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利用者:Bmtasi/sandbox

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常燈明台(高燈籠)

常燈明台(高燈籠)は、靖国神社正面の常夜灯として明治4年(1871)に和洋折衷のデザインで建設された。靖国神社本殿が出来たのが翌年の1872年であるため、靖国神社の施設としては最も早い時期に建設されたものである。


情報

所在地 千代田区九段南2‐2 (区立九段坂公園)

アクセス 九段下駅2番出口より徒歩5分


概要

常燈明台は、北の丸公園の田安門からお濠の外に出ると左側が九段坂公園で、そこに常燈明台(じょうとうみょうだい)がある。どこか灯台の雰囲気があり、通称「九段の常燈明台」といわれている。正式には高燈籠(たかとうだい)といい、明治4年に靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊のために、神社の正面九段坂沿いの角に建てられた。高さは16.8mあり、上部は洋風、下部は和風の様式となっている。これは明治になって大いに西洋の文化を入れ始めた時代の象徴でもあった。 そもそも、常燈明台は明治の東京タワーだった。常燈明台ができる以前は、神田明神にあった常夜灯がその役割を果たしていた。1887年、明治天皇は、初めて靖国神社に行くが、神田明神にも行った。建設当時の東京の人たちにとっては、靖国神社の常燈明台は、新しく出来た天皇の政府の力を見せつける、新江戸タワーだったのである。そして、常燈明台の積み上げられた石材は、各藩から運ばれたものである。


役目

当時九段坂の上からは、遠く筑波山や房州の山々まで見渡すことができ、品川沖を行き交う船にとっては大変良い目印として灯台の役目も果たしていた。


常燈明台の移転

当初は靖国神社に建てられていたが、道路の改修に伴い昭和5年(1930)に道をはさんで向かい側の区立九段坂公園(現在地)に移転した。


参考文献

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