井坂聡
井坂聡(いさか さとし、1960年1月2日 - )は、日本の映画監督。アンドリーム(&REAM)の所属で、現在は相模女子大学の人間社会学部で教授も務める。
長男の肇(はじめ)は元プロ野球選手(投手)で、東京大学から日本の独立リーグでのプレーを経験した初めての選手。現役引退後の2020年からは、星槎道都大学で経営学部経営学科の助教[1]と硬式野球部のコーチを務めている。
略歴・人物
東京都世田谷区の出身で、都立戸山高校を経て、1983年に東京大学文学部美学芸術学専修課程を卒業。大学時代には運動会硬式野球部に所属していた。
東京大学を卒業後に、フリーの助監督として、同大学野球部の先輩・瀬川昌治に師事。テレビドラマで監督デビューを果たした後に、1996年公開の実写映画「Focus」で劇場用映画に進出した。以降は、劇場用映画やテレビドラマの監督をコンスタントに務めている。
映画界で語り継がれてきた【名助監督と呼ばれる人は監督になれない。しかし、名監督と呼ばれる人はみんな名助監督であった】という言葉を、映画監督を目指す人へ事あるたびに話している[要出典]。
裁判
監督として契約を結んで準備していた映画「土佐の一本釣り」において、アールツーエンターテインメント株式会社の代表者・和田敦也プロデューサーにより一方的に契約解除された為、監督料を求めて提訴。 2016年7月13日、東京地方裁判所において、要求額の3分の1を得るという実質的に勝訴の和解に至る。[2]
家族
長男の肇は東京都立日比谷高等学校の出身で、東京大学農学部への在学中に、父・聡と同じく硬式野球部へ所属[3]。右投手として、1年時の秋から東京六大学野球のリーグ戦に登板した。最速145km/hのストレートを投げることで注目された[4]が、2年時の春に右肩の関節を損傷してから調子を崩したため、在学中のリーグ戦では通算で8試合の登板にとどまった(通算成績0勝0敗)[5]。
東京大学の4年生だった2013年12月6日に、BCリーグのドラフト会議で、信濃グランセローズから1巡目で指名[6]。卒業後の2014年に入団した[3]。日本のプロ野球独立リーグのドラフト会議で指名を受けて入団した東京大学の関係者は、肇が初めてであった(参照)。
信濃には2015年まで所属したものの、リーグ戦での通算投球回数は、2シーズンで10イニングにも満たなかった。2016年から四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに所属した[7]が、大学時代に痛めた右肩のコンディションが回復しないまま、2017年のシーズン終了後に任意引退選手扱いで高知を退団した[8]。
現役からの引退直後には、プロ野球経験者による大学・高校野球の指導に必要な資格(学生野球資格)の回復に向けて講習会を受講。2019年2月5日付で日本学生野球協会から資格回復の適性を認定されたことによって、同協会に加盟する大学・高校の硬式野球部での指導が可能になった[9]。さらに、独立リーグ時代の知人からの紹介で、2020年1月10日から星槎道都大学硬式野球部のコーチに就任[4]。前述した経歴から、経営学部経営学科の助教として、環境に関する講義も任されている[5]。
作品
テレビ
映画
- Focus(1996年)
- 女刑事RIKO 聖母の深き淵(1998年)
- 刑事RIKO 女神の永遠(1998年)
- 破線のマリス(2000年)
- ミスター・ルーキー(2002年)
- g@me.(2003年)
- マナに抱かれて(2003年)
- 象の背中(2007年)
- アンフィニ(2013年)
- 同居人(2014年)
脚注
- ^ 星槎道都大学 経営学部経営学科助教 井坂 肇
- ^ Facebook 日本映画監督協会ページ. (2020年7月20日閲覧)
- ^ a b “東大初の独立リーガー・井坂肇氏 星槎道都大コーチ就任”. スポーツニッポン. (2020年1月10日) 2020年5月23日閲覧。
- ^ a b “「東大卒が行く場所じゃない」 NPBを追い求めた先に”. 朝日新聞. (2020年4月21日) 2020年5月23日閲覧。
- ^ “東大・井坂肇がBC信濃から1位指名”. 日刊スポーツ. (2013年12月6日) 2016年1月12日閲覧。
- ^ 高知FD入団選手のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2016年1月12日)
- ^ 高知FD 退団選手のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2017年10月30日)
- ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者日本学生野球協会公式サイト