及び国歌に関する法律(こっきおよびこっかにかんするほうりつ)は、日本の国旗・国歌を定めている法律。平成11年8月13日法律第127号。国旗国歌法(こっきこっかほう)と略される。
概説
日章旗・君が代を法制化する国旗国歌法案は1999年8月9日午後の参議院本会議で、自民、自由、公明三党及び民主党のうち20名による賛成多数で可決、成立した。なお民主党はこの採決において党議拘束を外している。採決結果は投票総数237、賛成166、反対71。7月22日の衆議院では、投票総数489、賛成403、反対86だった。同年8月13日に公布、施行。
当時の文部省の矢野重典・教育助成局長は、8月2日の参議院国旗・国歌特別委員会で、公立学校での日章旗掲揚や君が代斉唱の指導について「教職員が国旗・国歌の指導に矛盾を感じ、思想・良心の自由を理由に指導を拒否することまでは保障されていない。公務員の身分を持つ以上、適切に執行する必要がある」と述べている。また当時の小渕恵三首相も共産党の志位和夫の質問に対し「学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国家について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考えております。」と国会で答弁している。
法律制定の背景
第二次世界大戦後、終戦以前の日本の国家体制は「軍国主義」だと思想家や一部のリベラル派は批判している。同時に、軍国主義の体制化に利用された象徴や思想・風潮をも批判した。彼らは戦意高揚と選民主義・アジア太平洋地域における侵略と植民地支配(皇民化教育をともなう同化政策)に利用し、正当化した、として皇国史観を批判し、それを通じていわゆる天皇制自体を、ひいては当時の日本という国家の象徴の一つであり彼らが天皇讃美の意味を読みとった君が代をも、その批判の対象とした。 また最近では、民族・国家の枠組みを消極的にとらえる"地球市民思想"が広く流布し、その考えに立って民族性の象徴ともとれる日章旗同様、君が代を否定する意見がある。
一方肯定する意見の例としては、
「世界の国々は、国の独立を示す象徴として国旗・国歌を持っており、各国は、互いの国旗・国歌を尊重し合い、敬意を払っております。これは、近代国家における常識であります。日の丸・君が代に反対する人は、日の丸はかつてアジア近隣諸国への侵略を進めた大日本帝国の象徴であり、君が代は天皇主権の賛歌である、いずれも平和主義と国民主権主義を基本原理とする現行憲法に違反すると言います。しかし、戦争は時代背景と政治的理由によるものであり、我が国の国旗が日の丸だから、国歌が君が代だから戦争になったわけではございません。国歌・国旗に罪はありません。また、君が代において天皇の御長寿を祈ることは、すなわち天皇により象徴される日本国及び日本国民すべての長久繁栄を祈ることにほかなりません。その意味で、現行憲法に違反するどころか、むしろ合致するものと思います。」(平成11年6月29日、衆議院本会議での質疑に於ける西村章三答弁)
とする見解がある。
1996年頃から、公立学校の教育現場において、当時の文部省の指導で、日章旗(日の丸)の掲揚と同時に、君が代の斉唱が事実上、義務づけられるようになった。しかし、反対派は日本国憲法の思想・良心の自由に反すると主張して社会問題となった。1999年には広島県立世羅高等学校で卒業式当日に、君が代斉唱や日章旗掲揚に反対する公務員である教職員と文部省の通達との板挟みになっていた校長が自殺。これを一つのきっかけとして法制化が進み、『国旗及び国歌に関する法律』が成立した。
しかし法制後も、革新派と保守派との対立は続いており、色々の場面で問題となっている。例えば教育の現場において式典でのこの問題をめぐり教員同士の間でさえ反対・容認と別れ対立が起こったり、生徒側からの反対意見が出されたりするなど混乱は依然として続いている。また反対派の教師によって日章旗の掲揚と、君が代の斉唱及び起立をしない様にしているという指摘もある。
2004年秋の園遊会に招待された東京都教育委員会委員を務める米長邦雄が「日本の学校において国旗を揚げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」という発言に対して天皇(明仁)が「強制になるということでないことが望ましいですね」と返答している。
学校での国旗掲揚、国歌斉唱に関しての主な意見
- (賛成派)国家、国旗のデフォルト化は多くの国がやっていて、問題になった例は皆無であり、社会通念上、至って妥当
- (反対派)妥当であることでも強制すれば人権侵害となる
- (賛成派)だとするならば、入学式・卒業式の義務付け、起立・礼・着席の指導すら人権侵害に含まれてしまう
- (反対派)国旗・国歌に対する「思想・良心の自由」は最優先で尊重すべきである 憲法に定める自由権との関係は?
- (賛成派)国旗・国歌に対する「好き嫌い・政治的思想」は教育の場での職務放棄の理由として尊重されない
- (反対派)学校は“憲法番外地”か? 授業で教える自由権の規程と現実との乖離は?
- (賛成派)学校教育の場で教師自身の「好き嫌い・政治的思想」を授業で教える職務自由権などない。
- (反対派)単なる通達に過ぎない「学習指導要領」が法に優越するのか?
- (反対派)健康上の理由は尊重すべき
- (賛成派)同意。例えば足に障害のある先生が国歌斉唱時に起立しなくても誰も責めることはない
- (反対派)信仰の自由も尊重すべき
- (賛成派)同意。例えばイスラム教徒が給食の豚肉を残しても叱られたりはしない
- (反対派)上記2つの理由と同様、国旗・国歌に対する好き嫌いも尊重すべきだ
- (賛成派)国旗・国歌が嫌いという思想が学校行事を滞りなく完遂する義務に優るという事を社会に納得させる必要がある
- (反対派)国旗・国歌は必ずしも式に必要ではない
- (賛成派)それをいうなら式自体も必要ではない。必要性の議論は筋が違う。妥当性の問題である。
- (反対派)国旗・国歌の強制は妥当ではない
- (賛成派)国旗・国歌自体は妥当。これを義務化することも入学式・卒業式の義務化と同程度に妥当
- (賛成派)国旗・国歌の拒否の強制は妥当ではない
- (反対派)“自らの頭で考えよ”と促す事が強制と見做されるなら教育自体が成り立たない
- (反対派)国旗・国歌は思想に関わるので式と国旗・国歌は異なる
- (賛成派)どのように違うかという妥当な説明が必要。その思想が、個人的な好き嫌い・政治的思想では論外
国旗国歌についての議論
国旗国歌を擁護する意見は、保守派から主張されることが多い(国旗国歌擁護の立場がすべて保守派というわけではない)。しかし、論者によってニュアンスの違う意見がいくつかある。明治以来の伝統を重視し、戦後も広く国民の間に親しまれ定着しているという穏健保守の意見からの賛成もあれば、国民には愛国心を持つ義務があるから国旗国歌によりその意識を高めなければならないと主張する国権主義的な意見もある。中には、天皇への忠誠心を涵養する目的をはっきり表明する国粋的な意見もある。
サッカーのFIFAワールドカップやオリンピックなど、国際競技大会での『君が代』演奏の機会があるスポーツ分野から、日本を代表するスポーツ選手と自国への応援として自発的に日章旗(日の丸)が振られ、勝利の感慨の中で『君が代』が歌われる光景は昔と同じである(何故か、このことが問題とされたことは皆無である)。一方表彰式で他国の国旗掲揚国歌吹奏時に脱帽もせずに礼儀を失した行動をとる選手も見られ他国民に不快感を与えたこともある。このように国旗国歌は日本国民としての誇りと自覚だけでなく、他国に対する尊重の気持ちを育むことになるとし、教育現場での掲揚斉唱の義務化が必要だと主張する。
一方反対の立場からは、スポーツの応援の場での強制でない自主的な行動は国際的にも評価されるものだが、自国への自負心が他国への優越感へと行き過ぎる危険もあり、教育現場での義務化が他国に対する尊重につながるわけではないとしている(自国旗・自国歌を誇り、それに拠り所を求める事こそ他国軽視蔑視の危険な傾向であるとの評論あり)。
第二次世界大戦後、共産主義者らが中心となり『君が代』を否定した(君が代を否定する人全てが共産主義者だと言うわけではない)。しかし2003年(平成15年)に日本共産党も天皇、日の丸、君が代の存在を消極的ながら認め、現在では天皇は国民の象徴であると広く国民に認知されているとされる。君が代が必ずしも天皇に対する絶対的忠誠を誓う意味のものではなく、日本国民の幸福と栄華を象徴する歌であると解釈されるが、依然として反対意見は存在している。
東京都立高校の例
- 東京都教育委員会(都教委)は2003年10月、「卒業式での国旗掲揚及び国歌斉唱に関する職務命令」として、「国旗は壇上向かって左側に掲げる」「式次第に国歌斉唱の題目を入れる」「国歌はピアノ伴奏をし、教職員は起立して国旗に向かって起立し斉唱する」などという項目を作成し、違反した場合は服務上の責任を問われるという、「国旗掲揚・国歌斉唱の義務」を各都立高校に通達した。だが、実際これに従わなかった教職員が多数発生し、都教委は従わなかった教職員に対し懲戒解雇などの処分を下した。処罰された教職員は、「国歌斉唱の起立・強制は、憲法で保障された思想及び良心の自由を犯している」として、都と都教委を相手取り、2004年1月から順次「強制される必要はないことの確認」と「処分を撤回する」ことを求め東京地方裁判所(東京地裁)に提訴した。原告の教職員は実に401人に上った。
- この裁判の判決が2006年9月21日にあり、東京地裁は
- 国旗及び国歌が皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことは歴史的事実であり、国旗国歌をよしとしない人も多い
- 国旗や国歌に反対することも、思想及び良心の自由の範囲内であり十分尊重されるべきで、国旗への起立やピアノ伴奏を伴った国歌斉唱という都教委の指示に従う義務はない
- 国旗や国歌は強制されるものではなく、国民に自然と定着させるべきもので、それが学習指導要領の理念だ
- 国旗への起立や国歌斉唱の強制は「不当な支配」であり違反(教育基本法10条1項)であり、都教委のしたことは思想及び良心の自由を侵害した行き過ぎた処分
として、都と都教委に、国旗国歌の強制による処分の撤回と、原告1人当たり3万円の慰謝料を支払う判決を出し、原告側の完全勝訴となった。原告側は「非常に画期的な判決」と自身の主張が100%認められたことを率直に喜んだ。
これに対し、石原慎太郎東京都知事は「この裁判官は教育現場を何にも分かってない」とし、都教委は2006年9月29日、東京高等裁判所(東京高裁)に控訴した。