悪役
悪役(あくやく、Villain・ヴィラン)とは、映画・テレビドラマ・舞台演劇・小説などに登場する悪人の役。憎まれ役(にくまれやく)とも呼ばれる。また、そこから転じてマスメディアにバッシングされている人物、組織内で人に憎まれている人物を指すことも多い。日常会話でも「~に回る」、「~に徹する」と使われる。
悪役は特に勧善懲悪などの要素を含む物語では必要不可欠の要素である。悪役がふてぶてしく立ち回ることにより主人公の存在感をより鮮明にし、また主人公やその仲間に倒されることで視聴者(読者)にカタルシス(浄化作用)を与える。基本的には物語の根底を彩り、主役たちを引き立たせる、地味ではあるが重要な存在である。したがって、悪役が魅力的であればあるほど物語の完成度は高くなる。
悪役俳優
この悪人役を演じることの多い俳優は悪役俳優と呼ばれ、これを専門的に演ずる者もいる。特に粗暴犯や暴力団構成員・ギャング、あるいは権力に結託した悪人の役を指すことが多い。特に時代劇や刑事アクションドラマなど、悪役が組織で戦闘を繰り広げるものでは、有名無名の悪役俳優たちが入り乱れ、迫真の演技力で主役を引き立てて倒されて行く。また、東映の京都撮影所など時代劇が多く製作される場所では、悪役側の戦闘要員としてクライマックスの大立ち回りにのみ映像に登場し、主人公に斬られる演技を多くこなす、あるいはこの役を専門的に演ずる俳優もいるが、これについては斬られ役とも言う。
この悪役俳優と主役(または主人公側の人物を演じる俳優)は劇中では敵味方であるが、作品出演を通じて役者としての格を超えて、強い仲間意識を持つことも多い。主役級の俳優が物語上重要な悪役などを演ずる時に、役作りの方法や演技での表現技法について、役者としての格は関係なく、本職といえる悪役俳優へと教えを乞いに行くことも珍しくない。逆に主役俳優が自分の名前で舞台興行を行う時に、その演技力や人柄を見込んで、テレビなどでは知名度の低い悪役俳優を指名して起用することも見られる。
悪役を演じる俳優は、その役柄とは対照的に、時に主役級の俳優以上に実生活におけるモラルや金銭などに対して高潔であり、自身を厳しく律している人物も多い。ドラマや映画では悪人役でも実際の家庭では良き父親・夫という例も少なくない。また、良からぬゴシップは少ない傾向にある。
かつての1950年代~1970年代にはアクション映画や時代劇が多かったためか、あるいは当時の俳優に戦時下などで苦労した人も多かったせいか、「いかにも悪役らしい」影や憎々しさを自在に強調できる俳優も多かった。しかし1990年代以降にデビューした俳優には、社会の変化などによる勧善懲悪の物語の質的な変化もあったからか、そうした悪役然とした影は弱まり、「こんな優しい顔の敵役を斬ってもいいのか」という俳優も増えている。また、善悪渾然としたキャラクターや善人面をして悪事を働くキャラクターも多いなど、従来の悪役像が成り立たなくなっている面もあり、現在では悪役としての表現技法は多様化している。
なお、現代は表現・価値観の多様化やインターネットの普及を背景に、いわゆる「大部屋俳優」などとも言われる無名の悪役俳優たちにも従来より多くの注目を集める者が現れてきている。その代表例としては、毎週の如く時代劇で斬られていたことでベテランの域に達してから「あれは何者か?」という話題と注目を集め、ハリウッド映画にまで出演した福本清三が知られている。